九州を代表する観光地・阿蘇山麓をガタコト走る南阿蘇鉄道(立野~高森 17.7キロ)。2016年4月に発生した熊本地震によって大きな被害を受け、廃線を危惧されたが、7月15日(土)、7年3ヶ月ぶりに全線運転再開! これはおめでたいということで、南阿蘇鉄道で運転士として働く山本英明さんに話を聞いた。
――まずは当時のことを教えてください。震災の時は何をされていたんですか?
山本 14日の夜、最初に地震があったときは熊本市内の自宅にいました。翌日は電車がストップしたので、車で会社へ行って。線路の状況を見たら、被害はあまりなくて、すぐに運転再開できるとなったんです。
――16日未明に最大震度7、マグニュチュード7.3というさらに大きな地震が起きました。
山本 今度は家がしっちゃかめっちゃかで、阿蘇大橋が落ちたという話を聞いて、大変なことになったなと。ニュースで流れるヘリコプターからの映像を見たら、第一白川橋梁は落ちてないけど、土砂ですごいことになっていました。その後、会社から連絡があり、運転再開は難しいので自宅待機と言われて、そのままゴールデンウィーク前まで家にいました。
――出社して沿線の被害を見てどうでしたか?
山本 あんなに土砂が流れてくるとは思わなかったです。でも地震があったのが、夜中でよかったなって。昼間だったらと思うとゾッとします。大事故になるところでした......。高森のあたりは被害が少なかったんですけど、立野はひどいことになっていて、運転はしばらくできなそうだなと。
――そのまま鉄道が廃止になることも考えましたか?
山本 周りからもいろんな話を聞いて、大丈夫かなって。まだ入社して2年目で一番下っ端だったので、クビも覚悟しました。でも、うちの社長が、第三セクターなので高森町長でもあるんですが、早い段階で「全線運転再開に向けて頑張る」って、方向性を打ち出したので、そこに向けて社員一丸となりました。
――リーダーの声って大事ですね。その年の7月には途中の中松駅まで運行再開しました。
山本 その区間までも線路がずれたり、いろいろあったんですが、車両を動かさないと線路がサビてしまったり、メンテナンス的にもまずいので、動かせるところまでは動かそうと。そして阿蘇の復活を見せるためにもトロッコ列車は走らせようと。
――トロッコ列車は阿蘇に欠かせない観光資源ですもんね。そして今回、全線運転再開に合わせて新たにJR豊肥本線の肥後大津駅までの乗り入れが始まります。熊本空港の最寄りですし、熊本市内から1回の乗り換えで南阿蘇まで来れるようになります。
山本 これって熊本県知事が提唱していた「創造的復興」という考え方で、元に戻すだけじゃなくて、より良くしていこうって。うちの社長もその考え方にのっとって、大津駅への乗り入れを決めました。お客さんが増えてくれればいいと思いますし、楽しみです。
――今まで運転したことないJRの区間を運転するってどうですか?
山本 しっかり訓練をしていますし、僕らは運転士の免許を取るための研修をJR九州さんでやっていたので、特に心配はないです。それに乗り入れるのはウチの車両だけですし。
――運転士として、沿線でおすすめの場所ってありますか?
山本 ほぼ全区間で阿蘇山が見えるので、すべて見どころなんですけど、やっぱり一番は第一白川橋梁ですかね。昭和2年にアメリカの技術者を呼んで造られた橋で、今回、部材は交換していますが、ほぼそのままで直しました。60メートルの高さから白川渓谷を眺めていただきたいです。
――そんな高い場所、運転していて怖くないですか?
山本 実は高所恐怖症なんですけど(笑)、運転しているときは集中しているので大丈夫です。
――全線復旧するまでの7年は長かったですか?
山本 どうでしょう。あっという間のような感じもして、長いような感じもして。でも、この会社に入ってほとんどが中松までの部分運転なので、これが当たり前というか。僕より下の世代は、高森から立野まで走ってた時代を知らないですからね。
――そう考えると長いのかもしれませんね。再スタートに向けてメッセージをいただけますか。
山本 肥後大津駅への乗り入れが始まりますし、新しい車両も入って、駅舎も新しくなって、いろいろ変わってきている、新しい南阿蘇鉄道に期待していただきたいなって思います。
南阿蘇鉄道(みなみあそてつどう)...1928年に誕生した国鉄の高森線が前身、1986年に地元の南阿蘇村・高森町などが出資する第三セクターの鉄道会社となる。週末を中心に運行されるトロッコ列車「ゆうすげ号」が大人気!(高森駅~立野駅 片道大人1500円、小児1000円)