渋谷でコスプレして騒いでいる連中はもちろん「にわか」!   本来は「死者を敬う大晦日」!
渋谷でコスプレして騒いでいる連中はもちろん「にわか」! 本来は「死者を敬う大晦日」!

近年では「渋谷でコスプレをして、酒を飲みながら大騒ぎする若者たち」の印象が強いハロウィン。しかし、そのルーツは古代ケルト文化にまでさかのぼるという。

なぜ人々はハロウィンを祝ってきたのか? そこには、酔ってトラックを横転させることとは比べものにならない、重要な意義があった!

■ケルトとはどういった人々か

ハロウィンと聞けば、仮装した子供たちが「トリック・オア・トリート!」と唱えるかわいらしい姿を思い浮かべる人も多いだろう。一方で、日本では渋谷などの繁華街でコスプレした若者たちが大騒ぎし、迷惑行為に及ぶ姿も今や風物詩となっている。

雑踏事故や窃盗、痴漢などのトラブルも懸念され、今年は渋谷区長が「ハロウィン目的で来ないでほしい」と公式に呼びかける事態にもなっている。

そんなハロウィンだが、実は古代ケルトの儀礼「サウィン」に起源があるという。ケルトとはどういった人々だったのか、そしてサウィンとは何か、多摩美術大学の鶴岡真弓名誉教授に話を聞いた。

多摩美術大学名誉教授・鶴岡真弓氏 多摩美術大学名誉教授・鶴岡真弓氏

「まず、『ケルト』とは人種ではなく、ケルト語で話し、ケルト語で考え、ケルト語で表現する言語文化集団を指します。現在でいうウクライナ、南ロシア、カザフスタン辺りのユーラシア草原から、ヨーロッパに移動してきたインド=ヨーロッパ語族の一派でした。

かつてはヨーロッパ大陸からブリテン諸島まで、広い地域に居住し、紀元前4世紀までにはイギリスやアイルランドにもケルトの人々が住んでいたとされています。古代ギリシャ人からは野蛮な民と思われており、乱れたざんばら髪のケルトの戦士の彫刻も残されています。揶揄(やゆ)される一方、ケルトの勇猛さを伝える古典史料もあります。

ケルトの生業(なりわい)は牧畜と農耕で、馬に乗り、車輪の技術も持っていました。馬と車輪があったから、ヨーロッパの最西端まで移動できたのです。実際にケルトの人々は、車輪をとても大切にしていました。

古代には首長や戦士の墓に車輪を副葬する習慣もあったくらいです。生から死、死から生へと生命が循環するのがケルトの死生観であり、回転する車輪は、その『生命循環』を象徴するものだったのかもしれません」

■死者の力をもらう儀式、サウィン

鶴岡教授によると、ケルトの死生観を読み解くカギは、暦にあるという。「ケルトの暦」における「新年・元日」は、現在の11月1日にあたり、その前夜の10月31日の日没は厳しい「冬の始まり」なのであった。

「重要なのは、ケルトの人々は1年のサイクルを死の季節から始めていたということです。死の冬に始まり、再生の春、成長の夏、収穫の秋という季節の巡りをもっていたのです。

そして、新年を迎える11月1日の前夜、ケルトの大晦日に行なわれるのが『サウィン』です。これは、死者を供養する、非常に重要な儀礼でした。なぜ、10月31日なのか。それは、この夜から農耕牧畜を生業にしていた彼らにとって寒くて食糧がない『闇の半年』が始まるからです。その半年を生き延びるための儀礼がサウィンだったのです。

また、冬のサウィンのほかにも、春の『インボルク』、夏の『ベルティネ』、秋の『ルーナサ』と、ケルトには四季の祭日があります。2月1日のインボルクの頃から徐々に気温が上がっていき、5月1日のベルティネに夏の太陽が戻ってきてくれます。

そこからは家畜と作物も増えていき、8月1日のルーナサで収穫します。そして、サウィンではこうして蓄えた収穫物を死者に捧げました」

先祖の霊を招き、お供え物でもてなす風習は、日本でもお盆としてなじみ深い。しかし、夏の8月に死者を迎える日本とは違い、ケルトでは、冬の始まりにあの世とこの世の間の扉が開かれて死者たちと交流できるとされていた。なぜこの時期なのだろうか?

