柳瀬 徹やなせ・とおる
ライター・編集者。研究者、経営者、政治家から小説家、映画監督、俳優、プロスポーツ選手、将棋棋士まで、幅広いジャンルのインタビューを行う。企画・編集した本に『小さくて強い農業をつくる』『災害支援手帖』『生きていく絵』など。
たまに襲ってくる胃もたれや膨満感が、いつの間にか日常的になっていた――。食べることと飲むことを愛してきた人ほど、「胃の加齢」を自覚することから逃げ、若かりし頃を取り戻すかのように暴飲暴食に走ってしまいがちだ。忘年会シーズンに備え、フードライターの白央篤司(はくおう・あつし)さんに 「胃もたれから始めるセルフケア」を聞いた。
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年末の風物詩は数あれど、誰の心も躍らせないのは、放映頻度が増える胃腸薬のテレビCMだろう。飲み屋街を背景にタレントが威勢良く叫ぶ「食べる前に、のむ!」といったフレーズは、胃の不調など経験したことがない若い頃は、まったく意味がわからない謎の呪文に等しかった。
ところが、呪文の意味が身に染みる日が来る。おいしいものを作り、食べることも仕事としてきた白央篤司さんにとっては、43歳のある夜だった。
「あなたの胃は、もう昔のあなたの胃ではないのですよ」
そう気づかせてくれたのは私の場合、牛カルビだった。昼に焼肉ランチを奮発したところ夜になってもお腹が空かない。むしろなんだか、胃が張って気持ちが悪い。夕飯は控えめにして胃腸薬を飲み、さて寝るか......と思ってもムカムカして寝つけない。
料理や自炊が苦手な人たちが感じる心理的ハードルを、優しく下げるような実用書やエッセーを書いてきた白央さんにとっても、こんな書き出しで始まる最新著『はじめての胃もたれ』は、異色の一冊といえる。
それにしても食べることに人一倍の興味がある人が、「昔の胃ではない」と認識するのはつらくはなかったのだろうか?
「人生最大のストレスでした。大げさに言えば、仕事も続けられなくなるかもしれない。だから、認めるまでには時間がかかりました。たまたま調子が悪かっただけだ、と」
しかし「たまたま」は繰り返され、白央さんは考えを改める。
「数年後に体を壊して満足に食べられなくなってでも、今食べたいだけ食べるのか。それとも毎日少しだけ量を減らしたり、食べるものに気を配ることで今の生活を維持するのか。そう考えると答えは明白でした」
それまでも、飲みすぎた翌日にはなんとなく「消化にいいもの」を作っていたが、管理栄養士への取材で「消化にいい」とは「胃の中にある時間が短い」ことだと学び、日々の食生活を具体的に見直す。加熱したものは消化が早い。肉も野菜もスープや汁物にすることで、消化しやすく、かつ水分も一緒に取るので満腹感も得やすくなる。
また、三大栄養素では脂質が最も消化に時間がかかる。脂質が多くタンパク質が少ないカルビが、胃もたれを引き起こすのは当たり前なのだ。しかしそれでも生野菜やゆで野菜と食べるようにすれば、少ない量でも満足感が得られる。
野菜、タンパク質、炭水化物の順で食べることで血糖値の急な上昇を抑える「ベジタブルファースト」は、中年太りを防ぐために有効な方法だが、サラダやおひたしを準備しなくてもパックのモズクやメカブといった〝海のベジタブル〟を常備することで、ぐっと実践しやすくなる。
また、しっかり噛むことで満腹感が得やすいことは知ってはいても、一食を通してやり続けるのは大変だ。しかし最初のひと口だけ30回噛むことを心がけるだけで、早食いの習性も変えやすくなる。
この本に挙げられた知恵と工夫のハードルは、それほど高くは感じられない。読めば読むほど、「昔の胃ではない」ことを受け入れた生活にシフトできそうな気が、どんどん大きくなってくるのだ。
とはいえ、である。胃もたれしてでも食べたい日、どうしても食べたいものもあるのではないか。例えば二郎系ラーメンを「マシマシ」にしないことなどありえない、そんな人も少なくないだろう。券売機の前で罪悪感に責め立てられながら、結局は超大盛りのボタンを押してしまう自己と、どう向き合うべきか。
「そういう店に行くことは、いってみれば〝登山〟と一緒なんですよね。山に登りたい欲求は、丘に登っても満たせないでしょう。券売機の前で迷うところから、すでに登山というアミューズメントが始まっているんです。
