ソチ冬季五輪がいよいよ開幕する。だが、この五輪は史上最悪の祭典として記憶と歴史に残るかもしれない。ロシアと長年敵対しているチェチェン・ゲリラが五輪潰しのため、ソチおよびロシア全土で大規模テロを画策しているのだ。今、ロシアはどうなっているのか。テロは起こるのか? その最前線を国際ジャーナリスト・河合洋一郎氏が緊急解説。

■チェチェン・ゲリラの地元で行なわれるソチ五輪

ソチ冬季五輪開幕が目前に迫ってきた。しかし、ロシア有数のリゾート地として知られるソチは、お祭り騒ぎとはかけ離れた重苦しいムードに包まれている。テロを阻止するため1月7日から厳戒態勢が敷かれているからだ。その厳しさは住民たちが「収容所にいるようだ」と悲鳴を上げるほど。

何しろ人口約40万人の街に、警備で投入された警官と兵士の数は合わせて約5万人。街への出入りは完全にコントロールされ、外部からの商品の仕入れまで禁止されているのだから無理もない。

すでに半年前から対テロ特殊部隊が現地で活動し、現在では街の随所に設置された監視カメラや上空を飛ぶ無人偵察機が目を光らせている。さらにソチに面した黒海には海軍の巡視艇と潜水艦、またハイジャックされた航空機による自殺攻撃を阻止するための最新鋭対空ミサイル・システムまで配備されている。

9・11テロ以後、オリンピックやW杯サッカーのような世界的スポーツイベントのセキュリティは、それ以前とは比較にならないほど厳しくなったが、これほど厳重な警備下で行なわれるオリンピックは今回が初めてであろう。

ロシア政府がここまで警備に力を入れるのには理由がある。極めて高いテロ実行能力を持つある勢力が「全力を挙げてソチ五輪を潰(つぶ)す」と宣言しているからだ。

その勢力とは、昨年12月29日と30日に北カフカスへの玄関口ボルゴグラードで自爆テロを実行した「カフカス首長国」だ。聞き慣れない名称だが、この20年ほど北カフカス地域の独立を求めてロシア相手に凄(すさ)まじい闘争を繰り広げてきた「チェチェン・ゲリラ」と言えば知っている人も多いだろう。

2002年のモスクワ劇場占拠事件、2004年のモスクワ地下鉄爆破事件やベスラン学校人質事件など、ロシアをターゲットにした数多くの大規模テロ(チェチェン側からすれば抵抗運動だが)を実行してきた勢力である。

彼らがカフカス首長国と呼ばれるようになったのは2007年の秋だ。1991年、ソ連崩壊に乗じて独立派が「チェチェン・イチケリア共和国」として独立を宣言した。これにより第1次チェチェン紛争が勃発したが、当初、その領域はロシア連邦のチェチェン共和国にあった。が、1999年に第2次チェチェン紛争が始まると、民間人をも犠牲にするロシア側の容赦ない攻撃に対抗して、チェチェンのイスラム過激派勢力がカフカス全域やモスクワなどで大規模テロを次々に実行。さらにダゲスタンなどにも戦闘が飛び火する。

この戦線拡大により2007年、チェチェン・イチケリア共和国の第5代大統領で“ロシアのオサマ・ビン・ラディン”として知られるドク・ウマロフが領域を大幅に広げ、北カフカス全域にわたるイスラム国家の樹立を宣言した。これがカフカス首長国だ。

カフカス首長国、国家としての実体はないが、この国家樹立が彼らのソチ五輪阻止宣言に大きく関係している。なぜならソチはカフカス首長国の領域内に位置しているからだ。自分たちが勢力圏と見なしている場所で、敵であるロシアの国威発揚イベントが行なわれようとしているのだ。オリンピック成功を最重要課題としているプーチンのメンツを潰すために、自爆テロ要員たちが全力で襲いかかってくるのは間違いないだろう。 果たして「鋼鉄の輪」と呼ばれているロシア当局の厳重警戒網は、チェチェン側のテロを阻止できるだろうか。

1月半ば頃までは、世界の対テロ専門家たちの一致した意見は、「競技が行なわれる会場などでテロが起きる可能性はゼロに近いが、ソチ周辺のホテル、レストラン、交通機関といったソフト・ターゲットを狙われたら阻止は困難」というものだった。去年末にボルゴグラードで発生したダブル自爆テロを見てもわかるように、比較的警備の緩い場所で、金属探知機や検問の前で自爆されればお手上げだからだ。また、ソチから遠く離れた場所でテロ攻撃に出る可能性もある。

■「プーチンの五輪」はテロと流血で歴史に残る?

