3月18日、台湾の学生たちが同国の国会を占拠。その後、学生を支持する50万人が大規模デモを起こすなど、台湾は大きく揺らいでいる。
学生運動が国を変える――。日本では信じ難いことが、台湾では現実になるかもしれない。現地の熱気をノンフィクション作家・安田峰俊がレポートする。
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3月27日、台湾の首都、台北。学生運動の中心地である立法院(日本でいう国会議事堂)前に到着した私の第一声は「なんだこりゃ?」であった。
人々の表情が柔らかい。建物周辺で座り込みを行なう学生には、教科書を開いてテスト勉強をする人も目立つ。ほかにも、手をつないで歩く大学生カップル、ポメラニアンを散歩させる中年女性など、いずれも台湾の日常の延長線上にある人々の姿ばかりだ。
だが、周囲を埋めるのは段ボールにマジックで手書きしたスローガンの洪水である。いわく、
「自分の国家は自分で救う」 「特定政党の指図は受けない」 「自由な台湾社会を守れ!」
その間を縫って「志工(ボランティア)」の腕章をつけた学生たちが、水を配ったり掃除をしたりとせわしなく動き回っていた。
「すっかり“村”ができてます」
現地を案内してくれた台湾人が話す。現場には支援者が設置した臨時の医療施設に加え、Wi‐Fiや携帯電話用の電源の提供施設、食堂、大量の仮設トイレなどが整備されていた。すべて利用はタダ。大学の文化祭のようなユルい空気と、システマチックに洗練された政治運動が同居した不思議な空間だ。
一般市民が目立つ明るい雰囲気
学生たちが「占拠」する立法院の入り口に向かう。日本の記者だと話すと、あっさり内部に入れてくれた。議場の入り口では、担当の学生から感染症予防のための体温測定と手の消毒を受ける。
内部にいる数百人の占拠学生たちは、支援物資や食料を分配する物資班や、日、英、仏、アラビア語など多言語に対応する海外メディア向け通訳班、情報発信用のパソコン班などを組織。ゴミは分別して捨てるのがルールだ。国家機関を不法占拠している人たちとは思えないほど、明るく秩序立った雰囲気に包まれている。
白いキャミソール姿にカラーコンタクトを入れた、日本語通訳係の女子大生を見つけた。名刺を渡し、私はさっそく学生幹部への取材交渉を開始した――。
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現在、台湾国内を席巻する学生運動「ヒマワリ学運」。3月18日の開始以来、現地ではすでに20日近くも同様の光景が繰り広げられている。同月30日に呼びかけられたデモでは、50万人もの市民が集まった。
デモや学生運動といえば、日本では「ちょっと引く」イメージだ。だが、今回の台湾の運動はどうやら様子が違う。参加者に「プロの活動家っぽさ」が薄く、街の若者や一般市民が彼らを支援する姿が目立つ。現地メディアの調査では、国民の7割が学生側支持ともいう。
そもそも台湾(中華民国)は、中国国民党の一党独裁国家だった。それが1990年の「野ユリ学運」以来、学生運動や大衆運動を通じて民主化を勝ち取った歴史を持つ。近年は与野党の争いが泥沼化し、既存政党への失望感も強かったが、今回は突如として超党派的な学生運動が発生。もともと学生運動への共感が強いお国事情もあって、停滞気味だった政治空間に風穴があきつつある。
■中国の支配と強行採決に抗議
今回の運動の背景を説明すると、彼らが抗議するのは、昨年6月に台湾が中国と調印したサービス産業分野における市場相互開放協定「ECFA(海峡両岸サービス貿易協定)」の内容と、批准プロセスの不透明さだ。学生の主張が支持された背景を3点にまとめてみよう。
中国資本の参入と支配に危惧
(1)規制緩和への反発
ECFAでは、台湾の広告や印刷、建設、医療、金融など多くの分野が市場開放される。だが、これらは台湾の国内産業に中国資本の参入を許すことを意味する。
学生に賛同して抗議運動に参加した台北市在住の女性スタイリスト、エコさん(30歳)は話す。
「自由経済化で医療体制や環境保護が不十分になったり、貧富の差の拡大が心配です。人件費が安い中国の労働者が流入すれば、若者の就業機会も減ります。台湾の社会が大きく変わりかねません」
