7月1日、安倍内閣は「集団的自衛権」の行使を容認するために、従来の憲法解釈を変更する内容の閣議決定を行なった。
戦後70年近く日本が守り続けてきた「戦争できない国」という流れを、同盟国を守るためには武力行使も辞さない「普通の国」に方向転換しようというのだ。しかし、それほどの問題なのに、憲法9条の改正手続きはおろか、国会でのマトモな議論を経ることもなく、行なわれたのは自民・公明による与党間協議だけ……。
当然、反対の声も根強い。安倍政権の「解釈改憲」に対し、「立憲主義の破壊に等しい歴史的暴挙だ!」と、憲法学者、内閣法制局長官経験者、元防衛官僚、元外務官僚、国際紛争予防のスペシャリストなど、それぞれの分野を代表する顔ぶれが立ち上がった。
その専門家グループの名は「国民安保法制懇」。解釈改憲を認めた安倍首相の私的諮問機関、本家・安保法制懇に対抗して結成された「国民目線の有識者集団」だ。
もっとも、国民目線といっても、「本家」のように内閣に報告書を提出するワケではない。だが、「結論ありき」の前提で安倍首相に近い有識者を集めた「本家」とは違い、護憲派から改憲派まで、それぞれ主張も背景も異なるバラエティ豊かなメンバー構成が「国民安保法制懇」のウリだ。
日本最高の憲法学者ほか精鋭12人がメンバー
まず注目すべきは、これまでの内閣の憲法解釈を支えてきた内閣法制局長官経験者の大森政輔(まさすけ)、阪田雅裕両氏が参加していることだろう。
憲法学者には、護憲派の重鎮として知られる東大の樋口陽一名誉教授や、理論派として名高い長谷部恭男早稲田大学教授、改憲派の論客、小林節(せつ)慶應義塾大学名誉教授らが名を連ねる。
また、外交・安全保障問題の専門家として、小泉政権下で自衛隊のイラク派遣に携わった元防衛省防衛研究所長の柳澤協二氏、外務省情報局長や防衛大学校教授を歴任した孫崎享(うける)氏。加えて、東ティモールやシエラレオネ、アフガニスタンなどの紛争地帯で国連PKO幹部として武装解除などにあたってきた伊勢崎賢治氏がいる。
そして実質的な取りまとめ役でもある法学館憲法研究所の伊藤真弁護士も合わせ12人が集う。
「いずれも各分野での実績や実務経験が豊富なトップクラスの有識者が、それぞれの立場の違いを超えて、安倍政権の憲法解釈変更にノーを突きつけようと集まった。その事実だけでも今、私たちが直面している問題の重大さを端的に物語っていると思います」(伊藤弁護士)
戦後一度も日本が戦争に巻き込まれることなく、また自衛隊がひとりの戦死者も出さず、殺さずに済んだのは、この国に憲法9条という「平和国家」のブランドがあったからにほかならない。このまま安倍政権のやりたい放題が続くなら、そのブランドは確実に崩壊していくだろう。
次ページでは、やる気満々で語る小林節慶應義塾大学名誉教授に今回の集団的自衛権行使容認がいかにデタラメか、解説してもらう!
アメリカの二軍として世界の紛争に関与したい?
「改憲派の論客が怒り心頭で語る安倍・集団的自衛権のまやかし」
安倍内閣が閣議決定した集団的自衛権の行使に必要な条件は、「わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆(くつがえ)される明白な危険がある場合」という。
しかし、日本が攻撃を受けていないのに、「密接な関係にある他国」が武力攻撃を受けたからといって、「日本の存立や国民の生命を根底から覆す」事態になるなど、どう考えたってあり得ない!
政府は意図的に「個別的自衛権」と「集団的自衛権」をゴチャ混ぜにして議論しているが、自民、公明の与党協議で挙がった「集団的自衛権が必要となる8事例」を見ても、そのほとんどが「個別的自衛権」で対応可能だ。
例えば、安倍首相が記者会見でも示した「アメリカ艦船による邦人の保護、輸送」。朝鮮半島の有事に日本人をアメリカの艦船が護送するなどほぼあり得ないが、それを承知であえて反論するなら、どこの国の船に乗っていようと、日本が国民を守るための攻撃は「個別的自衛権」の行使として行なえばいいだけのこと。
また、日本の上空を飛び越えて、アメリカを狙うミサイルを撃ち落とすというケースも、日本の領空にある危険物の除去としての「警察権」で対応できる。もちろん、警察にはミサイル除去の実行能力がないから自衛隊が代行するわけだが、いずれにせよ「集団的自衛権」の必要性はない。
ほかにも、朝鮮半島有事の際に国内の米軍基地を守ること、海外における邦人保護、日本の民間船舶の航行安全を守るための機雷除去、これらはすべて国家の正当防衛権ともいえる「個別的自衛権」を、より現実に即した形で運用するだけで十分に対応できる。
それではなぜ、安倍政権がこれほど「集団的自衛権」にこだわるのか? 首相が記者会見でなんと言おうと、日本が「世界の警察」を自任するアメリカの二軍として、世界の紛争に関与する道を開きたいからだけとしか思えない。
これは国家権力による“憲法泥棒”だ!
「集団的自衛権」の行使とは、簡単に言えば「同盟国が襲われたら、それを助けに行く」ということだ。それは例外なく、「武力行使を目的とした海外派兵」を意味する。しかし現行の憲法9条がこうした海外派兵を禁じていることは誰の目にも明らかだ。
それでも「集団的自衛権」の行使を容認すべきと言うのなら、当然、憲法改正という手続きを踏むべきで、内閣による「憲法解釈」でそれを可能とするなど、絶対に許されない。これは単なる“憲法の破壊”とも言える行為だ。
憲法とは国民ひとりひとりの権利や自由を守り、国家権力を縛るためにある。それが立憲主義の基本。
現行憲法は日本の軍事力が外に出ていくことを想定していないし、自衛隊員が海外の戦場に行って殺す殺されるなんてコトを認めていない。それを「解釈改憲」で進めるというのは、立憲主義の否定であり、国家権力による“憲法泥棒”だと言ってもいい。
安倍首相の「お友達」だけで構成された本家「安保法制懇」と違い、われわれ「国民安保法制懇」は護憲派、改憲派の憲法学者、安全保障問題、外交問題の専門家など、それぞれ立場も考え方も異なるメンバーで構成されている。
かつてはゴリゴリの護憲派から“改憲派軍国主義者”などと批判されたこともある私が、今、こうして閣議決定に強く反対しているのも、こうした立憲主義の否定が、今後、この国の歴史の大きな転換点になることを真剣に危惧しているからにほかならない。
もちろん、日本が安全保障環境の変化に対応しつつ、「国民の生命、自由、幸福追求の権利」を守ることが大切なのは言うまでもない。そのためには、現行の憲法9条下で認められた「個別的自衛権」を、より現実に即した形で行使できるようにするための法律の整備や運用の改善が必要だ。
従来の「相手が撃つまで撃ってはならぬ」という考え方では、自衛官や国民の命は守れない。その点でこれまでの硬直化した議論ではなく、現実的な視点に立った議論が行なわれること自体はいいことだ。だがそれと今回の閣議決定の話とはまったく別問題。国民は「泥棒! 俺たちの憲法を勝手に持っていくな!」と大声で抗議するべきだ!
■週刊プレイボーイ29号「集団的自衛権で日本の“平和ブランド”が崩壊する」より(本誌では、坂田雅裕氏、伊勢崎賢治氏、柳澤協二氏による「怒りの緊急解説」インタビューも掲載)