誤報連発でズタボロの朝日新聞も、それを喜んで叩いている読売新聞も、とてもマトモな状態じゃない。だが、かつて栄華を極めた「新聞サマ」の対立を利用し、その衰退に拍車をかけているのが安倍官邸の存在だという。某紙ベテラン記者がその内実を明かす。

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今、新聞は二極化しています。在京の新聞社でいえば、「読売・産経・日経」の保守系「朝日・毎日・東京」のリベラル系のふたつのグループです。

新聞によって見方が違うのは昔からですが、それでも以前は議論が成り立っていました。これは「55年体制」が終わった1990年代でもそうでした。

しかし、2011年3月の東京電力福島第一原子力発電所事故を境に、新聞の二極化は先鋭化しました。「原発を維持するのか、しないのか」というエネルギー政策について国論は二分され、相手の言葉に耳を貸さない状況が生まれたのです。

12年12月に第2次安倍政権が発足すると、今度は「憲法96条改正」「集団的自衛権の解釈変更」という安全保障分野で亀裂が生まれ、新聞の二極化は決定的になりました。

ここで無視できないのが第2次安倍政権の「新聞支配術」です。従来は「特オチ」(特ダネを報じそこねること)を恐れる記者クラブの暗黙のルールで、首相の単独インタビューは何十年も行なわれてきませんでした。ところが、第2次安倍政権はその慣例を破って単独会見方式を取り入れたのです。

単独会見の相手(新聞社)と時期を設定するのは官邸側です。例えば、憲法改正のテーマなら、読売の取材を受ければ言いたいことが伝わる。朝日だったら、この時期に受けよう。そのようにコントロールする。単独会見だからリップサービスで特ダネも入ります。たとえ安倍政権に対して都合のいい内容でも、新聞は特ダネであれば載せる。そんなマスコミの習性を知り尽くした対応だといえます。

官邸は単独会見を行なうことにより、新聞社同士が分断化されることを知っています。亀裂を深めればメディア全体の力は弱まり、官邸の力が強くなる。現在の二極化の構造は、権力側とメディア側が一緒になってつくっているのです。これは本当に危険な状況だと思います。

90年代にメディア規制三法が持ち上がったとき、新聞、テレビ、雑誌が一致団結して反対したこともありました。しかし、二極化が進んでしまった今は、そんなこともできない状態です。ダメなことはダメという本来のジャーナリズムが発揮できなければ、民主主義は死んでしまう。独裁的に物事が決められていくことの始まりに報道機関が加担している現状は、非常に危ういと思います。

(取材・文/畠山理仁)

■週刊プレイボーイ39号「昔は“エラかった”らしいけど、今はもう……『新聞サマ』とっくに死んでるし!」より