台湾では労働力人口の6割がサービス業従事者で、屋台や個人商店のような中小業者も多い。規制緩和によって仕事が奪われることへの警戒感が支持の背景にある、というわけだ。
(2)「中国の支配」への恐怖
もっとも、学生運動がここまで支持を集めたのは、規制緩和のような「難しい」問題だけが原因ではない。同じく抗議運動に参加したカルチャースクール講師、ポンさん(31歳)は話す。
「僕は規制緩和自体には反対していません。問題は協定の相手が『中国』であることです。ECFAの発効後、中国資本が印刷業や広告業を通じてマスコミをコントロールしたり、献金で政財界を牛耳れば、僕らの社会はどうなりますか? これは、非常にヤバい事態です」
中国では、企業の経済活動も共産党や政府当局の影響下にある。彼らとの「市場の相互開放」は、台湾社会に対する中国の政治的干渉の拡大を意味してしまうのだ。
事実、97年に中国に返還された香港では、今や中国マネーがメディアや政財界を支配。言論や報道の自由が大きく制限されている。
台湾で同様の事態が起きれば、現在の自由で民主主義的な社会が破壊されかねない――。そんな心配は根強い。ポンさんは言う。
「実のところ、僕は前回の選挙で与党の国民党に投票しています。でも、今回の問題に投票先は関係ない。国家的な危機なんです」
国民党は「中国寄り」とされるが、野党・民進党の政権担当能力を疑問視し、仕方なく同党に投票する選挙民は多い(日本で「ほかの選択肢がなくて」自民党に投票する人が多いのと似た構図だ)。
今回の学生運動は党派性を薄めた方針を打ち出し、台湾の一般市民の「国家的な危機」への懸念を代弁する性質を持っていた。支持が広がったのもうなずけるところだ。
本人たちも成功に驚いた理由とは
(3)政権の強引な決定
馬英九(ばえいきゅう)総統は、「日本や韓国に伍する国際競争力が必要」とECFAの意義をアピールしている。だが、協定の内容を十分に情報公開しないまま承認手続きを進めたことが、「ブラックボックス(密室)の決定」として世論の批判を招いている。
そもそも馬総統は、台湾の与党支持者からすら「親中派」と見られている人物で、現在の支持率は9%。国民の不信感は大きい。
そんな状況のなか、今年3月17日に与党側は「時間切れ」を理由に協定批准の議会審議を打ち切り。事実上の強行採決の方針を決定し、同月中にもECFAの受け入れが決まることになった。これが、大々的な抗議運動を引き起こしたのだ。
結果、翌18日の夜に学生グループが反対集会を開催。やがて参加者ら数百人が警備を突破して立法院の建物内に殺到し、議場を無理やり占拠する事態となった。
■立法院の占拠はいくつもの“幸運”によって成し遂げられた
「仲間たち6、7人で、政府施設への突入計画を思いついたのは17日の夜。標的を立法院に定めたのは、当日の午後です。まさか成功すると思わなかったのですが……」
占拠を指揮した学生グループ「黒色島国青年陣線」の女性幹部、ライさん(18歳)はそう話す。
盗聴を恐れ、仲間同士の連絡は電話はおろかLINEやフェイスブックも使わず、すべて対面で決めたという。
「立法院の入り口3ヵ所にそれぞれ突撃したら、北側の3号門の警備が手薄。そこからガラスを割って侵入し、バリケードを作って立てこもりました」(ライさん)
その日、立法院の正門には彼らとは別の過激な市民団体が陣取っていた。警察がそちらに集中配備されていたことで、学生の侵入が成功したという。この市民団体とは事前の示し合わせがあったわけではなく、まさに僥倖(ぎょうこう)だった。
権力者からまさかの協力も
前出のエコさんも、群衆のひとりとして同夜の占拠行動に参加していた。彼女は言う。
「警察と3、4回の小競り合いがありましたが、殴り合いや罵声の応酬はなし。夜10時頃にはベビーカーを押して建物内に入ったお母さんもいたくらいで、暴動のような雰囲気はなかったですね」
警備側との攻防の過程では、抗議集会に参加していた民進党の管碧玲(かんへきれい)議員が現場に偶然居合わせ、警察をなだめてくれて助かった局面もあったという。
やがて、立法院内の警備責任者である国民党の王金平(おうきんぺい)立法院長(国会議長に相当、後述)が学生の強制排除に難色を示し、翌日からは警察の動きも沈静化。院内の水や電気も止められずに済んだ。
「ただ、当日の夜は大変でした。エアコンがなくて空気が悪いし、水も食料も少ない。困ったのがトイレです。議場内の一角をカーテンで区切り、女性はそこで用を足しました。男性はペットボトルで済ませていましたよ(笑)」(エコさん)
