「うどん」が大阪を代表する食文化の一つであるということは、全国的にもよく知られている。しかし、近年になって「大阪讃岐うどん」なるジャンルが定着しているという事実は、現地の人以外にはあまり広まっていない。

いったいそれはどのようなものなのか? 大阪のうどん文化を牽引するパイオニアにその歴史を聞いた!

■大阪のうどんは麺よりもスープが命だった

「東京の人にとって、大阪は独特のうどん文化の印象があるかもしれませんが、実は大阪でも讃岐うどんは過去に何度かブームになっています。最初は1970年の大阪万博です。そこで香川のうどんが提供されたことから評判を呼び、大阪でも讃岐うどんをやる店が現れたのです」

そう語るのは、大阪・難波の人気店「き田たけうどん」を経営する木田武史さん。ミシュランガイドのビブグルマン受賞歴もある「釜たけうどん」の創業者であり、関西うどん界のカリスマと呼ばれている。

「き田たけうどん」の木田武史さん「き田たけうどん」の木田武史さん

もともと関西には讃岐にも匹敵する独自のうどん文化がある。特に大阪のうどんは「大阪うどん」と称されるほど長い歴史を持ち、例えば「きつねうどん」は大阪で生まれて全国に広まった。

今も大阪人のソウルフードとして愛されており、大阪の街を歩けば至るところにうどん店の看板を見つけることができる。東京における立ち食いそば店くらい身近な存在なのだ。

そんな大阪うどんの最大の特徴は、「麺よりもスープが命」という点にある。昆布やかつおの旨味が染み渡る"ダシ"(スープ)こそが主役であり、麺は主張しすぎないツルッとしたのど越しの食感が好まれる。コシが強くて太い、麺そのものを味わう讃岐うどんとは、同じうどんとはいえ、かなり対照的な料理として進化してきた。

「だから、万博のあとに大阪でオープンした讃岐うどん店は一時的なブームに終わったところがほとんどで、コシがある麺も定着しませんでした」

また、関西風のあっさりしたダシと、コシが強い讃岐うどんの麺の相性も悪かったと木田さんは言う。

「大阪人は昆布とかつおが効いた関西のダシにこだわりがあります。しかし、これがコシの強い麺に合わないのです。讃岐うどんはいりこ(カタクチイワシ)がメインで、醤油は関西の薄口よりもさらに薄く、しかし塩味の強い醤油が使われます。そういった違いも大阪に讃岐うどんが定着しなかった原因です」

■"コシ"ではなく"もちもち"

一方、讃岐うどんはその知名度を着実に全国的なものとしていく。

1988年に瀬戸大橋が開通したことで香川県への観光客が急増。うどん屋めぐりがブームになり、それまで地元民にしか知られていなかった店にも県外から多数の人が訪れるようになった。

そして2000年代に入ると、香川発祥で讃岐スタイルをウリにした「はなまるうどん」などのチェーン店が東京に進出し、「うどんといえば讃岐」というイメージが広まった。

このブームは大阪も無縁ではなく、うどんの食べ歩きを趣味としていた木田さんも、本場の讃岐うどんに衝撃を受けたあまり脱サラを決意。2003年に千日前で「釜たけうどん」をオープンする。目指したのは大阪のダシと、自身が魅了された讃岐の麺の融合だった。

「ただ、先ほど言ったように讃岐の麺そのままではダシとの相性が悪い。それで試行錯誤して行き着いたのが、コシのある麺ではなく、口に入れた瞬間は柔らかいけど、噛むとしっかりした食感のある"もちもち麺"でした」

讃岐うどんの茹で時間は10分ほどが一般的だが、「釜たけうどん」では20分以上をかけた。「わざと茹ですぎた麺を冷水で締めることで、柔らかい麺の中にモチッとした食感を残すことができる」と木田さんは説明する。こうして、ダシを味わう大阪うどんと、食べごたえのある麺を楽しむ讃岐うどんのいいとこ取りが実現した。

さらに、同店ではちくわとたまごの天ぷらを載せた「ちく玉天うどん」も開発。天ぷら自体は讃岐でもポピュラーな具材だが、大抵は別皿で提供される。しかし、木田さんは「大阪人は何でも丼に載せるのが好きだから」と、あらかじめ天ぷらを載せて提供した。すると評判を呼び、同店の代名詞といえるメニューになった。

しかも、木田さんは積極的に他の店にもこの組み合わせの提供を勧めた。その結果、「ちく天玉」は今や大阪うどんの新たなスタンダードといえるほど普及している。

この「釜たけうどん」の成功を受け、大阪中に多くのフォロワーが誕生。〈もちもち麺×関西ダシ〉のうどん店はあっという間に大阪を席巻し、伝統的な大阪うどんとも讃岐うどんとも異なる、「大阪讃岐うどん」と呼ばれるジャンルが形成されていった。

■なぜ東京で知られていないのか

木田さんによると、この時期の「大阪讃岐うどん」は、関西において本場の讃岐うどんに匹敵するほどの勢いがあったという。しかし、それほどの人気があったなら、なぜ東京ではまったくと言っていいほど知られていないのか?

