ある日、あるとき、ある場所で食べた食事が、その日の気分や体調にあまりにもぴたりとハマることが、ごくまれにある。

それは、飲み食いが好きな僕にとって大げさでなく無上の喜びだし、ベストな選択ができたことに対し、「自分って天才?」と、心密かに脳内でガッツポーズをとってしまう瞬間でもある。

そんな"ハマりメシ"を求め、今日もメシを食い、酒を飲むのです。

* * *

出張仕事で、神奈川県厚木市にある、本厚木駅前のカプセルホテルに1泊した。明けて翌日の予定は、家に帰ればいいだけ。気楽そのもの。せっかくなので、どこか地元らしい店で昼メシでも食べて、さらに可能ならばそこで一杯やって帰りたい。

朝型の僕はチェックアウトの2時間前の8時くらいにはもう目が覚めてしまい、1時間ほどそこでうだうだと過ごしていたが、いつまでもそうしていてもしかたない。せっかくめったに訪れない街だし、朝の散歩でもしてみるか。

本厚木駅付近の風景  本厚木駅付近の風景

記憶にある限り初めて降り立った本厚木の街。僕の第一印象は「山が近い」。そして「チェーン店の街」だ。駅前の繁華街はとても栄えているが、そこに並ぶのは有名な飲食チェーン店が多く、日本の主要チェーンはすべて本厚木に集結しているのでは? と感じるほど。

それでも、こんなに大きな街なんだからきっと僕好みの、この街に古くから根付いている個人の飲食店だってあるはず。なに、時間はたっぷりとある。ゆっくりのんびり、周辺を散策してみることにしよう。

と、あてもなく歩き回ること30分ほど。駅から直線距離だと徒歩10分くらいの位置にある相模川のすぐそばに、ものすご~く気になる店を発見してしまった。真っ赤なひさしに大きく「タンメン・餃子の店」とあり、店名は「ラオシャン」というらしい。いわゆる町中華的な佇まいだが、本場大陸中華っぽさも感じさせるその名前が興味深い。

良さそうな店だ  良さそうな店だ

さらに店の前まで近寄って行ってみると、なんというかもう、完璧! ここここ! 僕が探し求めていた店は! という感じ。加えて、今はまだ朝の9時半だけど、入り口の前にはのれんが下がっていて、ドアも開いている。なんと営業中のようだ。そりゃあ、入るに決まってる。

本厚木「ラオシャン」 本厚木「ラオシャン」
真っ赤な(そして年季によってそれがピンク色になった)コの字カウンターのなかに、女将さんらしき方がひとり。念のため、「もう入れますか?」と聞くと、「どうぞどうぞ! うちは朝9時からやってますから」とウェルカム状態だった。まだ客は僕ひとり。あまりにも出来すぎたシチュエーションに、嬉しさを通り越してもはや感動してしまう。

ラオシャンの店内  ラオシャンの店内

表のひさしにあったとおり、いちばんの看板メニューはタンメンのようっだ。「タンメン」「ワカメタンメン」「月見タンメン」「月見ワカメタンメン」と、それぞれの大盛りで、8種類のバリエーションがある。タンメンは530円、盛り盛りでなんだかいかつい名前になっている「大盛月見ワカメタンメン」でも770円とリーズナブル。そしてありがたいことに、酒類もあるぞ。というわけで無事、朝ビール in 本厚木にありつくことができた。

メインメニュー  メインメニュー
「ビール」(660円) 「ビール」(660円)

さて料理。まず、もちろんタンメンは頼みたい。初めてだからプレーンかな。それからもうひとつの名物が餃子らしいけど、タンメンと餃子は......めっきり食の細くなってきた自分に食べられるだろうか。よし、ここは餃子は見送り、その横の、もうちょっと軽そうな「玉子焼」にしてみるか。

と、注文した僕に、女将さんがフレンドリーに話しかけてくれる。

「いいわね~、朝からビール。先に玉子焼き焼くから、タンメンは少しあとにしましょうか?」 「ありがとうございます。昨日仕事でこっちへ来て、今日は帰るだけなので」

聞かれてもないのに言い訳で答える僕。大きな鍋のフタの上にスタンバイする麺が、なんだか妙に真っ白くてきれいだ。

純白の麺 純白の麺

すぐに玉子焼きが到着。けっこう珍しい気がする鉄製の中華皿にのった、素朴な雰囲気がたまらない。これは我ながら、いいチョイスだったんじゃないだろうか。

「玉子焼」(460円)  「玉子焼」(460円)

硬めに見えるが、箸を入れるとふわりとほぐれる玉子。黄身と白身が混ざりすぎていない絶妙さが良く、具は玉ねぎと、小さく刻まれたワカメのようだ。しっかりと塩気が効いていて、なにもつけずとも最高にビールに合う。

