ある日、あるとき、ある場所で食べた食事が、その日の気分や体調にあまりにもぴたりとハマることが、ごくまれにある。

それは、飲み食いが好きな僕にとって大げさでなく無上の喜びだし、ベストな選択ができたことに対し、「自分って天才?」と、心密かに脳内でガッツポーズをとってしまう瞬間でもある。

そんな"ハマりメシ"を求め、今日もメシを食い、酒を飲むのです。

* * *

数ヶ月前から、名医と評判の高い地元の歯科に通いはじめた。

ずっと抜いてしまいたいと思っていた左下の親知らずを、いいかげんどうにかしたいと思ってのこと。そこで、まずはあらためて現在の自分の歯全体の状況を見てもらうと、まったくそんな意識はなかったんだけど、上側の両奥にも1本ずつ親知らずが生えているらしい。しかも、どちらもなんだか変な方向に生えていて、ほっとくのはあまり良くないとのこと。そこで、左下よりもまずそっちのほうを抜いてしまいましょう、ということになった。

その抜歯が実施されたのが、つい数日前。さすが名医と言うべきか、まさかの1日に2本抜きで、しかも、最初の麻酔注射以外の痛みをほとんど感じなかった。術後の経過(というほどのものでもないけど)も良好。痛みもほとんどない。ただ、その日1日はやってはいけない3つの事柄が、同時に言い渡された。それが「運動」「入浴」そして「飲酒」だ。

飲酒、だめかー。思った以上に元気なので、もはやすぐにでも抜歯祝いの一杯をやりたいくらいなんだけど、ここはさすがに先生の言うことを聞いておこう。最近、あきらかに体調が悪いとか、どうしてもやらなきゃいけない仕事が残っているといった、やむをえない場合意外の休肝日というのが極端に少なかった。今日は、前向きに休肝を楽しむ日にしよう。

と、1日、熱いお茶などすすりつつ大人しく過ごして翌朝。ふたたび状態のチェックと消毒のために歯科へ行き、「なにも問題はなさそうですね」とお墨つきをもらう。自分でも昨日までそこに親知らずがあったことが不思議なくらいだし、2、3日は続くかもと言われていた出血もすっかり止まったようだ。よし、今日の昼は、ごほうびに好きなもん食って、軽く祝いの一杯もやっちゃおう~。

足取りも軽やかな帰り道、頭のなかは早くも、昼食のことでいっぱいだ。誰にも気がねせず、今、心の底から食べたい僕の好きなもの。考えると思い浮かぶのは、松屋のカレーか、富士そばのかき揚げ天そばの二択だった。あまりにも安上がりな男。そんな僕が、駅前にその2店が並ぶエリアを通りかかる。すると松屋の前に、でかでかとこんな広告が出ていた。

「台湾風まぜ牛めし 2/7(火)10:00販売開始!」

2月7日、それって今日じゃないか。写真を見ると、色とりどりの具がのるアレンジ牛めしらしく、なんだかやたらとうまそうだ。少し前に出ていた限定メニュー「魯肉飯」に続く、「松屋で世界の味」シリーズの台湾風メニュー第2弾らしい。松屋って本当、こういうとこあるよな。ぐいぐい攻めてくる。当初の方針は変更し、今日のお昼は、こいつと瓶ビールにするか。

「アサヒスーパードライ」(490円)「アサヒスーパードライ」(490円)

数時間後、僕は有言実行の男となり、キンキンに冷えた瓶ビールをトクトクトクとグラスに注いでいた。もちろん、松屋の店内で。

料理より先に届いたそいつをうやうやしく持ち上げ、ぐいっとひと口。口中からのどにかけてをシュワーっと伝う清涼感。え? ビールって、こんなにも爽やかな飲み物だったっけ!? と、たった1日ぶりの酒に感動する自分が客観的に鬱陶しい。けど、いつにも増して、うまいものはうまい。

なんてことをしていると、いよいよ「台湾風まぜ牛めし」も完成したようだ。番号を呼ばれ、カウンターに受け取りに行く。

台湾風まぜ牛めし」(590円)台湾風まぜ牛めし」(590円)
台湾風まぜ牛めしは、中央に温玉、その周囲に、キムチ、青ねぎ、刻み海苔、牛めしのアタマ、特製だれという布陣。ポイントは特製だれで、「鶏白湯ベースにピリッと辛い豆板醤を効かせた鶏そぼろと薬味のタレ」らしい。

攻めるよなぁ、松屋攻めるよなぁ、松屋

それから、そうそう。そもそも僕は当初、松屋のカレーが食べたかったのだ。あのカレー欲が心のなかから消え失せたわけではない。そこで食券を買う際、ふと思う。「カレーの、ごはんなし単品ってないのかな?」と。念のため「サイドメニュー」の項目を見てみると、あるじゃないか! 「松屋ビーフカレーソースミニ」!