「ケルトの人々が暮らしたアルプス以北は、厳しい冬が続きます。飢餓やパンデミックに苦しむことになる『冬の入り口』を重視して、『闇の半年』を生き抜く力は死者が与えてくれる、という信仰と価値観がありました。

これは、『生きている人間こそ強い勝ち組』とする現代人の考え方とは逆で、死者たちこそが永遠の強者であるという考え方です。サウィンの夜に『あなたたち死者のことは忘れていませんよ』ときちんと供養し、鎮魂する。それを通じて、あの世とこの世の扉が開き、1年間にあったいろんなことが浄化されていく。まさしく、大晦日とお盆が一緒にくるような聖なる夜ですね。

現代人は死んだ人をかわいそうだと哀れみますが、ケルトの伝統ではそうではありません。生きている者こそ弱いのであり、真冬の厳しい環境の中で生きる力を死者からもらうのです」

生者は弱く、死者こそ強い。厳しい冬を生き延びるための力を死者に授けてもらうのが、ハロウィンの源流であるサウィンの本質だったのだ。

■サウィンからハロウィンへ

それでは、サウィンとはどんな儀式だったのだろうか。

「サウィンに関する最も古い記述は、10世紀に書かれた百科事典に類する用語集の書物にあります。そこには、初期中世のアイルランドでサウィンが行なわれてきたことがわかります。これは文字の記録なのですが、記録される以前から死者の供養は民間の営みとして行なわれていたと考えられます。

アイルランドでは、死者を弔う場所で火をたいていた痕跡が考古学的に確認されています。ここから、サウィンでは生命の力が弱まる冬に向けて、生命の象徴である火をたいて、死者を弔っていた、と推測できます」

諸説あるが、サウィンのたき火である「ボンファイア」は、家畜の死骸の骨(ボーン)を積み上げてたいた火だとされている。食糧がない冬の間、家畜のすべてに餌を与えて春を迎えさせることはできない。

そのため、冬の入り口であるサウィンでは多くの家畜を間引く必要があった。サウィンは観念的な死だけではなく、現実的な死を最も目撃する日でもあったのだ。では、こうしたサウィンは、どのように現代のハロウィンへと姿を変えたのだろうか。

「ハロウィンという呼称は、中世のカトリック教会が11月1日を『諸聖人の日』と定めたことからきています。ケルト文化の残るブリテン諸島でも、キリスト教化されて以降、その前夜を『ハロウ(聖人)のイヴ』、転じて『ハロウィン』と呼んだのです。

宗教改革で古い慣習が弾圧される中でも、ハロウィンはほそぼそと続けられ、19世紀にアメリカに渡った移民たちが新大陸でも伝統文化を広めました。

キリスト教会が、異教の儀礼であるサウィンと重なるように『諸聖人の日』を定めた理由については、さまざまな議論があります。宣教のために異教の風習を取り込もうとしたのか、あるいは伝統社会の重要な風習を尊重しようとしたのか。いずれにせよ、ハロウィンにケルトの死生観が反映されているのは間違いありません」

ケルトの儀礼だったサウィンは、キリスト教に取り込まれてハロウィンになった。主にキリスト教圏で祝われているのは、このためなのだ。

■MJもサウィンを知っていた!?

ハロウィンに根づくケルトの死生観を体現するものとして、意外な人物の名前が挙がった。

「マイケル・ジャクソンは、移民の国アメリカで育ったことで、アイリッシュ系の人々がもたらしたケルト文化もよく理解していたといえますね。誰もが知る『スリラー』のミュージックビデオでは、生者であるマイケルが死者たちと踊ります。

そして、マイケル自身も死者に変容する。死者になりきって、死者を弔い、その力をもらうという、サウィンを反映したような様式が読み取れます。

伝統的に、サウィンでは死者や動物などに扮(ふん)して儀式が行なわれていたと推測されます。現代のハロウィンの仮装も、ここからきているわけです。『スリラー』の世界的大ヒットの背景には、こうしたケルト文化にさかのぼる理解があったのではないのでしょうか」

死者になって死者と共にパワフルに踊るマイケルは、死者から力を授かるサウィン(ハロウィン)の本質を見事に体現している 死者になって死者と共にパワフルに踊るマイケルは、死者から力を授かるサウィン(ハロウィン)の本質を見事に体現している

なんと、アメリカが生んだスーパースターの大ヒット作の背景には、ケルト文化が息づいていたのだ。

19世紀のアメリカには、ケルト文化を色濃く受け継ぐアイルランド人が大量に移民していた。当時のアイルランドは「ジャガイモ飢饉(ききん)」に見舞われ、壊滅的な犠牲が出ていた。過去のケルトの「闇の半年」と同様、強烈な死の存在感があった時代である。そんな時代にアイルランド系移民は海を渡り、死にまつわる文化をアメリカで広めた。

