「自分自身が『転売される側』だけれど、転売は決して望ましいことではない。それならばいっそ、転売ヤーを肯定し尽くすことで潰したいと思ったんです」と話す尾崎世界観さん 「自分自身が『転売される側』だけれど、転売は決して望ましいことではない。それならばいっそ、転売ヤーを肯定し尽くすことで潰したいと思ったんです」と話す尾崎世界観さん

音楽ビジネスの構造が配信中心へと大きく変化する時代、伸び悩みに焦るミュージシャンがすがりついたのは、人気ライブのチケットを高額で転売する"カリスマ転売ヤー"だった......。

転売チケットのプレミア価格化や、終わりなきエゴサーチに翻弄され続けるミュージシャンの主人公と、異様なまでに過熱する転売ビジネスの狂騒。

自身もミュージシャンである尾崎世界観さんが独特なユーモアも交えつつ、現代において「音楽の価値とは何か」を鋭く問うのが、第171回芥川賞候補作にも選ばれた『転の声』だ。

* * *

――チケットの転売ヤーがカリスマとして社会に絶大な影響力を持ち、配信すら行なわない無観客ライブ(!?)が話題を集める世界......。現実にありそうでちょっとズレている、一種のディストピア的な物語ですが、この発想はどこから?

尾崎 自分自身、ミュージシャンとして活動しているので、転売は望ましくないと思っています。でも、転売をなくすのであれば、いっそもう売る側をゼロにするより買う側をゼロにしたほうが早いような気もする。

自分はファンの方々がいるおかげで活動できているのに、そんなことを考えさせられる力が転売にはあって。

"転売される側"だけれど、この構造を是としたくない。だったら、そういう状況も小説にして転売ヤーを徹底的に肯定し尽くすことで潰したいと思ったんです。

「転売ヤーがリスペクトされる世界」、そんなありえないものを描くというのは、彼らに対する一種の攻撃になるんじゃないかと思って。

その上で「ちょっとズレている」というのを意識しました。リアルにしたいけれど「本当にありえる世界」を書きたいわけではないので。一種のバカバカしい穴や欠陥がある世界を、小説で描きたかったんです。

――主人公がフェスで演奏しているとき「気持ちは別のところにある......」みたいな描写も印象的だったのですが、ご自身を主人公に重ねている部分も?

尾崎 よく聞かれるんですが、特に重ねたつもりはないのに、読んでいる人は意外と気にするんですよね。

書いているときは主人公が見ている世界を描くことに必死でわからなかったけれど、結果的に重なってしまっている部分はあるかもしれません。

ちなみに「何を見ているのか?」というのもこの作品の重要なポイントで、例えば、自分でもフェスなどのステージで演奏しているときに「ああ、この曲でこれだけ帰っていくのか」とか「自分たちが演奏している最中に売店に行く人がいる......でも確かに今、すいてるもんな」などと、別のことを考えていることがあるんですね。

ところが、そんなときに限って「今日の演奏はすごく響いた!」と言われる。そうかと思えば、自分で「すごくいい演奏だった。完璧だった」と思ったときに「なんだか今日、調子悪そうでしたね?」と言われたり。

――「見ているもの」や「感じていること」がズレている?

尾崎 もちろん、それが悔しかったり、無性に腹が立ったりもするんですが、これは小説でも音楽でも同じで、「伝える」とか「伝わる」って、実はそんなもんだと思うんです。

昔は相手に自分の意図が完全に伝わらないと納得できなかったけれど、最近は「音楽も小説も、結局、自分が出したものを自分ではコントロールできない」ということがわかってきました。

むしろファンや読者との、その「わかり合えなさ」というのが大事で、もしもお互い完全にわかり合えてしまったら、それはそれで疲れるし怖いと思う。

本当は、自分がそういう「ズレ」に救われていることも多いと気づいたんです。ズレているからこそ、人に届ける意味があると理解したというか。

――この作品は音楽ビジネスも含めたエンタメと資本主義の問題についても考えさせられます。例えば、仕事に関係なく、誰もが同じ給料をもらえる世界だったとしても、尾崎さんは歌を歌っていましたか?