だからそういう日は、自分の気持ちを全解放して頂上まで登り切ったほうがいいと思います。その日の夜や翌日からの食事や運動で、なんとか帳尻を合わせるくらいでいいと思うんですよね」
そう言いながら白央さんがカバンから出したのは、2種類の胃薬だった。どちらもドラッグストアでよく見かけるもので、特別なものではない。
「こっちは寝る前に飲むタイプ。こっちは食べる前か後に飲むと、翌日の胃がラクになります。僕はたくさんの市販薬を試してきて、このふたつが効くと感じています。
とはいえ人それぞれ症状は違いますから、薬剤師さんに相談してご自分の帳尻合わせに一番合うものを探してみるのが良いかもしれません。市販薬ですから、副作用を気にするような強い成分は入っていませんしね」
つまり、大好きなものを思い切り食べる日や、楽しい飲み会のさなかに節制を実践するよりも、その前後の数日で調整を図ればいい、というのが白央さんの考え方なのだ。
「僕はお酒が大好きだし、幸いにして苦手な人と義理で飲むこともないので、飲み会はとことん楽しみたいんです。お酒を飲むと満腹中枢がまひするので、どんどん食べてしまいますが、それはもう仕方がない。
僕もいまだに翌朝にスマホを見て、全然記憶のない2軒目、3軒目の写真に驚くことがよくあります。〝なんだこのラーメンは?〟と。でも、毎日が我慢するだけだと、人生が楽しくないじゃないですか。楽しむ日はとことん楽しんで、それ以外の日でうまくリセットするほうがいいと、僕は考えています」
飲み会もチートデーも、人生を楽しくするための「ハレ」なのだから盛大に楽しみ、普段の「ケ」で収支を合わせるという白央流は、目の前の誘惑に弱くついハメを外しやすい人――つまりほとんどすべての人――にも実践しやすそうだ。
ただ、料理をまったくしない人にとっては、本で紹介されている「肉でも野菜でも汁物にする」「鶏胸肉でゆで鶏を作っておけば便利」といった知恵も、難しく感じられるかもしれない。うどんやおかゆが胃に優しいことはわかっていても、作るとなるとどうすればいいかわからない、そんな人もいるだろう。
「うどんやおかゆは、レトルトや冷凍食品でおいしいものがたくさんあります。既製品で自分の胃をケアすることは十分にできますし、余裕があればそこに野菜をちょっと足してもいい。
生野菜を買うと余らせて腐らせてしまうという人もいるかと思いますが、ブロッコリーからインゲン豆、ホウレンソウや根菜類までいろいろな冷凍食品が売られていますし、なんなら『ささみブロッコリー』という冷凍食品まで発売されているほどです。自分にやりやすい方法で、普段の食事を考えればいいんじゃないかなと思いますね」
胃薬で帳尻を合わせてきたフードライターは、手を抜くべきところで手を抜くことに、ためらいを感じていない。そういえば、常備している「個人的おすすめレトルトカレー」を紹介する一節に続けて、白央さんはこう続けてもいる。
以前はレトルトや冷凍食品に頼るなんて手抜き、と思ってしまう自分もいた。でも手をかけられないなら手を抜くしかないじゃないか。その抜いた手は疲れた自分を休みほぐすために必要なのだ、といまは思える。自分を擁護出来るようになって、私は成長したと思う。
もうひとつ大事なことがある。それは「胃に優しい生活」は、決して忍耐でも苦行でもないということだ。
ここ数年で、私にとって厚揚げは肉や魚と同等の存在感になっている。そう、厚揚げが好物になって久しい。
年齢を重ねることで、食の好みが変わるのだ。ミョウガや大葉の苦みやクセをおいしく感じている自分に気づいたり、煮物でお酒を飲むことがとてつもない幸福に思えるようになる。加齢は確かに衰えではあるが、知らなかった新しい楽しみを発見し、獲得していくプロセスでもある。
「本に推薦文を寄せてくださったジェーン・スーさんが、テレビで更年期を〝更新期〟と表現されていて、目を見開かされた思いがしました」
胃に優しい生活は、未知の好物を探す長い旅路であり、胃もたれは進むべき道を指し示す羅針盤なのかもしれない。これから迎える忘年会シーズンで、新しい好物と巡り合うことができれば、新しい年をより新鮮な気持ちで迎えられるのではないだろうか。
■『はじめての胃もたれ食とココロの更新記』
白央篤司著 太田出版 1980円(税込)
ライター・編集者。研究者、経営者、政治家から小説家、映画監督、俳優、プロスポーツ選手、将棋棋士まで、幅広いジャンルのインタビューを行う。企画・編集した本に『小さくて強い農業をつくる』『災害支援手帖』『生きていく絵』など。