27歳という若さでステージ4のがんを患った女性の日々を記録したドキュメンタリー映画『ケアを紡いで』が4月1日より全国順次公開中だ。
就学や就職、出産や育児など人生の転機に直面する年齢でありながら、医療支援制度の薄い谷間世代(いわゆるAYA世代)の苦境を背景に、重い病が進行する姿をあくまで日常の暮らしの中で捉えた映像の数々は、その題材の深刻さとは裏腹に、清々しいとすら言える印象を与える。
命のはかなさや病の悲惨さを訴える内容とも、社会制度の不備を告発するような内容とも違う、この異色のドキュメンタリーは、いかに撮られたのか。監督の大宮浩一氏インタビューの前編をお届けする。
■「こういう題材を商業作品にしていいのか」
――『ケアを紡いで』は27歳で舌がんに罹患した鈴木ゆずなさんという看護師の方が、その夫である翔太さんと共に病と向き合っていく姿を収めたドキュメンタリーです。
大宮 おふたりのことは映画にも登場するNPO法人「地域で共に生きるナノ」(障がい者のためのデイケアサービス施設)の理事長・谷口眞知子さんのご紹介で知りました。谷口さんは僕の最初の監督作『ただいま それぞれの居場所』を制作した頃からの知り合いで、「すごく素敵なご夫婦がいらっしゃるから、ぜひ会ってみてほしい」ということでした。それで埼玉県三郷市のご自宅に伺ったのです。ただ正直に言うと、僕は撮影をお断りするつもりでした。
――それはなぜですか?
大宮 こういう題材をドキュメンタリーにすると、どう撮っても"感動ポルノ"になってしまうと感じたからです。「この映画は亡くなるのを待っているな」と思われる危惧があったからです。そういう作品を否定はしませんが、それは僕の守備範囲ではありません。撮影が始まってから「やっぱり無理だ」となるよりは、最初からご遠慮したほうがいいと思ったのです。
大宮 想像と違って、おふたりの姿がとても爽やかだったんです。深刻な状態にあるとは思えないほど雰囲気がとても良かった。そして、ゆずなさんの「伝えたい」という強い気持ちを感じました。これなら危惧していたような映像にはならないかもしれないと思って、撮影することにしました。
――しかし、その時点ではまだ、映画として公開することは考えてなかったそうですね。
大宮 作品としてどうこうは考えていませんでした。劇場公開する当てもなかったですし......。そもそも、こういう題材の映像を商業作品にしていいのかという葛藤もずっとありました。だから、まずはおふたりに観ていただくことを第一の目的として撮影を急ぎました。
でも、ゆずなさんに完成したものをご覧いただくことは叶いませんでした。ご主人の翔太さんにはご覧いただき、とても喜んでくださいました。「この作品があれば、ゆずなちゃんにいつでも会える」と言ってくださったんですね。それから公開に向けた話が始まったという経緯です。
■肉親のインタビューが一切ない理由
――大宮さんが撮影を決意するにあたっては、ゆずなさんの言葉も大きかったとか。
大宮 ゆずなさんとしては、看護師として患者を支える側だった自分が、人から支えられる立場になり、悩んだことや思いを記録しておきたいという気持ちがありました。しかし、僕は撮影に及び腰だったので、初めてお会いしたとき、「それならご自身でSNSなどで発信されたらどうですか?」とお伝えしたんですよ。すると、「他人がいいんです」とおっしゃって。その言葉に僕は惹き付けられました。
それは僕が思うに、病気になる前の自分を知っている人より、今の自分しか知らない人に撮ってほしいということだったのではないでしょうか。どういう幼少期だったとか、なぜ看護師になったのかとか、そういうことを知らない人だからこそ、ありのままの今の自分を撮ってくれるのではないか。そう受け取りました。だから、この作品ではゆずなさんの肉親のインタビューはあえて撮影しませんでした。
――そうなんですよね。普通なら親御さんの葛藤も撮影して、そこを泣ける場面としてピックアップするのに。