「それは東京が"ご当地主義"だからです。讃岐うどんだったら、香川ご当地の味の再現をユーザーが求める。本場に近ければ近いほど評価されるので、大阪うどんでも、讃岐うどんでもない、『大阪讃岐』は普及しませんでした。

しかも、東京には『武蔵野うどん』のようにコシが強い麺の文化がもともとありました。だから大阪と違って、本格的な讃岐うどんがすんなり受け入れられ、"これがうどんの王道"ということになったのだと思います」

ただ、「大阪讃岐うどん」の歴史はここで終わらない。東京には進出しなかったが、大阪は香川との距離が比較的に近いこともあり、その勢いが讃岐うどんにまで及ぶようになっていく。

「香川の中でも最近オープンした若い店主たちのうどん店からは、大阪の影響を受けた"もちもち麺"の人気店がいくつも生まれています。例えば、『瀬戸晴れ』という高松の行列店は、讃岐らしいコシが強い麺ではなく、モチッとしたのど越しのいい麺が特徴です。大阪うどんが讃岐の影響で変化したように、讃岐うどんも大阪の影響を受けて変化しているのです」

■細麺の「大阪讃岐うどん」に挑戦

話を大阪に戻そう。「大阪讃岐うどん」という新しいジャンルを確立した「釜たけうどん」は、2014年に大手外食チェーンの傘下に入る。経営が安定し、多店舗展開も実現したが、今度は木田さんの探究心がうずき出した。

「同じものを作り続けると、新しいことをやりたくなるんですよね」

そう笑いながら話す木田さんは、「釜たけうどん」の経営を譲渡し、自らは新たなうどん店のオープンに踏み切った。それが5年前に開業した「き田たけうどん」。大阪どころか讃岐でも成功例のほとんどない"細い讃岐うどん"の専門店だった。

2018年にオープンした「き田たけうどん」2018年にオープンした「き田たけうどん」

「次は何をしようかと考えたときに、人がやっていないことをやろうと思いました、それが細麺の『大阪讃岐うどん』です」

たしかにダシにこだわった大阪うどんは、讃岐うどんのような太麺より、スープとよく絡む細麺のほうが相性はいいはず。しかし......。

「コシのある生の細麺は非常に難しい。普通、店ではその日に使う麺をあらかじめ切って置いておきます。しかし、細麺だと切ってから1時間経っただけで、茹でると麺がぐにゃぐにゃになり、食感が何もなくなってしまう。ではどうするかというと、生地を営業中に製麺するしかないのです。それが大変だから誰もやらなかったのだと気がつきました(笑)」

つまり、「き田たけうどん」では営業前に製麺するのではなく、注文ごとに製麺しているのだ。

注文が入ってから製麺する注文が入ってから製麺する

それで営業が成立するのかと思ってしまうが、木田さんは生地の加工方法に工夫を凝らし、伸ばして切る時間の短縮を実現。驚くべきことに他のうどん店と変わらない調理時間で提供している。

■1本が2メートルにもなるオリジナルうどん

このように木田さんは「大阪讃岐うどん」の先駆者というだけでなく、根っからのアイデアマンでもある。「釜たけうどん」では「ちく天玉」のほか、2012年には「キムラ君」という1日100杯を売り上げた大ヒットメニューも作り上げた。

「キムラ君」はキムチとラー油を使ったアレンジうどんで、当時"食べるラー油"が流行していたことから生まれた。震災の翌年ということもあり、「業界を元気にしたい」という思いから名称もレシピもライセンスフリーにした結果、たちまち大阪以外の地域やうどん店以外の業態にも広まり、コンビニや食品メーカーとのコラボ商品まで発売された。

そんな木田さんだけに、もちろん「き田たけうどん」でもオリジナルメニューが人気を集めている。

店の代名詞ともいえる「大阪つけめん」。ハサミに注目!店の代名詞ともいえる「大阪つけめん」。ハサミに注目!

その代表といえる「大阪つけめん」は、薄口醤油で仕上げたダシに浸かったうどんを、濃い味付けのつけダシで食べる。細麺はすぐに麺がベタついたり、麺がくっついたりしてしまうが、ダシの中に入れて提供することで、それを防ぐことができるうえ、つけダシとセットにすることで味変にもなる。ラーメンで近年注目されている"昆布水つけ麺"と似た発想だ。

「細麺のいちばん美味しい食べ方は、細くてもコシを感じられる"冷やし"だと思います。ただ、薄味の冷たいダシは天ぷらが合わないという問題があるのですが、こちらではつけダシの味を濃くしているので、天ぷらも美味しく食べられます」

この「大阪つけめん」には、もう一つの特徴がある。それは注文すると"ハサミ"が付いてきて、自分で麺を切りながら食べる点だ。

このようにハサミで切りながら食べるこのようにハサミで切りながら食べる

「それはうちのうどんが長すぎるからです。普通の太さのうどんなら、1個の生地をだいたい60センチ四方に伸ばしますが、うちは細麺なので、もっと薄く伸ばさないといけない。ただ、製麺機の幅が決まっているので、縦にしか伸ばすことができません。だから、どうしても1本1本が長くなってしまう。

2メートル近くにもなってしまうので、ハサミでも付けないと食べにくくてしょうがないのです(笑)。でも、自分が飲み込みやすい長さで食べると、うどんってすごく食べやすいとわかりますよ」

同店流の肉うどんといえる「豆牛(とうぎゅう)」同店流の肉うどんといえる「豆牛(とうぎゅう)」

このように、もはや「大阪讃岐うどん」とも違うスタイルを生み出している木田さんは、昨年ついに「き田たけうどん」でもミシュランガイドのビブグルマンを獲得。「この店もやっとスタートラインに立てた」と語る一方、最近ではなんと、そば店の経営にまで関わっているそうだ。パイオニアの挑戦は、まだまだ終わりそうにない。