パリッコぱりっこ
1978年東京生まれ。酒場ライター、漫画家、イラストレーター。
著書に『酒場っ子』『つつまし酒』『天国酒場』など。2022年には、長崎県にある波佐見焼の窯元「中善」のブランド「zen to」から、オリジナルの磁器製酒器「#mixcup」も発売した。
公式X【@paricco】
ある日、あるとき、ある場所で食べた食事が、その日の気分や体調にあまりにもぴたりとハマることが、ごくまれにある。
それは、飲み食いが好きな僕にとって大げさでなく無上の喜びだし、ベストな選択ができたことに対し、「自分って天才?」と、心密かに脳内でガッツポーズをとってしまう瞬間でもある。
そんな"ハマりメシ"を求め、今日もメシを食い、酒を飲むのです。
* * *
僕の最新エッセイ集『缶チューハイとベビーカー』の発売記念トークイベントを、今月末に三鷹の「UNITE(ユニテ)」という書店で開催してもらえることになった。共演は同じくライターの岡田悠さんで、近著『はこんでころぶ』とのダブル発売記念イベントとなる。
三鷹は、僕の住む西武池袋線、石神井公園の街から電車でのアクセスは良くないけれど、中央線で吉祥寺の隣駅。自転車で縦に南下すれば、30分もかからずについてしまう距離だ。せっかくお声がけいただいたのにまだ訪れたことのない店だし、事前に一度ご挨拶に行ってみよう。そう思い立ち、シェアサイクルで三鷹の街へ向かった。
この日はなんだか変な天気で、家を出た時は日差しが熱いくらいの夏晴れだったのに、自転車をこいでいると急な天気雨が降ってきたりして、またしばらく晴れ、よし服が乾いてきたなと思ったら、ふたたびザッと通り雨に襲われたりして、結果的に、三鷹に着いた時点の僕はしっとりと濡れていた。
自転車を返却してUNITEに向かって歩きだしてからも、やはり突然ものすごい雨が降ってきたりして、街のあちこちから悲鳴が聞こえている。幸い目の前にダイソーがあったので飛び込み、いちばんでっかい500円の傘を買って歩きはじめたとたん、ぴたりと雨がやんだ時には、さすがに地球におちょくられている気分になり、少しだけ切なかった。
そこで、UNITEへ行く前に、いったんエアコンの効いたお店で落ち着き、服を乾かしたい。それに、今日はまだ昼食を食べていないから、腹も減っている。よし、どこかで食事をしてから行くことにしよう。大きな規模の街で、目的地は駅から10分ほど歩いた場所にあるから、きっとなにかしらあるだろう。
そう決めて歩きだし、しばらくすると、なんとも魅力的な店を発見した。「ワンタンメンの満月」。重厚な木製の看板に「創業昭和三十五年」とある。どうやら、山形県のご当地ラーメン「酒田ラーメン」の老舗の支店らしい。そしてまた、大好きなんだよな。ワンタン。
迷わず入店する。近年リニューアルされたのか、店内は清潔そのものだ。 入り口の券売機を見ると、名物である「ワンタンメン」は、醤油、塩、ピリ辛味のスタミナの3種類があるよう。他に各種トッピングや単品。生ビールと日本酒「初孫」があるのも嬉しい。
ラーメンよりも先に、迷わず「生ビール」(税込500円)のボタンを押す。そしてメインは......なんとなく、塩の気分だな。「塩ワンタン麺」(970円)でいこう。
すぐに、見るからによ~く冷えたビールが到着。たまらずごくりとのどに流しこむと、さっき地球におちょくられたことが逆に良いスパイスとなり、じわーっと心身に染み入るうまさだ。サービスの小皿は、だし用の昆布を素揚げしたものだろうか。軽快な食感と旨味がとてもいい。
そして塩ワンタン麺が到着。うわ~、これはこれは。なんとも美しいラーメン。バランス良くどんぶり上を覆いつくす具材たち。とりわけ、天女の羽衣のようなワンタンは、どんな食感なのか、早く食べてみたくてたまらない。
が、まずはスープからひと口......お、すごい! 2、3、4口と、れんげを運ぶ手がとまらなくなる。ベースは、魚介、鶏、昆布などだろうか? 基本はあっさりしているんだけど、同時にどこまでも深く、ガツンと満足感がある。
デフォルトで3枚ものっている、しっかり肉質のチャーシュー、気前のいい量のメンマ、ねぎに水菜。どれもこれも、必要不可欠という感じで、この一杯に良いアクセントを加えている。それを受け止める、つるつるもちもちの麺がまた、とてもいい。
ところがこのラーメンには、まだ主役がいるのだった。そう、ワンタン。
肉餡をまるでウェディングドレスのように包み込むワンタンは、最大の特徴として、僕がこれまで人生で食べてきたワンタンのなかで、もっとも厚みが"薄い"ようだ。それゆえ食感が、ふわっふわのとろっとろ。口のなかで儚く溶けていってしまうような繊細さ。ワンタン好きの僕だが、こんな快感をともなうワンタンは、確実に初めて食べたぞ。
スープ、麺、具材、すべてが高次元で融合し、唯一無二のワンタンの記憶が、食べた者の心に強く刻み込まれる。酒田ラーメン、おそるべし......。
その後、服もすっかり乾いて、辿り着いたUNITEは、とても良い書店だった。空気感と品ぞろえが良く、買った本を喫茶スペースでのんびり読むこともできる。自慢のコーヒーも気になったが、「ハートランドビール」があるというので飲ませてもらい、すっかり優雅な気持ちを取り戻して帰路についたのだった。
1978年東京生まれ。酒場ライター、漫画家、イラストレーター。
著書に『酒場っ子』『つつまし酒』『天国酒場』など。2022年には、長崎県にある波佐見焼の窯元「中善」のブランド「zen to」から、オリジナルの磁器製酒器「#mixcup」も発売した。
公式X【@paricco】