認知症の原因物質を取り除く、初めての治療薬といわれる「レカネマブ」。これまでの薬とは何が違うのか? 副作用や問題はないのか? 医療ジャーナリストに新薬の真価を聞いた!
■今ある薬では病気の進行を抑えられない!
厚生労働省の発表によると、2年後の2025年には65歳以上の約5.4人に1人が認知症になっているおそれがあるという。自分はまだ大丈夫だろうけど「親が認知症になったらどうしよう。困るな......」と不安を感じる人も多いだろう。
そんな中、認知症の新しい治療薬である「レカネマブ」が、8月21日に厚生労働省専門部会の承認を受け、早ければ年内にも使用できるようになるという。
このレカネマブは、これまでの認知症薬とは違った画期的な薬だといわれているが、何がどう違うのか? 医療に詳しいジャーナリストの村上和巳氏に教えてもらった。
「認知症には『アルツハイマー型』『レビー小体型』『脳血管性型』『前頭側頭型』などがありますが、日本では約7割の患者さんがアルツハイマー型です。
アルツハイマー型認知症は、『アミロイドβ(ベータ)』や『タウ』といったタンパク質が脳にたまって、脳の神経細胞を壊す病気です。
脳の神経細胞が壊れると、脳の神経伝達物質がうまく機能しなくなったり、脳が萎縮して、記憶が曖昧になります。そして、最終的には脳内の神経ネットワークがほぼ崩壊してしまうので、アルツハイマーが進むと会話もできなくなります。
例えば、大雪で電線に雪が積もっているところを想像してみてください。雪が電線にたくさん積もると、その重みで電線が切れてしまいますよね。このときの電線が脳内の神経ネットワークで、雪がアミロイドβやタウです。
本来、このアミロイドβやタウは、睡眠時に脳脊髄液によって洗い流されているのですが、大きな塊を作ると脳にたまってしまいます。当然、加齢が進めばたまった量は増えます。
例えば80歳でアルツハイマーを発症したとすると、その10年くらい前から軽く物忘れをする『軽度認知障害』が見られますが、このときのアミロイドβのたまり始めは50歳くらいです。そこから、ゆっくりと30年くらいかけて進行していきます。
このように進行がゆっくりで短期間の臨床試験で効果を評価するのが難しいため、アルツハイマーの治療薬は、なかなか開発ができませんでした」
でも、アルツハイマーの治療薬はすでにありますよね?
「はい。現在、4種類あります。アルツハイマーの方が亡くなった後に解剖すると『アセチルコリン』という記憶に関係する神経伝達物質が著しく減少していることがわかりました。
アセチルコリンは、一定の時間がたつと健常な人でも酵素によって分解されます。しかし、アルツハイマーの人はアセチルコリンの量が脳内に極端に少ないので、分解する酵素の働きを止めて量を増やそうというのが今使用されている薬の『ドネペジル』『ガランタミン』『リバスチグミン』です。
先ほどの電線の例でいうと、雪の重みで切れていないまだ残っている電線に電流を多めに流している状態です。でも、電線に雪はどんどん積もっていくので、残っている電線もいつかは切れます。
電流を多めに流しても、電線が切れてしまっては意味がありません。ですから、これらの薬は数年で効果が薄れていきます。
また、『メマンチン』はグルタミン酸という神経伝達物質が過剰にあることで記憶に悪影響を及ぼすことを防ぐ薬です。とりわけ妄想や暴言、暴力などのアルツハイマーの周辺症状に有効といわれています。効き方が違うので、ほかの3薬との併用が可能です」
現在、使用されている薬は、症状を改善したり、進行を抑える薬ではないという。
■新薬の使用にはさまざまな条件がある!
では、今回承認された「レカネマブ」はどうなのか?
「レカネマブは、アルツハイマーの原因となる脳にたまっているアミロイドβタンパク質を取り除く薬です。電線の例でいうと、積もっている雪を除雪します」
ということは、症状が改善する?
「それがしないんです。電線に雪が長期間積もっていると、切断されなくてもたるんだりしますよね。たるんだものは元に戻りません。同じように、それまでアミロイドβによって摩耗した神経細胞は元に戻りません。
しかも、アミロイドβは、その間も時間とともに脳内にたまっていくわけですから、症状が改善するのではなく、進行を遅らせるだけです。
この治療をたとえるならば、大雨で浸水している家からバケツで水を汲(く)み出しているようなものです。汲み出さないとどんどんたまっていきますが、汲み出しても水は流れ込んでくるので、たまるスピードが遅くなるだけということです」
画期的な新薬ということで、症状が改善するのかと思っていたが、実際は進行が遅くなるだけのようだ。レカネマブの使用にはほかにも問題点があるという。
「バケツで水を汲み出し始める時間が遅くなれば、それだけ水は家の中にたまってしまいます。天井までつきそうなときに汲み出し始めても、すでに大量の水がたまってしまっています。ですから、早く始めたほうがいい。
そのため、レカネマブの使用には『アミロイドβが脳にたまっている』こと。そして『軽度認知障害』か『軽度アルツハイマー病』である人を対象としています。
そもそも、アミロイドβが脳にたまっていなければ効果がないので、まず、そこをきちんと診断しなければいけません。実はこの検査の費用はけっこう高額です。
そして、軽度認知障害は、物忘れがポツポツ出てきているけれども自立して生活はできる状態。軽度アルツハイマー病は、例えば自分で買い物には行けるけれども、買ったものをお店に忘れてくるなど、介護にそこまで手間がかからない状態の人です。
そんな人たちに投与することで、軽度認知障害から軽度アルツハイマーへ、また軽度アルツハイマーから中程度のアルツハイマーへと進行する時間を2、3年は遅らせることができる可能性があります」
また副作用もある。
「アミロイドβは脳内の血管にもくっついています。そのアミロイドβを分解したり、引き剥がしたりするわけですから、血管が損傷して出血する可能性があります。また、出血までいかなくとも血漿(けっしょう)という液体成分がにじみ出て、脳がむくんでしまうこともあります。
ですから、定期的に脳のMRI(磁気共鳴画像法)検査をして、出血やむくみの症状がないか確認して、もし症状が出たら投与を中止することになります」
価格も高価になりそうだ。
「すでに販売されているアメリカでは年間約380万円ほどです。日本の価格はまだ決まっていませんが、それほど変わらないでしょう。日本の場合は高額療養費制度があるので、例えば年収500万円の人は、上限が9万円くらいになるのですが、それでも毎月9万円支払うのは、経済的にかなり負担がかかります。
ですから、実際にレカネマブを使える人は『認知症の中のアルツハイマー病の人』で、その中でも『軽度認知障害か、早期アルツハイマー病の人』。そして『10万円くらいかけてアミロイドβが脳にたまっていることの診断を受けられる人』さらに『毎月10万円弱の薬代を支払える人』という条件をクリアできる人ということになります」
それでも、期待の新薬といわれるのはなぜなのか?
「今は症状の進行を2、3年遅らせるだけかもしれませんが、今後、10年遅らせることができるようになるかもしれません。認知症は患者の医療費だけでなく、介護のために家族が働けなくなるなどの経済的損失があります。
それがある試算では日本全体で年間約19兆円ともいわれています。その負担を減らせるのであれば、患者さんも患者さんの家族も介護に関わる人も助かるのではないでしょうか」
自分は若いから認知症は関係ないと思わず、日本全体の問題として考えてほしい。