パリの周囲を囲む鉄道プティト・サンチュールの廃線跡 パリの周囲を囲む鉄道プティト・サンチュールの廃線跡
『週刊プレイボーイ』で連載中の「ライクの森」。人気モデルの市川紗椰(さや)が、自身の特殊なマニアライフを綴るコラムだ。今回は、かつてパリにあった鉄道路線「プティト・サンチュール」について語る。

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パリにはかつて、街の周囲を取り囲む鉄道がありました。周囲をベルトのように環状運転していることから、ラ・プティト・サンチュール・ド・パリ(パリの小さなベルト)と呼ばれる、全長32㎞の鉄道路線。先日、90年ほど前に役目を果たしたこの鉄道の廃線巡りをしてきました。

プティト・サンチュールはフランスの第2帝政時代に当たる1852年、ナポレオン3世の指示により建設・開業しました。当時のパリは「ティエールの城壁」と呼ばれる壁で要塞化しており、この鉄道は兵士の食料や兵器などの物資を輸送する貨物線として開業しましたが、やがて旅客線としても使用されました。 

最盛期には1時間に6便ずつ蒸気機関車が各方向に走り、1900年のパリ万国博覧会の頃には、1日当たり8万5000~9万人の乗客を輸送していたそう。しかし、同じく1900年にはパリの地下鉄建設が開始。地下鉄の発展、他の鉄道路線の拡張で、プティト・サンチュールの需要が激減。1934年に旅客輸送が終了しました。

廃止後のプティト・サンチュールの行方はさまざま。RER(イル・ド・フランス地域圏急行)などほかの鉄道の一部になった区間もあれば、線路が撤去された箇所もあるそうです。しかし多くは、今も廃線時のままパリを囲んでいます。正確な数字はわからないけど、23㎞もの線路がそのまま放置されているともいわれています。23㎞といえば、山手線の6、7割、大阪環状線だとその全体が、長く放っとかれているような状況です。

学生の頃、簡単に入れる箇所がいくつかあるのを聞きつけて散策を試みました。でも長年放置されていたこともあり、なかなかの"おっかなさ"に足が止まり......。散策は諦め、歩道橋の上から眺めるにとどめました。

しかし! 近年、パリ市とフランス国鉄(SNFC)が手を組み、プティト・サンチュールの開放プロジェクトを開始。先日行きましたが、2008年に12区にできた遊歩道に加え、8箇所くらい(?)からアクセスできるようになってました。18区の区間では駅舎がカフェレストランに再利用され、菜園やLa Recyclerieというショップも。19区では旧石炭貯蔵庫がTLMという公民館のような施設に生まれ変わっていて、私が行ったときはフリマと裁縫教室が開催されてました。

ほかにも遊歩道になっている区間はいくつかありますが、線路が撤去されてバラが植えられたきれいな場所もあれば、野花とグラフィティが共存するワイルドなところも。プティト・サンチュールの沿線には200種以上の動植物が生息・自生しているらしく、工業的なトンネルから小鳥のさえずりが聞こえるような不思議な場所でした。「ここはパリ!?」とびっくりするような光景も。

個人的には、線路沿いに立ってる建物の裏側が見られるのが楽しかったですね。外観の雰囲気を合わせてるはずの建物も、後ろから見ると、どれが歴史ある建築でどれが新しいかよくわかって、街の進化が一目瞭然。

パリの産業史に触れるプティト・サンチュール。今後どんな再利用が行なわれるのか、注目です。

●市川紗椰
1987年2月14日生まれ。米デトロイト育ち。父はアメリカ人、母は日本人。モデルとして活動するほか、テレビやラジオにも出演。著書『鉄道について話した。』が好評発売中。プティト・サンチュールで放し飼いの犬を6匹も見た。公式Instagram【@sayaichikawa.official】

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