もっとも、翌日からは彼らの「義挙」を支持する外部の人たちから大量の差し入れが届き始めた。市内のエアコン業者が無料でダクトをつないで換気設備を作ったり、ハッカー系のNGOがネット環境を整備したりで、環境が急速に改善されていく。
建物の周囲には彼らを支持する群衆が1万人以上集まり、馬政権への座り込み抗議を開始。警察が強制排除を控えたことで、院内と外部の出入りも自由になった(ただし、当局関係者の侵入を防ぐため、現在は学生たちが出入り検査を行なっている)。立法院の占拠はこうして成功したのだった。
最終的に集まった支持者は50万人にも
その後、学生リーダーの林飛帆(りんひはん)氏と陳為廷(ちんいてい)氏はしばしばテレビに登場し、政権に回答を要求するようになった。弁舌さわやかな彼らは、台湾全土で知らぬ人はいない「有名人」になっていく。
その後、外部の群衆の一部が行政院(日本の内閣府に相当)の占拠を試みて失敗するなど紆余曲折(うよきょくせつ)はあったが、政権側が具体的な対応策を取れていないことや、学生側の主張(ECFAの監督システムの法制化)が穏健で、多くの台湾人の考えに合致したことなどから、世論に同情的なムードが広がった。
結果、27日午後に林飛帆氏がデモの開催を告知すると、30日当日には50万人の市民が雪崩を打つように参加。今回の運動のトレードマークである黒シャツを着て、総統府前の路上に座り込んだ。人口比で概算すると、日本でいえば275万人の人々が集まるほどの規模だ。
私が現場で観察した限り、デモ会場には子供連れの家族や若者が多かった。路側帯(ろそくたい)の花壇を踏まない、緊急車両用の道を開ける、終了後は迅速に解散してゴミを持ち帰るなど、多数の群衆が集まったとは思えないほど行儀のいい光景も見られた。もちろん、暴動や警官との衝突も起きていない。
「この行動は、台湾の歴史に永遠に消えない1ページを刻んだ!」
デモ会場で林飛帆氏はそう演説し、馬総統が市民の要求に耳を傾けることを求めた。事実に裏づけされた説得力はありそうだ。
現在もガマン比べ、その幕引きに期待の声
■“祭りの終わり”はいつ来るのか
「占拠発生の当初、馬総統は学生たちを舐(な)め切っていた。それがいつの間にか劣勢になり、追いつめられてしまった印象です」
3月29日に馬総統の記者会見に出席した、ジャーナリストの片倉佳史(よしふみ)氏は話す。会見の開始時間が前日夜に二転三転するなど、政権側の混乱がうかがえたという。
「総統は会見で学生への対応策をほとんど語らず、ECFAへの楽観論を述べることに終始。開始時間の遅れについて『北京からの圧力じゃないよ』とジョークを飛ばしてみせたのですが、あり得なくもない話だけに記者たちは硬直。寒々しい空気が流れていました」
馬総統はECFAの撤回を否定。協定に対する監督法案を設けることは渋々認めたものの、学生側が要求する「監督システム構築後のECFA批准再審議」は拒否し、実質的には妥協しない姿勢を示した。
とはいえ、ECFA受け入れは与党内でも反発が強い。馬総統の強引な政治姿勢や中国への極度の接近を苦々しく思う議員も多く、政権内の足並みは乱れつつある。
その代表が王金平立法院長(前出)だ。王氏は国民党議員だが、対中接近に慎重な「台湾本土派」の重鎮。馬総統との対策協議を拒否したり、立法院内への警察の突入を抑え込むなど、学生側を側面支援するかのような動きも目立つ。また、野党の民進党も学生への支持を明確にし、ECFAの批准を断固として抑え込む構えだ。
学生リーダーや抗議参加者には、今回の運動がどんな形で終わるのか「わからない」という声が多い。だが、世論に加えて与党内でも学生支持の動きがある以上、馬総統としても強制排除などの力業(ちからわざ)の解決は難しく、事態は両者のガマン比べになりつつある。
台北市内で出版業に従事するワンさん(39歳)は、こう話す。
「僕は学生側の主張を全面的には支持しない。でも、今回のような運動が自由にできる台湾の民主主義は素晴らしいし、将来もこんな社会であってほしい。期待に応える幕引きが見たいものです」
現在まで、非常に「美しく」進行してきた今回の一件。ヒマワリの花が美しく咲いたままで終幕を迎えられるか、注目したい。
(取材・文/安田峰俊 撮影/安田峰俊 杉野浩司)