ある日、あるとき、ある場所で食べた食事が、その日の気分や体調にあまりにもぴたりとハマることが、ごくまれにある。
それは、飲み食いが好きな僕にとって大げさでなく無上の喜びだし、ベストな選択ができたことに対し、「自分って天才?」と、心密かに脳内でガッツポーズをとってしまう瞬間でもある。
そんな"ハマりメシ"を求め、今日もメシを食い、酒を飲むのです。
* * *
早めの夕方に池袋でひとつ用事が終わり、次なる仕事の現場は渋谷で、夜の7時半から。まだ数時間の余裕はあるけれど、先に渋谷に移動しておけばなにかとスムーズだろう。この日は昼食を食べていなかったから、てきとうな店を見つけて軽くなにか食べて、時間があれば、持ってきたノートPCで原稿仕事を進めておくか。そんな計画をぼんやり描き、渋谷の街へ降り立った。
前回来たのがいつだったか思い出せないくらい久しぶりにやって来た渋谷の街は、再開発が進みに進み、数十年を経た未来都市のように変貌を遂げていた。
会社員をやめてフリーライターになって以来、満員電車や人の多い街というものにすっかり耐性がなくなってしまった。以前は毎日のようにふらついていた池袋も、久々に訪れると、忙しそうに行き交う人々をよけて歩くのが精一杯だ。
が、渋谷の街はその比ではなかった。駅前から見渡す限りを埋め尽くす人、人、人。その人々が、事もなげにお互いにぶつからないようすれ違い、颯爽とそれぞれの目的地へ向かってゆく。まるでこの街で自分だけがどんくさい障害物のような気がして、ここにいちゃいけないんじゃないかという気になってくる。とても、軽くメシを食うのにてきとうな店を探すどころじゃない。人々の波に弾き出されるようにたどり着いたのは、宮益坂の中腹だった。
ふと横を見ると、「宮益御嶽神社」へと続く立派な石段がある。へぇ、こんなところに神社が、と、なんとなくお参りをしてみる。周囲を高層ビルに囲まれた、エアポケットのような静寂。突然心がすっと落ち着き、さっきまであった焦燥感のような気持ちは、すっかり消えてしまった。
考えてみれば時間もあるんだしと、春の陽気の心地よさを堪能しながら、人の少ない方面を選びつつふらふら歩いていると、やがて吸い寄せられたかのように、1軒の店の前にたどり着いた。「味の店 錦」。なかなか年季の入った町中華のようだ。シチュエーション的には「渋谷ヒカリエ」の、路地を挟んだ向かい側。渋谷のこんな一等地にもまだ、古い店って残ってるんだな。
店前のショーウインドーを見てみると、「焼酎、紹興酒 ボトルキープ出来ます」の文字が頼もしく、飲み客に対してももかなり懐の深い店のよう。ビールやサワーのサンプルに並ぶホッピーの瓶も嬉しい。
おれはついに見つけたぞ、渋谷に居場所を!(気が早い)
店内に入ると、まだ夕飯の時間には少し早いとはいえ、気だるげに酒を飲むカップルが1組だけ。さっきまでと同じ街にいるとは思えない。壁際のカウンター席に着き、ホッピーセットを注文。しっかりとナカの濃いそれを飲みながら、やはりここは自分のような人間を優しく迎えてくれる場所だなと、そのありがたさを噛みしめるのだった。
さて注文。この立地にあって、オーソドックスな「支那麺」が590円、「餃子」が460円は驚異的だ。麺類も定食も種類豊富。「ナンコツ唐揚げ」や「中華風やっこ」などのつまみも充実。さらに、「レバニラ炒め」や「麻婆豆腐」などメイン料理の「小皿」バージョンがあって、440円から頼めるのもありがたい。ここは小皿ふたつくらいが妥当か? とも思ったけれど、最終的に惹かれざるをえなかったのが、幅広いセットメニューのページだ。
「しょうゆ焼麺」が単品820円で、そこに「半ワンタン」がセットになると960円といった具合。どう考えてもお得だし、さっきの小皿ふたつ作戦と大して値段が変わらないとなれば、これはもう、セットを攻めるべきな気がする。
というわけで、「しょうゆ焼麺 半ワンタンセット」を頼み、しばし飲みながら待つ。やがてそのセットが到着し、僕は心の中で歓声を上げた。
これは豪華だ。勝手に控えめな量がやってくると想像していたしょうゆ焼麺が、表のメニューサンプルの倍くらいのボリュームがある。ワンタンスープも、ハーフといえど、お高く止まったラーメン屋の通常サイズのどんぶりくらいは余裕である。
そもそも、最初の印象は町中華だったけど、店員さんはみな大陸系と思しき方々。焼麺もどこか上海焼きそばを思わせる佇まいだし、それが盛りつけられた大皿が白いプラスチック製というのも、なんともいい。
まずはワンタンスープから。スープはクリアだが、しっかりと鶏だしと塩気が効き、にんにくのパンチもあってすごくうまい。大ぶりの皮に包まれた肉餡は、シンプルにしょうがの風味が効いた豚肉。それから、しゃきしゃきのもやしとわかめ。なんならつまみ、この1品でも事足りたくらいに満足感があるぞ。
ところが僕には、さらにメインの麺がある。じっくりと観察してみたところ、豚肉、きくらげ、しいたけ、たけのこ、にんじん、にら、玉ねぎ、ピーマン、もやし、青のりと、具沢山にもほどがある豪華な一品だ。麺はむちむちっとした細麺で、すすり心地も舌触りもたまらない。オイスターソースベースで香ばしく炒められた、いわゆる日本のソース焼きそばとは別ものの、僕が最近、酒のつまみにするのに超ハマっているタイプだ。いや~、最高!
麺自体が食べても食べても食べ飽きないうえに、たっぷりの具材がつまみになる焼麺(今思ったけど、焼麺ってなに?)。本体もスープも具もたっぷりのワンタン。それらをズズズ、ズズズとひたすらすすりつつ、ナカをおかわりしたホッピーをぐびぐび。ここは本当に、さっきいたのと同じ渋谷なのだろうか?
最終的にあまりにも満腹になった腹をさすりつつ、どんな世界にも、自ら探せば自分を受け入れてくれる場所はあるのかもしれないと、希望の光のようなものをすら感じてしまう名店だった。