ある日、あるとき、ある場所で食べた食事が、その日の気分や体調にあまりにもぴたりとハマることが、ごくまれにある。
それは、飲み食いが好きな僕にとって大げさでなく無上の喜びだし、ベストな選択ができたことに対し、「自分って天才?」と、心密かに脳内でガッツポーズをとってしまう瞬間でもある。
そんな"ハマりメシ"を求め、今日もメシを食い、酒を飲むのです。
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ここ2ヶ月ほど、続きものの取材で千葉県をちょくちょく訪れている。
それも、主要駅の飲み屋街などではなく、どちらかというとアウトドア系の企画なので、外房や内房の、海沿いの街へ行くことが多い。この日も、東京湾アクアラインを渡ってすぐの木更津市にある、とある海沿いのキャンプ場が取材場所だった。
東京の西側で生まれ育ったので、海には強い憧憬がある。それは、南国のエメラルドブルーの海だろうと、ひなびた漁村の海だろうと変わらない。このあたりは潮干狩りのメッカということもあり、海岸はさまざまな貝がらで埋めつくされ、どこが現実味がない。さらにこの日の外房は、若干の曇天で風が強かったこともあり、どこか荒涼とした雰囲気。だが、その感じが僕の感情を強烈に揺さぶる。やっぱり、海はいいな......。
なんて、浸りきっている僕の心中とは裏腹に、なじみのクルーとの取材はなごやかに進行し、つつがなく終了。朝早くに東京を出てきたこともあって、まだ昼時だ。そういえば行きの車中、ここに到着するすぐ手前に、雰囲気の良さそうな食堂ののぼりが見えた。木更津の海辺食堂。絶対に良さそう。満場一致で、そこへ行ってみることになった。
その食堂は地元の「与兵衛水産」という水産加工会社が経営しているらしく、大きな作業場や倉庫のような建物のなかを通って店に向かう道中からして、わくわくする。やがてたどり着いた広い駐車場の一角に、目指す「かもめ食堂」はあった。
ひと目建物を見た瞬間に、これこれ! 求めていた感じ! と、僕はズキューンと胸を撃ち抜かれてしまった。
必要最低限のプレハブ的佇まい。濃紺地の布に純白で書かれた「かもめ食堂」の文字。これ以上になにを求める? というシンプルさ。あぁ、旅情。好きすぎる。
店内は、想像以上に広々として、明るい雰囲気だ。人気店のようで、すでに6割くらいの席が埋まり、みんな幸せそうに食事をしている。
メインメニューは、以下の6種類のみ。その潔さがまたいい。
「穴子丼」(1300円)
「えび天丼」(1300円)
「まぐろ丼」(1300円)
「煮穴子重」(1400円)
「生姜焼き定食」(900円)
「煮魚定食」(1100円)※すべて税込
写真を見る限り、穴子丼は、どんぶりから大きくはみ出るサイズの穴子天が2本のった天丼。煮穴子重は、いわゆるうな重スタイル。穴子ものが2種類あることからして、店の名物と推測される。1品だけある肉ものの生姜焼き定食は、この店をふだん使いする地元民への気遣いだろう。
穴子丼と煮穴子重で迷ったが、穴子丼はかなりわんぱくな印象があり、食べきれるかどうか不安だ。それに、同じくらい魅力的でもある。今日は、煮穴子重にしてみよう。カメラマンさんも同じく煮穴子重、編集さんは、えび天丼を選んだ。
それから、いつも運転をしてくれるカメラマンさんには悪いんだけど、心優しき彼は、「いつでもどこでも、遠慮なく飲んでくださいね。それがパリッコさんのお仕事でもあるんですから」と言ってくれる。なんていい人なんだろう。というわけでお言葉に甘え、瓶ビールでもあれば1本飲ませてもらいたいところ。メニューには見当たらないけれど、女将さんらしき方に聞いてみると「ありますよ!」とのこと。最高!
瓶ビールにはサービスで、あさりの佃煮がついてきた。地元でとれ、与兵衛水産で加工されたものだろう。ありがたい。濃厚な甘辛さに負けないあさりの身自体の味の濃さで、追いかけるスーパードライがうますぎる。
そして堂々の煮穴子重到着。大きなお重に、下のごはんが見えないほどの煮穴子が敷き詰められている。みそ汁の具はこれまたあさり。素朴な味つけのきんぴら、漬物、サラダも嬉しい。
いざ、柔らかな穴子の身にさくりと箸を入れ、ごはんとともに口へ。あぁ......これは、幸せの味だ......。
ふっくらとした穴子の身は、見た目の似たうなぎとはベクトルが違い、高級な白身魚の美味しさ。そこに甘辛く、それでいてしつこさのないたれが染み、なんとも上品な味わいだ。卓上の山椒をかけるとさらにビールがすすむ。しかも、見た目にはわからないけれど、長い穴子の身はごはんにのせる際、一度折りたたまれており、つまりは身が二重になっている。その満足感たるや。
やっぱり自分の選択は間違ってなかった! と、しばらく悦に入りつつ黙々と堪能していると、隣席の男性のテーブルに穴子丼が運ばれる。そのインパクト、そして、こちらにまで届いてくる揚げたて天ぷらの香ばしさがたまらない。
思わず「うまそう......」と声が出る。するとカメラマンさんも言う。「実は最後まであっちと迷ったんですよね~。僕が穴子丼を頼んでパリッコさんとシェアするというのも考えたんですけど、このご時世なので」。白状すると実は、さっき僕もまったく同じことを考えていた。まったく、このご時世め。こうなってくると、穴子天を食べて帰らないと絶対に後悔しそうだ。
そこで僕は店内じゅうを、あらためてくまなく眺めなおした。するとなんと、給水機の横に、ごくごく小さなメモ紙で、手書きの単品メニューがあることを発見。もはや執念だ。もちろん穴子天もある。それを1本追加し、半分ずつに割って、それぞれの器にシェアすることにした。
わはは! こりゃあすげぇ。大きな皿からさらに大きく飛び出す穴子天。取り箸で割って半分を自分の器へ。穴子天・オン・煮穴子。なんて贅沢だ。
煮穴子とは印象がまったく変わり、身がふわっふわ。その身をしっかりと覆うサクサクの衣は、揚げ油にごま油も混ぜてあったりするんだろうか? ものすごく香ばしく、天丼のたれのこってりさまで加わって、ごはんもビールも止まらない! いやぁ、本気で良かったな。かもめ食堂。そりゃあ、自分の家の周りにだって、好きな飲食店はいくらでもある。けれど、ちょっと東京湾を渡っただけで、ここまで違うカルチャーに触れられるというのが、日本の豊かなところ、おもしろいところだ。
とりあえず、木更津にはまた、かもめ食堂のためだけにやって来てしまうかもしれない。
パリッコ
1978年東京生まれ。酒場ライター、漫画家、イラストレーター。
著書に『酒場っ子』『つつまし酒』『天国酒場』など。2022年には、長崎県にある波佐見焼の窯元「中善」のブランド「zen to」から、オリジナルの磁器製酒器「#mixcup」も発売した。
公式Twitter【@paricco】