ある日、あるとき、ある場所で食べた食事が、その日の気分や体調にあまりにもぴたりとハマることが、ごくまれにある。
それは、飲み食いが好きな僕にとって大げさでなく無上の喜びだし、ベストな選択ができたことに対し、「自分って天才?」と、心密かに脳内でガッツポーズをとってしまう瞬間でもある。
そんな"ハマりメシ"を求め、今日もメシを食い、酒を飲むのです。
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とにかく逃避がしたくなった。現実から。日常から。だって、日々目先の締め切りに追われながら仕事をしていたら、もう8月も末。気づけば夏が終わりかけている。朝起きて窓を開けると、元気な蝉の声ではなく、リリリリ......リリリリ......と、なんの虫かはわからないけど、やたら寂しげな声が聞こえてくる。なんかこう、もうちょっと、小学校時代の夏休みのようなわくわく感を味わっておきたい!
そう思ったら、用事で出かけた池袋の街から西武線で家へ帰るはずが、デパ地下で弁当を買って、特急乗り場に向かっていた。もはや気分だけでもいい。日常の範疇から抜けて、旅がしたかったから。
つまり、弁当を買って特急列車に乗り、車中でそれを食べて旅気分を味わい、そのまま家にとんぼ帰りするという、正味2時間の大人の遊びを突発的にしてしまおうと思ったのだ。毎年年始に新宿の京王百貨店の催事場で、全国から駅弁が集まる一大イベント「元祖有名駅弁と全国うまいもの大会」通称「駅弁大会」が開催される。僕の酒飲みの先輩たちにファンが多く、大会で駅弁を買い、特急ロマンスカーに乗って箱根まで行き、温泉宿に泊まるでもなくそそのまま帰ってくる、通称「ロマ弁」という遊びをよくやっている。もちろん目的は、行き帰りの車中での駅弁飲み。なんとも酔狂で最高だ。それを由来に、どんな列車でどんな弁当を食べようとも、車中飲みがメインの行為は、僕たちの間では「ロマ弁」と呼ばれている。今日はそんなひとりロマ弁遊びをして、いじらしくも、令和5年の夏の思い出を増やそうと思い立ったわけだ。
ちょうど20分後に、2019年に運行を開始した西武線の最新特急車両「ラビュー」が発車するらしい。足もとまである大きな窓が特徴的で、ただ乗れるだけでも嬉しい列車。ロマ弁にはぴったりだ。特急料金は、所沢と西武球場前までが250円、入間市と飯能までが300円、横瀬と西武秩父までが450円。ちょっとせこいけど、このなかだと飯能がいちばんお得かな。片道40分ちょっとという乗車時間ももちょうどいいし。
ところで今回デパ地下で選んだのが、のり弁の専門店であるらしい「いちのや」という店の、のり弁。東京を中心にいくつかの店舗があるらしいが、期間限定で出店していたようだ。で、こののり弁がすごかった。 のり弁って、いろんなおかずが入ってて、しかもおかか醤油味ののりで包んで食べる米もまた味わい深く、そもそも酒のつまみとしてかなり優秀なんだよな。しかも専門店が作ったもの。気になる。そんな理由で何気なく選んだんだけど、もう、受け取った時のずしりとした重みにインパクトがあった。列車が発車し、いざフタを開けてみると、それもそのはず。
大きめの弁当箱の横幅いっぱいに詰まったちくわの磯辺揚げを筆頭に、僕の大好きな茶色いおかずたちがみっしりと詰まっている。また、フタの内側に書かれたそれぞれの食材へのこだわりもすごい。
珍しい金色をした魚の醤油さしから、白身魚フライとちくわ磯部に醤油をかける。いざ、大ごちそうである白身魚フライをぱくり。うんうん、肉厚でふっくらと柔らかく、たまらないうまさだ。奮発して買った、発泡酒じゃなくてちゃんとしたビール「マルエフ」のまろやかなうまさとの贅沢なハーモニーがたまらない。
さらに嬉しいサプライズが、白身魚フライの下に隠れていた。なんと、大好物の半熟味玉! ここでもうとどめを刺されてしまった。いちのやののり弁に、一生ついてゆくことに決めた。
しゃきしゃきの野沢菜も、食べごたえ満点のちくわ磯部も、鶏もも肉のみそだれ焼きも、たまらなく酒に合う。
さらに米! 説明には「大粒で美味しく噛むほどに優しい甘みとこくを感じる」とあるが、まさにそのとおり。新潟県産「新之助」という銘柄らしく、ぜひ覚えておこう。また、その米にまんべんなくかけられた鰹節の粉と、香りしっかりののりがうまい。しかものりに至っては、米の上だけでなく下にも敷いてあって、つまり米全体がサンドされている。なんてサプライズに富んだのり弁なんだ。よく、あまりにおもしろかった映画を、一度記憶を決してからもう一度見直したい、なんてことを言う人がいるが、僕的には、こののり弁がまさにそれだ。
念のためのサブおかずとして別の店で買っておいたなすの煮びたしがこれまたいい味で、もうこの夏に思い残すことはないという気分になってきた。良かったな。今日、思いつきでロマ弁を敢行して。
と、すっかり堪能しきったところで飯能に到着。駅から徒歩5分の入間川まで歩いていって、サンダルを履いた足をちゃぷちゃぷと水に浸して満足し、何事もなかったように帰路へ着くのだった。
●パリッコ
1978年東京生まれ。酒場ライター、漫画家、イラストレーター。
著書に『酒場っ子』『つつまし酒』『天国酒場』など。2022年には、長崎県にある波佐見焼の窯元「中善」のブランド「zen to」から、オリジナルの磁器製酒器「#mixcup」も発売した。
公式X(旧Twitter)【@paricco】