矢内裕子やない・ゆうこ
ライター&エディター。出版社で人文書を中心に、書籍編集に携わる。文庫の立ち上げ編集長を経て、独立。現在は人物インタビュー、美術、工芸、文芸、古典芸能を中心に執筆活動をしている。著書に『落語家と楽しむ男着物』(河出書房新社)、萩尾望都氏との共著に『私の少女マンガ講義』(新潮文庫)がある。
写真/©吉原重治
日夜、採点モードで高得点を目指す"カラオケガチ勢"。中には100点を連発する者もいるが、2019年に登場したDAM「精密採点Ai」はガチ勢をざわつかせた。それまでの「精密採点DX-G」と比べて点数の上下が人によってまちまちなのだ。
いったい「精密採点Ai」とはなんなのか? 自称・カラオケガチ勢の編集部員が開発者に突撃した。
「許せない! どういうことか聞かずにはいられない!」
本誌カラオケ担当を自任するY寺が興奮気味にほえた。いつもは温厚でクラシック音楽とゲームを愛する人間とは思えない、憤懣やるかたない様子だ。
20代の頃からスナックに通い、そこで歌声を披露することで時に飲み代をおごってもらったりもらわなかったりしながら、人間関係を育んできた男。彼が憤っているのは、カラオケボックスでもおなじみの通信カラオケ機種・DAM(第一興商)の「精密採点」シリーズの最新版「精密採点Ai」では、以前のような高得点が取れないという事態についてだ。
1970年代に誕生したカラオケは、わずか40年足らずで6000億円を生み出す産業に発展した。今や〈KARAOKE〉として全世界で通じる日本語になっている。
海外ではアニソンを熱狂的に歌う"オタクたち"の動画も珍しくない。カラオケは、音楽を「聴くこと」に加え「歌うこと」の楽しみも増やしたのだ。新曲を聴いたとき「歌いやすいか」をつい考えてしまう人は少なくないはずだ。
そんなカラオケに変化をもたらしたのが、2003年にリリースされたDAMの「精密採点」だ。自分の歌に点数がつくゲーム性に、カラオケで楽しむ人が増えたのはもちろん、テレビでもカラオケバトルを扱った番組が次々に登場してきた。
目に見えない音程などの要素が数値化、ビジュアル化された「精密採点」によって、誰もが漠然と感じていた「歌のうまさ」が、皆で共有できるゲーム性とともにカラオケに導入されたのだ。
カラオケをさらに楽しむサービスとして生まれた「精密採点」は、「ならば高得点を取りたい」と野心を燃やす、Y寺のような、いわゆる"ガチ勢"を生み出した。
彼ら"ガチ勢"は「どんな歌い方をすれば加点されるのか」「高得点を出すためのコツ」を追求してゆく。一方の開発側も、リアルな歌唱データを収集・分析しながら評価基準を変え、システムを新しくしてきた。
こうした数度のリニューアルを経て、登場したのが「精密採点Ai」なのだ。
前述のとおり、最初の「精密採点」が登場したのは03年。そのときには「音程」「しゃくり」「ビブラート」が採点ポイントになっていた。
続く07年の「精密採点Ⅱ」ではガイドメロディが歌唱中も表示され、よりわかりやすい形に進化。ロングトーン、ビブラートのうまさといった表現も加点対象になった。
さらに10年「精密採点DX」、15年「精密採点DX-G」とバージョンアップを重ね、19年「精密採点Ai」で"Ai感性メーター"が登場した。
「精密採点Ai」の新しい特徴とは何か。〈膨大な歌唱データを機械学習することで生まれた「Ai感性」が、人の感情を揺さぶる歌声を検出して得点化。歌のテクニックだけでなく表現力まで理解できる〉という。
人の感情に訴えかける歌い手の表現力まで採点対象にしてくれるとは心憎い。
だが、自称・カラオケガチ勢のY寺は「『精密採点DX』や『DX-G』でとことん高得点が出るように研究したが、『精密採点Ai』では、まったく"Ai感性ボーナス"(後述)がつかない。おかしい」と言い張ってきかないのだ。これまで「高得点を出すよね」と言われ、培ってきた夜の信頼も揺らいでいるのだろう。
「"精密採点"をXで検索すると、100点を連発している猛者が出てきます。中にはイコライザーを使ったり、音程の取りやすい母音だけで歌ってでも、100点を出したい精密採点ガチ勢が存在する。そのことは開発者もわかっていると思うので、より正当な評価ができるように、イタチごっこの開発がされているわけですが......」
もしやY寺も、"禁じ手"を......?
