記憶の扉のドアボーイ・山下メロです。この連載では平成レトロ時代に忘れられ、記憶の底に埋没しがちな遺産を、皆さんと一緒に掘り返していきます。
今回はポケットベル。今や1990年代文化の象徴のように扱われていますが、日本では60年代に日本電信電話公社(現・NTT)がサービスを開始。
事務所からポケベルの番号へ電話すると、外回りする社員のポケベルが鳴り、社員は公衆電話などから事務所へ折り返し電話をする。それが主な用途でした。当時は相手に合図を送れるだけでも画期的だったのです。
テレメッセージ系も参入した87年からは、受信時に12桁の数字をディスプレーに表示可能となり、発信相手に電話してほしい番号を直接指示できるようになりました。そして平成の初頭には「14106=あいしてる」など、若者独自の暗号コミュニケーションに進化しました。
特に顕著なのが「0840=おはよう」などの〝特に用件のない連絡〟です。これはビジネス用途では想定外の利用法でしょう。93年にはドラマ『ポケベルが鳴らなくて』(日本テレビ)とその主題歌がヒットし、大衆文化にもポケベルが浸透してきました。
その後、五十音表を用いた「11→ア」「22→キ」という独自の文字入力により、直接カタカナ文字が表示できる時代に突入。コミュニケーションの幅が広がり、さらに若者の新規加入者が増えました。
96年、ナイキのエアマックス95を履いた広末涼子さんがポケベルのCMに登場。滑り台で口ずさむのはCMソングの『マスカット』。これは渋谷系を牽引(けんいん)したカジヒデキさんの楽曲です。つまりポケベルの販促には、時代を象徴するアイコンが集結していたのです。
当時、高校の公衆電話は常に大行列。送信の通信料節約のため公衆電話のボタンを高速連打し、ボタンの故障率が上昇したそうです。さらに節約のために違法な偽造テレカまで出回っていたとか。
全盛期でも契約して使っていた高校生はクラスで数人。そこにお金をかけられる人たちは、すぐに携帯電話に乗り換えていったのでした......。
●山下メロ
1981年生まれ、広島県出身、埼玉県加須市育ち。平成が終わる前に「平成レトロ」を提唱し、『マツコの知らない世界』ほかメディア出演多数。著書に『平成レトロの世界』『ファンシー絵みやげ大百科』がある