「ずっと将棋が好きで、チャンスがあったら常に挑戦していたのが良かったのかなって」と語る小山怜央さん「ずっと将棋が好きで、チャンスがあったら常に挑戦していたのが良かったのかなって」と語る小山怜央さん

藤井聡太六冠の活躍で盛り上がる将棋界に異色のホープがいる。それが4月1日付でプロ棋士になる小山怜央さん(29歳)だ。プロ棋士養成機関の奨励会を経験せずにプロ入りするのは、現制度になってからは初の快挙となる。"非エリートの星"と注目されている小山さんにこれまでの長い道のりを振り返ってもらった。

■大谷選手に通じる歴史的な快挙!

――地元では敵なしの天才少年たちが、プロを目指して全国から集結する奨励会。入会することさえ至難の業ですが、入った後も奨励会員の10人にひとりしかプロになれないといわれる厳しい世界。

そんな猛者たちが切磋琢磨(せっさたくま)する奨励会の経験なしでプロになるのは考えられないこと。それだけに反響がスゴいです!

小山 私も驚いてます。

――小山さんは岩手県出身初のプロ棋士ということもあって、達増(たつそ)拓也岩手県知事は「非常にスゴい。今まで誰もしていないことを成し遂げる、大谷翔平選手の二刀流に通ずるところがある」と大絶賛。

小山 いえいえ、本当に恐縮です。ただ、自分としては全力で頑張ったので、そういうふうに評価していただけたのは本当にうれしかったです。

――早速ですが、将棋を始めたきっかけから教えてください。

小山 私は昔から好きになると熱中してしまうタイプで、8歳のときにゲームボーイのやりすぎで体を壊して入院したんです(笑)。

それで、ゲームに代わる遊びとして、親の勧めで将棋を始めました。最初から夢中になったわけではなく、大会に出るようになって、勝ちたいという気持ちが強くなってからですね。

――勝負師の血が騒いだ、と。

小山 中学生になると、全国大会で2度ほど3位に入賞したこともあり、プロになりたい気持ちが強くなりました。それで中3のときに奨励会に挑戦したんです。

――残念ながら、結果は1次試験の段階で不合格。へこみませんでした?

小山 相当へこんだように記憶しています(笑)。やっぱり全国には強い人がたくさんいるんだなって。

――現実に直面して、将棋をやめようとは思わなかった?

小山 それはなかったです。将棋を指すこと自体は楽しかったので。でも、奨励会に落ちたことで、プロへの道は諦めようと思いました。

――その後も、大学3年生のときには「全日本学生名人戦」で優勝。翌年は「アマチュア名人戦」でも優勝するなど、アマ強豪として名を轟(とどろ)かせます。そして、大学4年生のときに再度、奨励会に挑戦!

小山 アマチュア名人戦で優勝すると、「奨励会三段への編入試験」の権利を得られたんですね。それで「チャンスがあるならやってみよう」と思い立って、大学を半年間ほど休学して挑みました。

――ところが、2回目の挑戦も2勝3敗で不合格に。

小山 編入試験がダメだったら就職しようと決めていたので、就活を経てIT関連企業に入社しました。

――社会人になっても、大会で実績を残されています。

小山 ただし、仕事があるので、普段の勉強は1時間くらい。大会だけはしっかり出るという生活をしていました。

――それでも大変ですね。

小山 転機になったのはコロナ禍です。在宅勤務が増えたことで、通勤がない分、時間が取れるようになり、気持ちにも余裕ができてきました。

社会人時代はシステムエンジニアとして働いていた小山さん。「主に社内のアプリケーションの開発をしていました」社会人時代はシステムエンジニアとして働いていた小山さん。「主に社内のアプリケーションの開発をしていました」

――そして、2021年4月に大きな決断を下します。

小山 公式戦でプロを相手に「直近10勝以上、かつ、勝率6割5分以上」の成績を挙げたらプロへの編入試験が受けられる制度があって、それに手が届く位置にいたんです。それで、将棋に集中するために仕事を辞めました。

――勇気がいる決断です。もし、失敗したら「将棋が強いだけの無職の人」になるわけですから(笑)。

小山 その頃の私の将棋はかなり雑だったので、そこを改善していけば、もう少し結果を出せると思ったんです。なので将棋の時間を増やすためには退職しかなくて......。

――仕事を辞めることに不安はなかったんですか。

小山 もちろんありましたけど、いざというときのために貯金をしていたので、2年くらいは無職でもなんとかなりそうかなって(笑)。とにかく年齢的にも最後のチャンスだと思って決断したんです。

――退職後はどんな生活を?

小山 最初はAIを使ってひとりで研究しながら、ネット将棋で実践するのがメインでした。そのうち会社を辞めたことを聞きつけた将棋関係者が研究会に誘ってくださり、そこから参加する研究会が増えていった感じです。研究会には現役の奨励会員も多く参加していたので、それは本当にありがたかったですね。

――研究会で腕を磨き、ついにプロ相手に規定の成績を挙げて、編入試験の資格を得たのが去年の9月。

小山 一歩前進することができ、本当にうれしかったです。

――去年11月から編入試験が始まり、プロ棋士を相手に3勝1敗の成績で見事、編入試験に合格! 現制度になってからは前代未聞の「奨励会の経験がないプロ棋士」が誕生することになりました。

小山 長い戦いがやっと終わって本当にほっとしました。

――ともあれ、29歳でプロデビューは相当な遅咲きです。トップ棋士は中学生でプロになっていますから(藤井聡太[そうた]は14歳、羽生善治[はぶ・よしはる]は15歳)。そのへんはどうですか。

小山 実は私の師匠(北島忠雄七段)がプロになったのも同じ29歳なんです。そんな師匠が活躍されている姿を見ると勇気をもらえますし、私も同じように頑張りたいという気持ちになります。

――3度目の挑戦にして夢をかなえ、しかも史上初の快挙も成し遂げた小山さんに勇気をもらった人も多いと思います。今回の高い壁を乗り越えられた秘訣(ひけつ)はなんですか。

小山 ずっと将棋を好きでいたこと、チャンスがあったら常に挑戦してみようという気持ちが良かったのかなって。

――10代でプロ棋士になった将棋のエリートたちに交じって、"非エリートの星"の戦いはこれから始まります!

小山 応援してくださった皆さま、本当にありがとうございました。日々勉強してもう少し上のステージに行けるように頑張ります!

●小山怜央(こやま・れお)
1993年7月2日生まれ、岩手県釜石市出身。8歳から将棋を始め、アマチュア時代は全国屈指の強豪として名をはせる。4月1日付で日本将棋連盟所属のプロ棋士(四段)に