「いや、僕はそこまではやりませんよ」
目をそらすのが、なんだか怪しい。
「とにかく、直接、開発者に話を聞きたい」
普段の仕事ではなかなか見られない、Y寺の真剣なまなざし――とうとうわれわれは開発者に会うために、第一興商を訪れた。
第一興商のスマートなビル、その地下にはパーティルーム仕様のカラオケルームがある。
時にアーティストも利用するというその部屋で、「精密採点」シリーズの開発者、橘聡さんに話を聞いた。
* * *
Y寺 御社の説明では「精密採点Ai」に搭載された"Ai感性ボーナス"とは、「膨大な歌唱データからうまいと感動するポイントを抽出し、そのポイントが見つかると加点される」とのこと。
ということは、AIに「歌のうまさとは何か」を学習させているわけですよね。人間にも簡単に答えられないことだと思うんですが、実際の歌唱データを聴かせたり、波形データをAIに処理させているのでしょうか。
橘聡(以下、橘) 先にお話ししておくと、世間一般で思われているAIの使い方と「精密採点Ai」は少し違います。一般的には、AIにあらかじめデータを入力しておいて、分析してもらうんでしょうが、「精密採点Ai」はそうではない。
特定の歌い方を誤検出なく拾ってもらうためにAIを使っているんです。AIはあくまで手段にすぎません。どんな歌い方が魅力的なのかを決めているのは、開発サイドです。
Y寺 なるほど。自分の話になりますが、「精密採点DX-G」ではいろいろ研究して、やっとの思いで99点を出せたんです。「精密採点Ai」は点数が出やすくなると想像したんですが、実際に歌ってみると88点で、Ai感性ボーナスがつきませんでした。
自分は人間性を失ってしまったのかなと、はしごを外されたような気持ちになったんですよね。実はマイクとの距離を変えることで抑揚をつけているんですが、そういう小細工をAIは見抜くんでしょうか。
橘 そうですね。今まで機械が拾えなかった、上手に聞こえるポイントをなるべくたくさん見つけて、点数に乗せることに重点を置いて開発したんですよ。同時に不自然に聞こえる点は加点されないようになっています。
Y寺 ということは、和田アキ子さんら、プロの歌手でマイクの位置を変えて歌う方は点数が出ないのでは?