尾崎 面白い質問ですね。どうだろう? 曲は作るかもしれませんが、もう歌は歌わないかも。でもイヤですね、そんな世界......(苦笑)。

ただ、なぜイヤだと感じるのか。それが、この小説ともつながると思うんですよね。自分の出す作品の価値をどこで測るのかという問題。

音楽ビジネスの現状でいうと、今のストリーミング時代、大量の音楽が定額、無料で聴かれる状況に最初は違和感がありましたが、今はもう「そういうものだ」と考えるようになりました。

その上で、この『転の声』で書きたかったのが「数字が壊れてきている」という点です。CDの時代は100万枚というのがヒットのひとつの基準でした。

でも今は再生回数が1億とか10億と、とんでもない数字になってきている。その一方で、そうした再生回数が本当に自分たちの音楽への評価を反映しているとも限らない。

そんな数字が壊れた時代に、自分たちの評価軸をどこに置くかが、この世代のミュージシャンにとっての難しい問題だと思っています。特にコロナ禍を経てのここ数年は、「自分たちのライブを観に来てくれる人がどのくらいいるか」が大事だと考えていて。

やっぱりファンの存在がすごく重要なんですよね。ひと言で「ファン」と言っても、その中には性別も年齢も出身も異なるさまざまな人たちがいて、それぞれが異なる状況の中で自分たちの音楽を好きになってくれている。

ほとんど会ったこともない人たちが、自分たちのことを信じてくれているというのは、すごく貴重なことだと思うんです。

そんな多様でデコボコなファンの存在がなければ、そして、そのひとりひとりに異なる感性や感想がなかったら、おそらくそこに自分の表現をぶつけたいとは思わない。

どんな感想でも、そのひとつひとつに、再生数などの数字では表すことのできない価値がある。

メジャーデビューする前年に東日本大震災があって、数年前にはコロナ禍があり、定期的に自分たちのやっていることに意味はあるのかという問いに直面してきました。

でも、そうした極限状態の中でも「人にわかってもらえない可能性があるもの」に一生懸命向き合えたのは本当に幸せなことだと思います。それこそが実はとても尊いものなんじゃないかと思うんです。

■尾崎世界観(おざき・せかいかん) 
1984
年生まれ、東京都出身。ロックバンド「クリープハイプ」のボーカル、ギター。2012年、アルバム『死ぬまで一生愛されてると思ってたよ』でメジャーデビュー。著書に『祐介』『苦汁100%』『苦汁200%』(すべて文藝春秋)、『泣きたくなるほど嬉しい日々に』(KADOKAWA)など。20年『母影』(新潮社)に続き、24年『転の声』が芥川賞候補に選出

■『転の声』文藝春秋 1650円(税込) 
舞台はライブチケットの転売が今よりも市民権を得ている社会。アーティストも購入するファンも、チケットにプレミアがつき高額になることを望む。しかし、ロックバンドのフロントマン・以内右手は長引く喉の不調で、自分のアーティストとしての価値が落ちていく、そんな不安にさいなまれる。ついつい見てしまうSNSのファンの声やチケットサイトでの転売価格にも悩まされ、とうとう"カリスマ転売ヤー"にすがりついてしまう

『転の声』文藝春秋 1650円(税込) 『転の声』文藝春秋 1650円(税込)

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川喜田 研

川喜田 研かわきた・けん

ジャーナリスト/ライター。1965年生まれ、神奈川県横浜市出身。自動車レース専門誌の編集者を経て、モータースポーツ・ジャーナリストとして活動の後、2012年からフリーの雑誌記者に転身。雑誌『週刊プレイボーイ』などを中心に国際政治、社会、経済、サイエンスから医療まで、幅広いテーマで取材・執筆活動を続け、新書の企画・構成なども手掛ける。著書に『さらば、ホンダF1 最強軍団はなぜ自壊したのか?』(2009年、集英社)がある。

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