ある日、あるとき、ある場所で食べた食事が、その日の気分や体調にあまりにもぴたりとハマることが、ごくまれにある。
それは、飲み食いが好きな僕にとって大げさでなく無上の喜びだし、ベストな選択ができたことに対し、「自分って天才?」と、心密かに脳内でガッツポーズをとってしまう瞬間でもある。
そんな"ハマりメシ"を求め、今日もメシを食い、酒を飲むのです。
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久々にお会いする編集者さんと新しい仕事の打ち合わせをすることになり、まずはざっくばらんに飲みながら話しましょう、という流れになった。そんなわくわくする話をしつつお酒まで飲めるなんて、なんとも嬉しいことだ。
夕方、おたがいの家からアクセスが良いという理由で、池袋に集まる。店は特に決めていない。その日は、数日前までは夏のような陽気だったのが、急に肌寒いくらいの気温だった。西口の繁華街を歩きながら、どちらともなく「なんかあったかいもんが食べたいですねぇ」という話になる。すると編集さんが、以前に入ってとても良かったおでん居酒屋があるという。もう、決まりだろう。
店は「福ふくろう。」と言い、雑居ビルの2階に本店、地下1階に支店があるというちょっと不思議な作り。ひとまず地下のほうへ降りてみると、空席があったので、そのまま入店した。
カウンターが中心の清潔な店内に、ムーディーな音楽が静かにかかり、これぞ大人の隠れ家といった雰囲気。長く池袋で会社員をしていたけど、大歓楽街のなかにこんな小粋な店が潜んでいたとは、まったく知らなかったな。
まずは、暑い寒いは関係なくうまいキンキンの生ビールで喉を潤し、ぼちぼち近況報告などをしつつ、メニューを検討する。
オーソドックスなところを押さえつつも一部にこだわりを感じるおでんのメニューがなんともいい。この場所にあって、ひとつ231円という値段も良心的だと思う。お互いに吟味し、僕は「本くるまふ」と「じゃがいも」、編集者さんは「だいこん」と「じゃがいも」を選んだ。
ところで、おでんに関するシェア問題というのはなかなかにややこしいところがある。特に、盛り合わせなんかを数人でシェアする場合、誰かが早々に玉子を取り箸で突き崩しでもしようものなら、皿のなかは目も当てられない惨状となる。ふたりともそれを心得ているから、自分の好きなものを少しずつ頼む戦法をとったんだけど、おでんが届いてちょっと感動してしまった。というのも、それぞれのタネが、美しく2等分されて出てきたのだ。
ご主人のこの気遣い。なにより、黄金に輝くだしに浮かぶおでんたちが、なんとも端正で美しい。よ~く味の染みてそうな大根の上でそよぐとろろこんぶなんか、雅さすら感じさせる。
取り皿にとって食べてみると、まず、しっかりとだしは効きつつ、きりっとしていてしつこさのない、そして酒のつまみ向けに調整しているのか、一般的なイメージよりもほんの少しだけ強い塩気のつゆが、抜群にうまい。そのつゆをじゅわっと吸った、食感は残しつつもふわりと煮てある車麩なんか、噛み締めるたびにうっとりしてしまうレベルだ。
その他のメニューもやたらと魅力的で、特に「とりあえず」コーナーの珍味類に惹かれる。そのなかから、大好物の「塩うに」を選んでみると、これが素晴らしい! くさみなく、とろりと甘く、ぶわっとうにの香りが口に広がり、しかも量たっぷり。これ1皿で酒2、いや3、いや4杯はいけるぞ。
ここでビールから芋焼酎へ。店名にちなんで仕入れているという、福岡の「こふくろう」を、ソーダ割り~ロックと飲みすすめてゆく。
さらにどうしても気になった「えびみそ」も注文。これが、驚くほどに雑味ゼロ、海老とそのみその旨味が濃縮されたペースト状の一品で、またまた酒が進む。
思わず饒舌になり、その場で思いついたアイデアなどをペラペラと喋りまくってしまったけれど、思い返すと果たして、そのなかに仕事につながるようなものがあったかどうか......。まぁ、楽しい時間だったし、深くは考えなくていいか! ちなみに僕は、酒場でシメにごはんものを頼むということがあまりない。けれども今日は、おでん少しと珍味をちびちびつまんでいただけだから胃にまだ余裕があるし、さらに、これだけはどうしても味わっておきたいというメニューを見つけてしまった。
「おでん出汁茶漬け」。梅、明太子、鮭、のり、とろろこぶ、焼きおにぎりと6種類ある。あの極上のおでんだしで食べるお茶漬け。これを味わって帰らない手はないだろう。悩んだけれど、まだ残っている酒のつまみとしても力を発揮してくれそうな「焼きおにぎり」を注文。
目の前に届いた瞬間、胸の前で小さく拍手をしてしまった。例の極上スープのなかに鎮座する、なんとも美しい三角形の焼きおにぎり。その上にとろろこんぶと刻み海苔。それらが渾然一体となったいい香りが、ふわりと顔を包みこむ。周囲に浮かぶ小粒のあられのかわいらしさもいい。
もっとよく焼きおにぎりを見たくて、上のとろろこぶと海苔をそっと横によけてみると、やっぱり美しいな、このおにぎり。もはや芸術と言っていいレベルだ。
いざ、れんげでおにぎりを崩して口へと運び、しみじみと味わう。上品なだしのなかで溌剌とその持ち味を発揮する、こんぶや海苔の香り。米の甘み。おこげの香ばしさ。ほんのりとゆるんだあられのアクセントもいい。
当初は形を保とうという意思のあったおにぎりも、食べすすめるほどに僕に心を許し、全ての具材と混ざりあいだす。その一体感の、なんと心地いいことか。
僕が日常的に通っているような、場末の大衆酒場みたいに激安ではないけれど、きちんと美味しい料理と酒をちびりちびりとやるにはこの上ない店。そういう飲み方が好きな人にとっては、天国とすら言える。いやぁ、いい店を教えてもらってしまったな。身も心も温まったし、夏が過ぎ去ってしまう寂しさを秋冬への期待に塗りかえてもらうことができた、いい夜だった。
※あ、ちなみに、個人的な会食に近い打ち合わせだったので、出版社さんの経費ではありません。ちゃんと僕も飲み代支払いましたので、「おごりで身も心も温まってるんじゃねぇ!」というツッコミはなしで何卒。m(_ _)m
●パリッコ
1978年東京生まれ。酒場ライター、漫画家、イラストレーター。
著書に『酒場っ子』『つつまし酒』『天国酒場』など。2022年には、長崎県にある波佐見焼の窯元「中善」のブランド「zen to」から、オリジナルの磁器製酒器「#mixcup」も発売した。
公式X(旧Twitter)【@paricco】