大宮 僕が撮影中、勘違いしないようにずっと気を付けていたのは、これはゆずなさんの言葉や思いを発信するための作品なのだということです。僕らはそのお手伝いをしているにすぎない。ドキュメンタリー映画として......という視点を持ち込んでしまうと、本来の目的からズレていってしまう。
だから、作品の中でお話をうかがったのも、「ナノ」の谷口さんだったり、ゆずなさんの先輩の看護師さんだったりと、血縁関係ではない人たちだけなんです。それに......ゆずなさんは僕の子どもよりも若い方ですから、自分が親としての立場で想像したら、カメラを向けられたくはないですし...。
ほかのドキュメンタリー作品は違いますよ。例えば、認知症の方のドキュメンタリーだったら、周囲の人々の言葉で人物像を掘り下げていかざるを得ない。でも、今回はゆずなさん自身が発信したい言葉を持っているわけですから、僕らがすべきなのは、それを真正面から受け止めること。僕が監督としてやったのは観客が観やすいように整理したくらいです。
病状に関するテロップなど、説明は必要最低限に留め、基本的には全編、彼女の言葉をできるだけ多く、そのまま伝えることに注力しました。
■彼女はさまざまな生きづらさを抱えた人たちの代表
――ゆずなさん自身が病気に絶望しておらず、一貫して前向きに生きようとされているからでしょうか、あらすじを聞いた鑑賞前の想像とは違い、映画を観ると爽やかな印象さえ受けました。
大宮 試写会でもらった感想の中でも、ゆずなさんと同世代の方々から、そういった声がありました。ポジティブな気持ちなるという方が多いみたいですね。
――"感動ポルノ"にしたくなかったというお話もありましたが、監督ご自身は、これは何を扱った映画だと考えていますか?
大宮 題材こそ重い病気を患った若い女性の話ですが、彼女は病気に限らず、さまざまな生きづらさを抱えた人たちの代表なのだと思います。「ナノ」にいらっしゃる障がい者の方々もそうです。でも、その生きづらさを強く訴えるような映画ではありません。
もちろん、ゆずなさんはたくさんの悩みや葛藤はあるんですけど、それだけが、カメラを通じて彼女が伝えたいことではありません。そこを強調するのは、撮る側の作為を入れることになってしまいます。
――病気になったゆずなさんの正直な言葉を伝えることが目的であって、病気の苦しさ、辛さを、あるいは制度の不備を強調するようなことは意識的に避けたわけですね。
大宮 ええ。僕らはゆずなさんの人生のある時期を撮らせていただいただけというか。
――ゆずなさんを題材に映画的なドラマを構成するのではなく、その人生の一部に立ち会ったというスタンスを最後まで貫いた。
大宮 だから、この映画を観てポジティブな気持ちになるのだとしたら、それはゆずなさんの力であり、このような状況でもうつむかなかった彼女のすごさなのだと思います。
――それはゆずなさんが看護師でもあるということも大きかったのでしょうか。一般の人に比べて、病気を客観的に受け止められていた感じがありました。
大宮 それはあったかもしれません。少し引いて自分を見ているような方でした。僕が同じ境遇だったら絶対にできない。先輩の看護師さんにも、「自分の姿を世間に発信することで、社会貢献になればいい」と話していたそうです。それはいまだにすごいなと思います。
――そう考えると、「大宮浩一監督作」ではありますが、「企画・鈴木ゆずな」ともクレジットされているように、ゆずなさんとの共作に近い感覚なのでしょうか。
大宮 そうですね。実際、この作品をたくさんの方に観てもらいたいのは、誰よりもゆずなさんだろうと思います。ただ、それを僕自身の言い訳にしないようには気を付けました。作品の責任は監督が背負うものですから。
●『ケアを紡いで』
出演/鈴木ゆずな 鈴木翔太 西川彩花 沼里春花 野村将和 谷口眞知子 「地域で共に生きるナノ」の皆さん
監督/大宮浩一 企画/鈴木ゆずな 制作/片野仁志 大宮浩一 撮影/田中圭 編集/遠山慎二 整音/石垣哲 エンディング曲/古見健二
ポレポレ東中野(中野)、第七藝術劇場(大阪市)で現在公開中。14日京都シネマ(京都市)、15日名古屋シネマテーク(名古屋市)など順次公開。詳細は公式サイトにて
【https://care-tsumuide.com/】