その後、アメリカにおけるハロウィンは、20世紀半ばから主に子供の祭りとして商業主義的に発展し、今では日本などのアジア圏にも輸出されている。しかし、その源流にはアイルランドをはじめとするケルトの文化圏で紡がれた死生観が根づいているのだ。

また、ハロウィンの代名詞ともいえるカボチャのお化け「ジャック・オー・ランタン」も、アイルランドやスコットランドが発祥とされる。もともとは死んだ男の魂が悪魔からもらった火種を携えて迷っていた、という民間伝承があった。

(左)19世紀にアメリカで生み出されたカボチャのジャック・オー・ランタン(右)アイルランドで作られていた白カブ製の元祖ジャック・オー・ランタン(Rannphairti anaithnid at English Wikipedia, CC BY-SA 3.0〈https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0〉, via Wikimedia Commons) (左)19世紀にアメリカで生み出されたカボチャのジャック・オー・ランタン(右)アイルランドで作られていた白カブ製の元祖ジャック・オー・ランタン(Rannphairti anaithnid at English Wikipedia, CC BY-SA 3.0〈https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0〉, via Wikimedia Commons)

その死者を導くための明かりとして、白カブをくりぬいたランプが作られた。そして、19世紀のアメリカでは、白カブの代わりに豊富にあったカボチャが使われだしたそうだ。

「ハロウィンの夜に、子供たちが家々を回って『トリック・オア・トリート!』と唱える風習にも、ケルトの死生観が反映されていますね。子供たちが死者に扮して、お菓子をねだる。『お菓子をくれないと、いたずらしちゃうぞ』というのは、『死者たちを忘れてませんか』というメッセージなんです。

ここには、生きている人間が死者になりきって、その死者を丁重にもてなす、というサウィンの考え方が根底にあります。それが発展して、現代では有名キャラクターなどの仮装になっただけなんです」

■今こそ死者を敬うべき

10月31日の夜に、古代ケルトの人々が死者を畏れ、敬う儀礼だったサウィン。その夜は、生者と死者の壁が取り払われ、厳しい冬を乗り越える力を死者から授かっていた。ハロウィンでも、死者に扮することで「死者を畏れ敬うこと」が説かれていた。

こうした事実を知った上で、現代の日本のように有名キャラクターに扮した若者が泥酔する姿を見ると、なんだかやりきれない気持ちになってしまう。

「祭りというのは、非日常を経験することです。それまでの日々を清め、浄化し、リセットして、『明日からまた頑張ろう』とパワーをいただくものなので、現代のハロウィンのすべてが間違っているとは思いません。

ただ、この夜が特別なのは、無念に亡くなっていった死者たちやご先祖の霊が、今を生きている私たちにパワーをくれるからです。感謝と供養によって『浄化される夜』であることを忘れないことが大切です。

サウィンの本質は、厳かに死者を思うことです。海外ではこの伝統を守っている人々もおり、ハロウィンの日にはお墓参りの習慣がある地域もあります。今年の10月31日の夜には、皆さんも街に繰り出す前に、祖先や亡くなった方たちのことを思い出してみてほしいです。

戦争やパンデミックなど、困難な『闇』というのは、現代の私たちの眼前にも広がっています。ハロウィンの夜というのは、その闇を生き抜くパワーを授かる夜です。なので私は、感謝と緊張感をもって『毎日がハロウィン』という気持ちで生きていますよ」

今年のハロウィンは、死者を畏れ敬い、生き抜く力を授けてもらう一夜にしてみてはどうだろうか。

サウィン(ハロウィン)やケルト文化についてもっと知りたい人は、『ケルト 再生の思想:ハロウィンからの生命循環』(著:鶴岡真弓、ちくま新書)を要チェックだ! サウィン(ハロウィン)やケルト文化についてもっと知りたい人は、『ケルト 再生の思想:ハロウィンからの生命循環』(著:鶴岡真弓、ちくま新書)を要チェックだ!

●鶴岡真弓(つるおか・まゆみ)
多摩美術大学名誉教授。芸術文明史家。日本ケルト協会顧問。早稲田大学大学院文学研究科修了後、アイルランド・ダブリン大学トリニティ・カレッジに留学。専門はケルト芸術文化、ユーロ=アジア文明の生命デザイン交流史研究。日本におけるケルト文化・ケルト芸術理解の火つけ役