「好き」という言葉以外出てこない  「好き」という言葉以外出てこない

他にお客さんがいなかったこともあり、女将さんは一見の僕に、親切にいろいろと話かけてくれた。この店は創業から57年で、これからやってくる息子さんや娘さんとの家族経営であること。コロナの前は朝の9時から夜10時までの通し営業。「今は夜の8時までになったから、ぜんぜん大変じゃないわよ」という力強い言葉。それから、ラー油も自家製であること。餃子も人気で、そのラー油をつけて食べると美味しいということ、などなど。

カウンター上に置かれた自家製のラー油 カウンター上に置かれた自家製のラー油

そんな話を聞いてしまっては、餃子も食べないわけにはいかない。よし、今日はもう、この店に骨をうずめる覚悟でいこう。女将さん、タンメンの前に餃子もひとつ、お願いします。

「餃子」(500円)  「餃子」(500円)

餃子は焼き目のしっかりとした平べったいタイプが6個。むちっとした皮を噛みしめると、おぉ、今までに食べたことのないタイプ。餡自体がこれまたしっかりとした味つけで、しかもほんのりととろみがある。自家製の香ばしいラー油をからめると、これはもう、問答無用でビールが加速する餃子だ! なんてひとり興奮しつつ、そうそう、そろそろタンメンをお願いしなければ。と、女将さんにお願いすると、意外なひと言が。

「普通のタンメンで大丈夫? うちのタンメンは玉ねぎしか入ってないけど」

ん? タンメンって、塩ラーメンに野菜炒めがどっさりのってるようなラーメンだよね。その野菜が、玉ねぎオンリーってこと? 不思議に思い聞いてみると、ラオシャンのタンメンは刻み玉ねぎがほんのりと入っているだけのごくシンプルなもので、嫌いな人以外はみな、ワカメののったワカメタンメンを注文するらしい。どんなのだそれは。がぜん興味が湧いてきたぞ。そこで注文を「ワカメタンメン」、そして「玉ネギ多め」プラスに変更。

「ワカメタンメン 玉ネギ多め」(600円+70円) 「ワカメタンメン 玉ネギ多め」(600円+70円)
う、うわー! これがタンメン!? ちょっと衝撃が大きすぎて理解が追いつかない。が、この未知の料理に対するわくわくが止まらない。

まずはスープをひと口。ん? え~と、一発では理解できないな。だしは、鶏? 豚や牛や魚介でないことは想像できる。けれども、あまりにも優しい味で、バカ舌の自分には確信が持てない。とはいえ、薄いとかそういうことではない。しっかりと舌と心が癒される旨味がちゃんとある。そして、ほんのりと酸味がある。そのバランスがまたいい。「シメに食べたいラーメン」とか「酒を飲んだ翌朝に食べたいラーメン」などとラーメンを表現することがあるけれど、ラオシャンのタンメンはその究極なんじゃないだろうか。

清廉な一杯 清廉な一杯

ふわりとした口当たりの麺がまた、スープに完璧に合う。シャキッとした玉ねぎの甘みや、このタンメンに浮かんでいるからこそしっかりと感じられるわかめの旨味も、なにもかもがすごい。

後半はラー油をプラスして 後半はラー油をプラスして

いつまでも味わっていたい優しさの海ではあるけれど、ここに自家製ラー油をプラスするのもまた、女将さんのおすすめだそう。残り3分の1ほどになったところで試してみると、うんうん、ぐっとスープに力強さが加わって、これまたうまい。だけどあぁ、あの気高さすら感じる、最初の味わいに戻れないのがちょっと寂しい......。

いい時間を過ごさせてもらえて感謝 いい時間を過ごさせてもらえて感謝

後日調べてみたところ、ラオシャンのタンメンは「平塚タンメン」と呼ばれる系譜のもので、まだ僕も完全に把握はできていないけれど、規模はそんなに大きくないながら、あのあたりのご当地グルメのひとつであるらしい。いずれ平塚タンメンを追い求める神奈川旅もしてみたいし、というかもう今、ラオシャンが恋しいし......。

ちなみにラオシャンでは、麺、玉ねぎ、スープ、ラー油がセットになった持ち帰り用の生タンメンも販売されている。ひとつおみやげに買って帰り、家で、あえてワカメを入れないプレーンの状態で作ってみた。

「タンメン」 「タンメン」

で、そのあまりにもシンプルな見た目に思わず笑ってしまった。麺のゆで加減がお店とはぜんぜん違ったりはするんだけど、スープをすするとやっぱりあの味。

それにしても、まずいなぁ。一度の出会いで、完全にとりこになってしまった。ラオシャンと、ラオシャンのタンメン。今後は本厚木まで、年に数度は通うことになりそうだ。

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