「松屋ビーフカレーソースミニ」(350円)「松屋ビーフカレーソースミニ」(350円)

カレーソースのみで350円はちょっと贅沢品だけど、今日は祝いの席だ。迷わずボタンを押した。実際に届いてみると、ミニと言いつつけっこうな量があり、これで350円はぜんぜんありだろう。松屋飲みの可能性が一気に広がった気分。

というわけで、まぜ牛めしのどんぶりから、牛めしと温玉の一部を移設し、"ミニ温玉カレー牛~アネックス~"を作っておく。これで晴れて、まぜ牛めしとカレーの両方が堪能できるというわけだ。この行為が豊かなのか貧しいのか、そんなことは僕にはわからない。ただ、楽しいということしか。

誕生した新館誕生した新館

まずは食べたかったカレーをひと口ぱくり。あれ? 松屋のカレーの濃い味は大好きだったけど、それにしてもこんなに濃厚だったっけ? しかも、こんなにごろっとした牛肉、入ってたっけ? 

と思ったら、松屋のカレー、今年の頭から「松屋ビーフカレー」に変わっていたらしい。僕はその前の「オリジナルカレー」のファンだったから寂しさもあるけれど、これはこれでうまいな。それに、松屋のメインカレーってころころ変わるからな、きっといつかオリジナルカレーの復帰もあることだろう。今日のところはこの、牛の旨味濃厚なこってりソースを楽しんでおくことにしよう。実際、ビールにめちゃくちゃ合うし。

さていよいよ、台湾風まぜ牛めしだ。こういう料理は、思いっきりかき混ぜて食べるのが流儀なんだろうけど、意地汚い僕は、少しずつ少しずつ全体を崩しながら、味の変化を楽しむのが好きだ。まずは、特製だれとごはんの相性を味見してみる。お~、なんとも形容しがたい、まろやかかつほんのりと異国の香り漂う味わい。確かにこれは台湾かもしれない! ......いや、よく考えたら、僕は台湾に行ったことがないし、台湾料理にも詳しくはないから、これが台湾風なのかどうかはよくわからないけど、とにかく好きな味だ。

台湾、行ってみたいな台湾、行ってみたいな

甘さとしゃきしゃき食感際立つキムチは、メンバーたちを鼓舞するサブリーダーか。そこにねぎや海苔の風味が加わると、そのたび味わいが変わるのもいい。主たる食材は牛めしのアタマだけど、特製だれのおかげでどこかよそ行きの顔になっているのがおもしろい。定番の「ビビン丼」にも似ているけれど、それよりずっと穏やかで、だけどきちんと個性もあり、端的に説明するならば「ほんのりエキゾチックな具沢山玉子かけごはん」か。カレーと交互に食べるのが楽しい。

徐々に徐々に、全体を混ぜつつ徐々に徐々に、全体を混ぜつつ

ところで最近、思うことがある。料理において、複数の味や食材を混ぜることは、味を高めていくことではなく、むしろぼやかしていくことなのではないかと。スープのひと口目が最高に美味しかったラーメンも、素人の自分がどんどん卓上の薬味を足してゆくことにより、最終的になにがなんだかわからないぼんやり味になっている。

そういう意味で、混ぜることが前提の料理って、実はものすごく計算された、ハイレベルなものなのだ。混ぜれば混ぜるほどにうまくなる。ぼやけるのではなくて、優しく調和していく。この台湾風まぜ牛めししかり、それって実は、簡単なことじゃない。

とか言いつつ、おろかな僕は最終的に「試しに」なんて紅しょうがを足してしまったりして、「やっぱりいらなかったかな......」と反省するのだった。

ごちそうさまでしたごちそうさまでした

パリッコ
1978年東京生まれ。酒場ライター、漫画家、イラストレーター。
著書に『酒場っ子』『つつまし酒』『天国酒場』など。2022年には、長崎県にある波佐見焼の窯元「中善」のブランド「zen to」から、オリジナルの磁器製酒器「#mixcup」も発売した。
公式Twitter【@paricco】

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