パリッコぱりっこ
1978年東京生まれ。酒場ライター、漫画家、イラストレーター。
著書に『酒場っ子』『つつまし酒』『天国酒場』など。2022年には、長崎県にある波佐見焼の窯元「中善」のブランド「zen to」から、オリジナルの磁器製酒器「#mixcup」も発売した。
公式X【@paricco】
ある日、あるとき、ある場所で食べた食事が、その日の気分や体調にあまりにもぴたりとハマることが、ごくまれにある。
それは、飲み食いが好きな僕にとって大げさでなく無上の喜びだし、ベストな選択ができたことに対し、「自分って天才?」と、心密かに脳内でガッツポーズをとってしまう瞬間でもある。
そんな"ハマりメシ"を求め、今日もメシを食い、酒を飲むのです。
* * *
もう20年来の飲み友達になり、代表作に『東京都北区赤羽』シリーズなどがある漫画家、清野とおるさん。彼との初めての共著『赤羽以外の「色んな街」を歩いてみた』が発売されたのは2022年のこと。内容は、清野さんのホームグラウンドである「赤羽」にちなみ、では「赤」以外の色のつく地名の街に出かけていって、ただ飲み歩いてみようというものだった。
その取材のなかで、茶色の「茶」が付く街として、初めて訪れてみたのが、お花茶屋。1軒目に入った酒場で、いきなり隣の席に座っていた家族連れが、僕らに興味を持ったのか話しかけてくれ、なんとその日のうちに仲良くなって家にまでおじゃましてしまうという、なかなかない奇跡が起きた。その家族は小林家といい、実態はまだ謎が多いけどめちゃくちゃ頼りになるご主人と、ほがらかな奥様、そして娘さんと息子さんの4人構成。出会って以来、付き合いは途切れることがなく、先日もまた、久しぶりに飲みましょう! ということになった。
で、ご主人のじゅんさんに「いい店があるから、そこ行こう」と誘われて訪れたのが、生まれて初めて行く「堀切菖蒲園」という街。改札を出るといきなりローカルな八百屋とやきとん屋があり、昔ながらの商店や町中華がいくらでもあり、どの路地にも興味深い飲み屋が立ち並ぶ、まるで酒飲みのテーマパークのような街だ。
じゅんさんと合流し、「こっち」と言われるがまま、数々の良さげな酒場を横目に5分くらい歩いた場所に、その店はあった。店名は「隠れ家 やまさん」。オープンは2022年らしく、まだ真新しくきれいな店内。席はコの字カウンターオンリーで、ご主人がファンだという矢沢永吉グッズが、壁じゅうを埋めつくしている。
そしていきなり驚かされたのがメニューのリーズナブルさ。このあたりでは定番で、下町っ子はみな「ボール」と呼ぶ「焼酎ハイボール」が、なんと1杯280円だ。
東京の下町を中心に、古くは質の悪かった焼酎のくさみを消す工夫として炭酸割りに混ぜられてきた「謎のエキス」。やまさんのエキスもまた、独自配合によるオリジナル要素が加えられているらしく、驚くほど飲みやすく、するするとのどを通り越してゆく。
そしてまた、つまみ類も異常に安い! レギュラーメニュー、日替わり、どれもほとんどが100円から300円の間で、しかも頼んでみると、なにもかもがどーんと気前のいい量。僕は仕事がら、これまで数えきれないほどの酒場に足を運んできたけれど、それでもちょっと信じられないくらいのレベルだ。
この日は若い編集者さんが一緒だったこともあり、気になったものをどんどん頼む。まずは日替わりメニューから、「ガツねぎ」(200円)、「キンピラれんこん」(200円)、「白菜おしんこ」(100円)を。
さっそく届いたガツねぎの頼もしい量と美味しさに、もう確信した。この店、超名店。きんぴらもおしんこも、まったく値段と釣り合っていないおつまみ力の高さだ。
名物だという「やまさん焼き」(300円)は、キムチとチーズ入りのお好み焼き風でこれまたいい。「キクラゲ玉子炒め」(300円)は、中華料理では木須肉(ムースーロー)の名前で定番だけど、ここのは和風だしが効いたオリジナルテイスト。食べた瞬間、こんどオリジナルレシピを紹介している連載で絶対にパクってやろうと心に決めた。
なにを頼んでもあまりにも美味しく、ボールをがんがんにおかわりしつつ、さらにつまみをどんどん頼む。揚げものゾーンから、「しいたけとれんこんの肉詰めフライ」(350円)に、「ねぎみそトンカツ」(350円)。
どちらも店では最高級の350円メニューながら、その味は感動的。というか、すでに感覚が麻痺してしまっているけれど、揚げたてのとんかつが1皿350円って、どう考えても設定がバグってる! そしてこの店でもうひとつ外せないメニューが、その名も「幸福の黄色いカレーライス」。いわゆる昔ながらの、カレー粉と小麦粉を使った黄色いカレーで、専門のムック本「幸福の黄色いカレーを食べられるお店」にも取り上げられたことがあるらしい。
ここは飲み屋であるから、当然このカレーだけを頼んで帰るというのはNGらしいけれども、なんと1皿300円! どうしても気になって注文し、目の前に届いたそれを見てまず驚いたのが、事前に想像していたおつまみカレーなんてレベルではない、本気のボリュームのカレーだということ。
たっぷりの豚肉が見るからに嬉しく、柔らかいけれどもしゃきしゃき感も絶妙に残る玉ねぎが存在感あり。カレー自体は、スパイス感がしっかりと効きつつも優しく癒される味わいであり、本気で毎日でも食べられそう。あらためて、このカレーが300円? むしろ、絶対に通いすぎてしまうだろうから、近所になくて良かった店とすら言えるかもしれない。「幸福の黄色い」という枕詞は、当然、高倉健さん主演の名画「幸福の黄色いハンカチ」からとられているのであろう。そこに、さっき頼んでまだ皿に残っていたとんかつを、何気なくのせてみる。
するとカレーは、もはやカレーの域を超え、「幸福そのもの」とも言える存在に進化してしまうのだった。
うまくて安い料理。親父ギャク連発のご主人に、明るい女将さん。そして、全員がまるで旧知の友達であるように盛り上がる、店のお客さんたち。すべてが完璧で、まるで理想郷のような酒場だったな、やまさん。近所になくて良かったと言いつつ、わざわざ堀切菖蒲園まで通ってしまいそうなのがおそろしい。
1978年東京生まれ。酒場ライター、漫画家、イラストレーター。
著書に『酒場っ子』『つつまし酒』『天国酒場』など。2022年には、長崎県にある波佐見焼の窯元「中善」のブランド「zen to」から、オリジナルの磁器製酒器「#mixcup」も発売した。
公式X【@paricco】