パリッコぱりっこ
1978年東京生まれ。酒場ライター、漫画家、イラストレーター。
著書に『酒場っ子』『つつまし酒』『天国酒場』など。2022年には、長崎県にある波佐見焼の窯元「中善」のブランド「zen to」から、オリジナルの磁器製酒器「#mixcup」も発売した。
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ある日、あるとき、ある場所で食べた食事が、その日の気分や体調にあまりにもぴたりとハマることが、ごくまれにある。
それは、飲み食いが好きな僕にとって大げさでなく無上の喜びだし、ベストな選択ができたことに対し、「自分って天才?」と、心密かに脳内でガッツポーズをとってしまう瞬間でもある。
そんな"ハマりメシ"を求め、今日もメシを食い、酒を飲むのです。
* * *
家庭の事情により、家の隣駅である西武池袋線の大泉学園駅付近で、夕方にちょっとした空き時間ができる機会が最近増えた。となると当然、足は酒場に向かってしまう。
昨日も街を徘徊していて、そういえばここ、入ったことなかったな、という店の前を通る。
「居酒屋 ちょみ」という店。商店街の横道にあるカウンターのみの小さな飲み屋で、まだ時間が早いからか先客はいない。
店頭のテーブル席に店主と思われる男性がひとり腰かけ、たばこを吸っている。髪はロマンスグレーで長いひげをたくわえ、料理人歴数十年という雰囲気の、見るからにただものじゃないオーラ全開だ。ほんのりと緊張感が漂うものの、僕はこういう店に飛びこんでみるのが大好きなので、今夜はここで飲むことにしよう。
「ひとり、大丈夫ですか?」と聞くと、意外にも穏やかな物腰と優しい笑顔で「どうぞどうぞ」と招き入れてくれたご主人。まずは、こわい人ではないようだ。この緊張と緩和、酒場めぐりの醍醐味のひとつとも言える。
ドリンクメニューを見ると、大好きなホッピーがセットで税込450円とリーズナブル。さっそくお願いすると、酒場でよく見る、焼酎のボトルに直接つけるディスペンサーを4プッシュもしてくれ、そのナカの多さに顔がほころんだ。
あ、ちなみに、ホッピー警察が即出動してきそうな上の写真だけど、いったん落ち着いてほしい。マドラーが瓶のほうに刺さっているのは、お店がそのように提供してくれたからで、僕が入れたわけではない(ホッピーの瓶には、破損の原因になるのでマドラーを入れないでくださいと書いてある)。
また、お店の名誉のために加えておけば、ここのマドラーはプラスチック製で短め、しかも持ち手があるから注ぎ口に引っかかるようになっている。つまり、瓶の底に直接マドラーが当たらず、傷をつける可能性が極めて低いという、僕がホッピーマドラーにおける最適解と考えているタイプだ。そんな細かいポイントからも、すでにこの店が名店であることがわかる。
グランドメニュー的なものはなく、目の前の黒板の日替わりが基本らしい。夜は家で夕食を食べる予定だから、ここは軽いものにしておこうと、「枝豆」(350円)と、どんなふうに調理されて出てくるのかが気になった「サケ白子とマイタケ」(500円)を注文してみる。
調理の様子が丸見えなので、枝豆が冷凍だったこともはっきりと確認できたけど、きちんとお湯をわかしてひとりぶんをゆで、強めの塩を利かせて出してくれたそれが、すごくうまい。
サケ白子とマイタケは、シンプルなだし醤油煮だった。白子はほくほく食感でさっぱり風味、それが舞茸の旨味と合わさり絶品だ。今が旬の鮭の白子、スーパーなどで手頃な値段で売られているのを見かけ、かつて何度か家で料理してみたこともあったけど、ほんのりとくさみが残ってしまう印象があった。ところがこの一品にはそれがまったくなく、ご主人の腕、やっぱりすごい。
当然酒がすすみ、ホッピーの「中」(300円)をおかわり。
すると僕の酒好きっぷりが伝わったからだろうか、「よかったらこれ、食べてみてください」と、小皿料理をサービスしてもらってしまった。こんにゃくを煮たものと、メニューにあった「ホタテの子煮」の味見サイズだろうか。
こんにゃくは、こだわって仕入れている下仁田こんにゃくらしく、よく知る市販品よりも食感がしっかりしていて、芋からできている食材であることを思い出させてくれる。北海道や東北地方でよく食べられる食材で、運良く入荷があったというホタテの子煮は、きめ細やかな魚卵にも近いような旨味とほろりと崩れる食感で、酒のつまみとしては究極の部類だろう。
大泉学園を訪れる機会は少なくないのに、うかつだった。こんなにいい店に、今まで入ったことがなかったなんて。
と、すでに全身が幸福感に包まれた状態だけど、こうなってくると気になってしょうがないのが、メニューにある「牛スジカレー」(750円)の存在だ。大前提として、ご主人が作る牛すじカレーがうまいことは、わかりきっている。そして僕は大のカレー好き。このあとに家の夕食もあるんだけど......だめだ! 頼まないわけにはいかない。
お願いすると、家などで仕込んでこられたのであろうカレーを一人前、鍋で温めはじめるご主人。店内にたちまちカレーの香りが充満する。
ごはんがレンチンパックなのは、調理スペースとの兼ね合いもあっての合理的選択だろう。それを温めている光景を見て、軽々しく「ごはん少なめでお願いします」などと頼んでしまったことを反省した。
さて到着。はい、もううまい! 見た目と香りでうまい! ではいただきます。
うんうん。第一印象は、塩気がベースの割とシンプルな味わいのカレーだ。そこに爽やかなスパイス感が、まるで口のなかで弾けるように広がって心地いい。それから、やっぱり牛すじの旨味の存在感は大きく、食べすすめるごとに、甘さや辛さも少しずつ感じられてくるようなストーリー性を感じる。食べるごとにどんどん深みも増してゆく。つまり、めちゃくちゃうまい!
また、惜しみなくごろごろっと入った牛すじ肉が、口のなかでとろりとほぐれる、その瞬間の快感といったら......。
まだ一度しか訪れたことがないので、このカレーが定番メニューなのか、一期一会の一品だったのかはわからないけれど、それは今後店に通うなかで知っていけばいい。
ご主人とちらほら会話をさせてもらって印象的だったのが、「日本酒はお好きですか? 私は日本酒が大好きなんですよ。ごちそうしますから、こんど一緒に飲みましょう。またヒマなときに来てください」と言ってくださったこと。店主さんと客の会話とは思えないながら、きっとご主人は常に自然体で、そんなふうに、人と人との垣根のなんて考えずにお店を営業されているのだろう。
これから機会のあるたびに寄ってしまいそうな店、「ちょみ」。とても嬉しい出会いだったけど、今日のようなちょっとした空き時間ではなく、じっくり時間を作って飲みにいかないと、その本質は理解できないような気もしている。
1978年東京生まれ。酒場ライター、漫画家、イラストレーター。
著書に『酒場っ子』『つつまし酒』『天国酒場』など。2022年には、長崎県にある波佐見焼の窯元「中善」のブランド「zen to」から、オリジナルの磁器製酒器「#mixcup」も発売した。
公式X【@paricco】