パリッコぱりっこ
1978年東京生まれ。酒場ライター、漫画家、イラストレーター。
著書に『酒場っ子』『つつまし酒』『天国酒場』など。2022年には、長崎県にある波佐見焼の窯元「中善」のブランド「zen to」から、オリジナルの磁器製酒器「#mixcup」も発売した。
公式X【@paricco】
ある日、あるとき、ある場所で食べた食事が、その日の気分や体調にあまりにもぴたりとハマることが、ごくまれにある。
それは、飲み食いが好きな僕にとって大げさでなく無上の喜びだし、ベストな選択ができたことに対し、「自分って天才?」と、心密かに脳内でガッツポーズをとってしまう瞬間でもある。
そんな"ハマりメシ"を求め、今日もメシを食い、酒を飲むのです。
* * *
4年半ほど前に会社を辞め、フリーライターとして独立して以来、酒に次ぐ最大の趣味であった、街をがむしゃらに行き当たりばったりに歩き回る「散歩徘徊」の機会がガクンと減ってしまった。
かつては、限られた昼休みを時間ギリギリまで利用し、ひたすらに散歩して、途中で見つけた立ち食いそば屋や定食屋でお昼を食べるなんてことをよくしていた。あの、特に目的地もない時間の、なんだか頭から雑念が消えてゆく感じ。同時になんだか脳内にドーパミンがあふれだす感じ。無性に欲している!
と思ったら居ても立っても居られなくなり、午前中にやるべき仕事がひと段落した昼過ぎ、突発的に家を飛び出し、そのままあてもなく歩きはじめていた。 家から10分、20分と歩けば歩くほどに、どんどん生活圏内から離れ、見知らぬ風景が広がりだす。当然スマホの地図を見るなんてことはしないから、本能のままに右へ左へと曲がっていると、自分がどこにいるのかがだんだんあやふやになってくる。
目の前に広がるのは、圧倒的住宅街。建ち並ぶどの家々にも、自分の知らぬ、そして今後の人生でもきっと接点を持つことがないであろう人々の暮らしがあり、それが隠しきれない個性となって外観に現れていたりする。あぁ、やっぱり住宅街徘徊は最高のレジャーだ。
たまにふと出会う古い小さな商店街などもまた、たまらない。きっと何十年か前にはもっとずっとにぎわっていたのだろう。そんな風景を想像しながらあるくのも楽しいものだ。
そんなふうにして1時間半くらい歩き回ったころ。そろそろ適度な疲労も感じだしてきたし、メシも食いたい。なんて考えていたところで、あまりにもいい店がまえの町中華が目の前に出現したので笑ってしまった。まるで呼ばれたような感覚。もう、ここしかないじゃないか。
コンパクトな佇まいも、日に焼けた看板も、「吉野」という飾りっ気のない店名も、どれも好ましい。入店する前に、まずは店頭のメニューを眺めてみよう。
この時代に「ラーメン」が500円というのがまず泣ける。「チャーシューワンタンメン」なんて豪華メニューが750円。僕の大好物の「カツカレーライス」は850円。ごはんものや定食、さらには単品料理も充実しているし、きっとビールくらいはあるだろう。650円の「もつ煮込み定食」も気になるな。最高級品は「みそチャーシューワンタンメン」「トンカツ定食」の900円か。迷う迷う。
店内は外観のイメージどおりにコンパクトで、カウンターが4席、緑色の小さな丸いテーブルが2席のみ。レトロなオレンジ色の椅子がなんともかわいらしい。TVに映る午後の情報番組の控えめな音声が店内BGMだ。午後2時を過ぎたころだったけど、ご主人が頻繁に出前に出ていたから、地元の人気店なんだろう。まぁ、その地元が具体的にどの地域なのか、僕にはわかってないんだけど。
そして酒類は、お、あるある。ビールの大びんが550円はかなり良心的。しかもその横に、「缶ビール」もあって300円。これは嬉しい。
よく冷えたビールを缶からコップにトクトクと注ぎ、ごくり。うん、しばらく無心に歩き回った体に沁みわたる。
メニューは悩んだ末、「肉野菜ワンタンメン」を選んだ。個人的に、ワンタンメンが大好物で、しかしこの店の「肉野菜」要素も気になったので。かなりの豪華メニューに感じるけれど、それでも750円。
うわ、すご。かなり大きめのどんぶりを満たすラーメン。その上に肉野菜炒めが、うず高く山となっている。肉も野菜も大盤振る舞いにもほどがある量。さてワンタンはどこに? と、具材をよけて探ってみると、これまたたっぷり、10枚くらいは入ってる感じだ。
まずはスープをひと口。すると、これがこちらの勝手な想像をはるかに超えてうまい! ベースはていねいに作られた、オーソドックスな鶏ガラ醤油系のスープだと思うんだけど、そこに大量の野菜か由来と思われる甘みがぞんぶんに滲み出ている。ほんの少し強めの塩気も、ほどよく疲れた体にばっちりで、今の僕にとってはまるで回復薬。まさに"ハマりメシ"との遭遇。
キャベツ、玉ねぎ、にんじん、にら、もやし、そして惜しみない量の豚肉。それらをざくざくとほおばってはスープを飲み、麺をすする。ふわりとかんすいの香る、中細くらいのちぢれ麺のすすりごこちも、ちゃんとひき肉入りなのが嬉しいふわぷるワンタンの食感も快感だ。
うまいうまいと夢中で食べ続けるも、さすがに近年だいぶ食の細くなってきた自分にとっては、量が多かった。途中、「これ、本当になくなる日がくるの?」と、まるでフードファイターのような気分にもなりつつ、なんとか完食。満腹のお腹をさすりながら、お会計をお願いして店を出る。中華料理 吉野、場所を把握した後、また訪れたい名店だったな。
さて、こんどは腹ごなしだと、ふたたび歩き出すと、すぐにどこかの大通りに突き当たる。そしてそこは、たまに訪れる機会のある、西武新宿線「東伏見駅」の駅前エリアだった。突然の見覚えある風景。へぇ、東伏見の路地裏に、あんな店がひっそりとあったんだなぁ。
やっぱり楽しいな、散歩徘徊は。
1978年東京生まれ。酒場ライター、漫画家、イラストレーター。
著書に『酒場っ子』『つつまし酒』『天国酒場』など。2022年には、長崎県にある波佐見焼の窯元「中善」のブランド「zen to」から、オリジナルの磁器製酒器「#mixcup」も発売した。
公式X【@paricco】