橘 ポイントは不自然に聞こえるかどうかです。和田さんの歌は聴いていて心地よいので採点には問題ないと思います。そのために実際の歌唱データを膨大な数、聴きました。「この人のこの魅力的な歌い方はどうしたら加点できるようになるだろう」という分析を延々やったんです。まだ拾えていない魅力的な歌い方もあるんですが。
Y寺 機械に媚びた歌い方をしすぎて不自然になってしまったということですか......。
橘 結局、安定性が大事ではあります。声の震えがなく安定して出せているかどうか。そこでボイストレーニングを受けている人とそうでない人との基礎的な違いが出てきます。
「精密採点Ai」を使ったテレビ番組を見ていると、スポーツをやっている方はボイトレをしていなくても高得点を出したりしますが、体を鍛えているからでしょうね。テクニックにこだわりすぎて安定性が損なわれると点数は伸びません。
Y寺 私がいろいろ考えて歌っても、Ai感性ボーナスはゼロで、スナックで横のおじさんが歌うと、高くない点数なのにボーナスが「3点」とかつくんですよ。
橘 評価基準をすべて出すと複雑になりすぎてしまうので、表には出していない要素もあるんです。これまでの結果、「精密採点DX-G」で100点を出せる人の特徴をまとめると、「正しい音程で歌える」「上手なビブラートを使える」「声が震えず安定した発声ができる」となります。
見た目には大きな変化はないですが、採点エンジンが強化され、これまで検出されなかったさまざまな歌唱技法が検出できるようになりました。それらを実現するためにAIが活躍して、Ai感性メーターやAi感性点として表現しているんです。
得点のために機械を研究する方がいるというのは開発者冥利に尽きますが、一度、難しく考えずに歌ってみてはいかがでしょうか。そのほうがさまざまな歌唱技法が加点されると思います。
Y寺 今日は文句を言うつもりだったのに、感動しました。機械にプログラムを入力して丸投げという勝手なイメージがあったんですが、人間に寄り添っていたんですね。
橘 そこだけは自慢というか、他社にはまねできないポイントだろうと自負しています。歌声に点数をつけるために膨大な時間をかけていますから。あとはユーザーの皆さんのさまざまな歌い方を繰り返し聴いて、覚えていく。その上で点数をチューニングするときに、たくさんのパラメーターを変えながら、試行錯誤しています。
メロディどおりに歌うことから始まった「精密採点」ですが、本当に上手に歌うためにはどうすればいいのか、機能を足していく必要があるとわかってきました。開発しながら、一緒に成長してゆく感じですよね。だから開発を重ねるほどに、いろいろなことを知って、さらにゴールが遠のいていく気もしています。
* * *
感じ入った様子で話を聞いていたY寺の瞳が、あやしく光った。
「ところで開発者である橘さんは100点を出せますか」
「100点は取れないですね。トレーニングする時間がなくて。最高は98点台です」
Y寺は「同じくらいですね」と、不敵に言うと「試しに歌ってみてもいいですか」とマイクを手にする。
選んだのは谷村新司の『昴-すばる-』。かつて「精密採点DX-G」で99点を出したことがある。
やや困惑気味の橘さんを前に、気持ち良さそうに歌うY寺。果たして採点は「91点」。肝心のAi感性ボーナスは......つかなかった。うなだれるY寺に、「いつもは店でお酒を飲みながら歌っているんでしょう? もっと伸び伸び歌えばいいだけですよ」と、橘さんは優しくアドバイスしてくれた。
「そもそも精密採点を始めたのは、歌がうまくなりたい人のために、カラオケを通じて改善点を伝えたかったから」と橘さんは言う。「自分はうまく歌えない」と最初から諦めている人が多いが、気づきがあって、そこを練習すれば誰でもうまくなれるし、歌うことが楽しくなるというのだ。
「音楽には力があると信じているんです。私自身、音楽をやっていて救われてきましたし、カラオケを通じてできることがあると思っています」
多くの人を熱狂させてきた「精密採点」には、開発者の愛が込められていたのだ。
「考えすぎず、か」。橘さんの話を聞いた帰り道、Y寺がつぶやいた。果たしてカラオケ自慢の彼は失った夜の信頼を取り戻せるのだろうか。
「編集部に戻ります」と、駅の階段を駆け上がっていったY寺。そのホームが会社とは違う方向だった気がしたのは、きっと見間違いだろう。
ライター&エディター。出版社で人文書を中心に、書籍編集に携わる。文庫の立ち上げ編集長を経て、独立。現在は人物インタビュー、美術、工芸、文芸、古典芸能を中心に執筆活動をしている。著書に『落語家と楽しむ男着物』(河出書房新社)、萩尾望都氏との共著に『私の少女マンガ講義』(新潮文庫)がある。
写真/©吉原重治