とりあえず鋼鉄の輪の内側は大丈夫……と思われていたのだが、ここにきてそれもかなり怪しい状況となってきている。というのも、1月20日、3名の「ブラック・ウイドウ(黒い未亡人)」がロシア当局の厳重警戒網を潜(くぐ)り抜けてソチに潜入した事実が発覚したのだ。

ブラック・ウイドウとは、カフカス首長国の特攻隊に所属する女性自爆テロ要員のこと。これまでにも彼女たちは多くの大規模自爆攻撃に投入されており、ボルゴグラードのダブル自爆テロでも、実行犯3人のうちふたりはブラック・ウイドウだったといわれる。

ブラック・ウイドウのソチ潜入が公になったのは、ロシア内務省が写真入りの指名手配書をホテルや空港に配布したためだ。手配書によると、3人のうちのひとり、通称“サリマ”と呼ばれる22歳の女がソチに潜入したのは1月10日前後。これはソチに厳戒態勢が敷かれた後である。警備のどこかに穴があったということだ。

ロシア当局にとってさらに問題なのは、5万人の警備体制をもってしてもいまだサリマの行方をつかめていないことである。これは彼女が事前に用意されていたセーフハウスに隠れている公算が大きいことを意味している。そうであればその隠れ家を用意して彼女を匿(かくま)っている人間、つまりソチにチェチェン側の内部協力者が入り込んでいるということだ。アメリカのある対テロ専門家はこう語る。

「2007年にソチ五輪開催が決定した後、チェチェン・ゲリラのベテラン戦闘員が10名ほど行方不明となった。現在でもその行方は杳(よう)として知れない。当時からわれわれの間では、彼らはソチ五輪にテロを仕掛けるために地下に潜ったのではないかといわれていた。

五輪開催が決まると同時にソチはチェチェン・ゲリラの攻撃目標となった。カフカス首長国のドク・ウマロフがソチ五輪開催阻止を宣言したのは去年7月だが、その準備は2007年にすでに始まっていたと見て間違いない。行方不明となった男たちの何人かがソチに入り込んでいる可能性は十分ある。身分を変えてソチに移住し5、6年の間、何食わぬ顔で一般人に交じって生活していれば、ロシアのFSB(連邦保安庁)といえども、見分けるのは難しいだろう」

単なる協力者ではなく、彼ら自身もテロ要員である恐れもある。ロシアの捜査当局がこの土壇場になってなりふり構わず公開捜査に踏み切った背景には、サリマだけでなくこの「協力者」たちの存在が大きく関係しているのかもしれない。五輪の開会式までにサリマのほかソチに潜伏しているテロ要員全員の身柄が拘束されるのを祈るばかりだ。

が、それでソチ五輪をめぐるテロの脅威が消えてなくなるわけではない。多くの対テロ専門家が指摘しているように、五輪とはまったく関係のない場所でテロが行なわれる危険性があるからだ。ソチから遠く離れた場所ではテロの効果は薄いと思われがちだが、必ずしもそうとは限らない。

例えば、以前彼らが実行したモスクワ劇場占拠事件やベスラン学校人質事件のように100人単位で人質を取り、五輪を中止せよ、さもなくば人質を全員を殺す、と脅迫し五輪を巻き込めばいいのだ。中止にならずとも、それで平和の祭典ムードなど一気に吹っ飛んでしまう。

プーチンは当然、鎮圧作戦に出るだろうが、流血の大惨事にでもなれば、それこそチェチェン側の思う壺(つぼ)。「プーチンの五輪」は多くのテロ犠牲者を出したオリンピックとして歴史に記憶されることになるからだ。

これに関連して気になる情報がイスラエル筋から入っている。

昨年12月、シリアでアサド政権の軍と戦っていたチェチェン人ゲリラ指揮官アブ・オマル・アル・シシャニがグルジア経由で帰国し、カフカス首長国の「特殊作戦」担当責任者に就任したというのだ。時期的に見て、ここで言う「特殊作戦」がソチ五輪をターゲットにしたテロであると考えて間違いない。この男、まだ28歳と若いが、一兵卒の頃より優れた戦士として知られ、この2年ほどはシリアで外国人のイスラム過激派を率いて戦い、卓越した腕を持つ指揮官に成長したといわれている。いわばカフカス首長国の若手のエースである。

そんな男を単なる爆弾テロや自爆攻撃の指揮をさせるためにわざわざ呼び戻したりはしない。なんらかの大規模テロが計画されていると見ていい。それが人質を取るコマンド型のテロ作戦である可能性は否定できないだろう。

2006年にチェチェン・ゲリラがサンクトペテルブルクのG8サミットをターゲットにテロを実行しようとしたときは、西側情報部の協力もあり阻止することができた。果たして今回もプーチンはテロを抑え込むことができるか。それともロシア側のスキを突いてチェチェン人たちがテロを成功させるか。私には攻撃側のイニシアチブを持つチェチェン側に分があるように思えるが、こればかりはフタを開けてみないとわからない。確かなことは、両者にとってソチ五輪は一局面にすぎず、どちらが勝利を収めるにしろ、今後も彼らの死闘は続くということだ。

最後になったがソチ五輪の観戦に出かける方には、われわれ日本人の常識の通用しない場所に行くのだということを肝に銘じて十分注意してもらいたい。といっても、自爆テロを避ける方法などほとんどないのだが……。

(取材・文/河合洋一郎)