ルワンダの学校でトイレを視察する佐藤さんの周りには、学生たちの人だかりができていた

74年、ひとりで「ケニアナッツカンパニー」を創業し、世界有数のナッツ企業に育て上げた実業家・佐藤芳之氏。きちんと収益をあげながら、ケニアの人々に自立を促した指導者として現地で尊敬される男に話を聞くためルワンダを訪れた元経済産業省の幹部官僚・古賀茂明が、次に向かったのは――?

■佐藤さんのもとに集まる若い後継者たち

2008年、佐藤さんは「ケニアナッツカンパニー」の株と経営権をケニア人の幹部社員たちにタダ同然で譲った。彼はその理由をこう語る。

「自力で経営できるケニア人スタッフが育った今、ビジネスはケニアに戻すべき、と考えたからです。僕はよそ者なのに、十分に儲(もう)けさせてもらった。それに、何か新しいことがしたかったしね」

彼が次に向かったのが、ケニアの隣国、ルワンダだった。「ルワンダオーガニックソリューション(OSS)」という会社をつくり、不衛生な汲(く)み取り式トイレをきれいにする公衆衛生ビジネスをスタートさせたのだ。

乳酸菌、酵母菌、納豆菌などをサトウキビの糖蜜を加えて発酵させる。それをトイレに流すとアンモニアが中和され、強烈な臭気が一瞬にして消える。それだけでなく、分解促進効果も保有するという優れものだ。ハエもいなくなるから伝染病が減り、乳幼児の死亡率も低下する。スタッフの粘り強い営業によって、今ではルワンダ国内にある3000余りの学校のうち、1000校で採用されるまでとなった。

“アフリカのシンガポール”と呼ばれるルワンダ。首都キガリの道路にはゴミひとつ落ちておらず、治安も良好だ

ルワンダの学校に設置されているトイレは、基本的に「ぼっとん便所」だ。OSSが公衆衛生ビジネスを始める前、学生たちは悪臭に悩まされていた

ルワンダでも底辺層への雇用機会創出に貢献

ナッツビジネスも始めた。ルワンダの首都キガリから車で2時間半、前方に静かな湖を抱える茶色の荒地が広がっている。ここはもともと、ルクセンブルクが湖水で灌漑(かんがい・水路を引くなどして、耕作地を潤すこと)をして、農地にしようという国際協力プロジェクトの舞台となった土地だった。

しかし、いざ大金を投資して造った灌漑施設を使って高台から散水してみると、表土までもが一緒に流出してしまう。やがてルクセンブルクは撤退し、一帯は荒地のまま放置されてきた。佐藤さんはこの荒地に目をつけ、3000本のナッツ苗木を植えた。

3000本の苗木を植える1m四方の穴は人力で掘る。ひとつ掘るごとに、1ドル。苗木の水やりもポンプで湖からくみ上げるのではなく、現地の人々に湖からナッツ畑まで運んでもらう。この単純作業にも報酬が支払われる。健康保険や年金もすでに整備した。彼はここルワンダでも底辺層への雇用機会創出に貢献している。

「ルワンダナッツカンパニー」が植えたナッツの苗木。水を貯めるために1m四方の穴が掘られている

水を運ぶため、坂の上り下りを繰り返す現地の人たち。ルワンダでは、荷物を頭に載せるのは一般的である

20年計画くらいの長期スパンで取り組まないとダメ

だが、ルワンダナッツカンパニーはまだ利益を出せていない。現在は、周囲の農家から少量のナッツを購入し、それをお菓子などに加工して販売している段階。先日、アメリカ向けの出荷第一号が実現したが、約1億円にも及ぶ投資は回収に時間がかかるだろう。しかし、彼はそれを成し遂げるはずだ。

今、ルワンダナッツカンパニーを支えるのは社長に就任した原田さんや、工場長の齋藤剛さんら30代の日本人スタッフだ。彼らは「質でも規模でも、佐藤さんの実績を超えるビジネスをする」と意気込んでいる。

「良質なナッツがなるまでには15年かかる。でも、アフリカでビジネスを成功させようと思ったら、20年計画くらいの長期スパンで取り組まないとダメなんですよ。ただ15年後だと、僕は90歳になっちゃってるなあ」

苦笑いの佐藤さん。だが、その姿には自信がみなぎっていた。

ルワンダナッツカンパニーのナッツ栽培はスタートしたばかり。現在は、主に小規模農家や個人からナッツを買い取っている

日本人による「アフリカビジネス」のヒント

■日本人による「アフリカビジネス」のヒントがここに

今、安倍政権はアフリカ開発で米中に負けるなと、しきりに外務省の尻を叩いている。そのためJICA(国際協力機構)など、国際援助の担当現場では「カネを出すのだから、見返りをしっかり取ってこいと言われるようになった」とのささやきが聞こえてくる。

だが、そんな姿勢では長続きしないし、相手の国から憎悪されることにさえなりかねない。多くの援助は、特権層を潤(うるお)すだけで、格差を拡大し、その恩恵を受けない弱者はさらに困窮する。そうした貧困層を反政府組織やイスラム過激派組織などがテロ要員としてリクルートすることもある。紛争、内戦の原因をつくることにもなる。

アメリカをはじめとする現在の列強国は、こうした内戦や紛争をしばしば軍事力で封じ込めようとする。安倍首相が好んで使う「積極的平和主義」の正体も、実はこの軍事力に頼って平和な状況をつくろうとする政策にすぎない。

本来の「積極的平和主義」とは、戦争のない状態だけを平和と考えず、飢餓や貧困、失業なども戦争と同じく人権が蹂躙(じゅうりん)されている異常事態と見なし、これを積極的に是正しようという態度、イデオロギーを指す。

翻(ひるがえ)って佐藤さんの半生を考えてみよう。彼はアフリカの地域コミュニティに根を張り、人々を飢餓と貧困から救いながら40年がかりでビジネスを育ててきた。そして、ビジネスを独占せずに、その国へ返している。そんな佐藤さんの生き様に感動した多くの若者が、その後を継ごうとアフリカに渡っている。大企業から派遣され、数年のみ滞在する腰かけのサラリーマンよりも、こうした若者たちの生き方を支援すれば日本の道が開けるように思えてくる。

安倍政権が「積極的平和主義」を掲げるなら、中国やアメリカの猛烈な対アフリカ投資に焦る前に、自国の「アフリカビジネス」のあり方を再考すべきだ。そのヒントは佐藤芳之というひとりの日本人ビジネスマンが示している。

ルワンダナッツカンパニー社長の原田さん(左端)、工場長の齋藤剛さん(左から2番目)、副工場長の原周さん(右端)。若い日本人スタッフたちが、佐藤さんのビジネスを支えている

●佐藤芳之(さとう・よしゆき)1939年生まれ、宮城県出身。実業家。東京外国語大学卒業後、ガーナ大学へ留学。66年にはケニア政府と東レの合弁会社に入社するが、5年で退社。ケニアで鉛筆工場などを経営した後、74年に「ケニアナッツカンパニー」を創業、同社をアフリカ屈指の食品メーカーに育てた

■古賀茂明(こが・しげあき)1955年生まれ、長崎県出身。経済産業省の元幹部官僚。霞が関の改革派のリーダーだったが、民主党政権と対立して2011年退官。新著『国家の暴走』(角川oneテーマ21)が発売中。『報道ステーション』(テレビ朝日系)のコメンテーターなどでも活躍している。週刊プレイボーイにて「古賀政経塾!!」を好評連載中!