2010年5月、普天間基地の県外移設を断念。当時は沖縄県民の落胆と非難は大きかったが、今は「沖縄のことで本当に動こうとしてくれた首相」と評価する声もある 2010年5月、普天間基地の県外移設を断念。当時は沖縄県民の落胆と非難は大きかったが、今は「沖縄のことで本当に動こうとしてくれた首相」と評価する声もある

普天間基地の辺野古移設を最大の争点とする沖縄県知事選が11月に行なわれる。だが、本当に辺野古に基地は必要なのか? 普天間の移設先を「国外、最低でも県外」と公約するも、最終的には撤回した元首相・鳩山友紀夫氏が当時の舞台裏を語る。

■日本の官僚が「首相を潰して」と頼んでいた?

―鳩山さんが政権交代で首相になられた当初、沖縄の米軍普天間基地の移設先として、辺野古ではなく、「国外、最低でも県外」という方針を示されました。当時、それを具現化するための青写真はどこまであったのでしょう?

世間ではまるで「アメリカという巨大な風車に、高貴な血を引くドン・キホーテが突っ込んで見事にぶっ飛ばされた。そして、それをキッカケに民主党政権の崩壊が始まった」と見ている人も多いと思うのですが?

鳩山 もともと旧民主党を立ち上げるときに「常時駐留なき安全保障」ということを謳(うた)いました。米軍に依存しきって日本の安全が担保されることは独立国としては極めて異常なことで、その国の平和、安全というものは基本的に自分たちでつくらなければならない。

そこで出てきた発想のひとつが、日米安保の下に危機存亡のときには米軍が協力をするが、常時駐留はしないで結構だと。基本的に自分たちの安全は自分たちで守れるよう努力するので、米軍はお下がりいただきたい。そういう考え方で「常駐なき駐留」ということを訴えました。

そのことは当時の米国国務省のアーミテージさんと議論したことがあります。当然、かなりの論争になりましたが、最後には「わかった。鳩山が言っていることはよく理解できた、しかし、その言葉を『常駐なき駐留』ではなく『条件付き駐留』ではだめなのか?」とおっしゃっていました。

つまり、「常駐なき駐留」はアメリカが受け入れられないものではなかったと私は理解をしています。1995年に少女暴行事件が起きた際、沖縄で大きな抗議運動が起こり、米軍は撤退、もしくはできる限り基地を縮小せざるを得ないという危機感を持っていたと、当時のモンデール駐日大使がその後の証言で明かしています。

しかし、そのときに「いや、それは困る」と言ったのが当時の自民党政府だった。むしろ日本のほうがかたくなに「沖縄は特別だ」「米軍基地を本土には置きたくない。だからぜひ沖縄にいてください」、そういう発想だったと彼は言うんですね。

しかし、沖縄県民の気持ちは「これ以上、沖縄に基地はいらない、基地を減らしてほしい」というものでしたので、当時の民主党は「最低でも県外」という考え方を示したのです。そして2009年の選挙でそのことを申し上げ、政権を取った以上、その実現に努力しようと思ったわけです。

官僚がアメリカに頼んだ裏切りとは

―その時点で具体的な方法論というのは、どの程度検討されていたのでしょうか?

鳩山 具体的な方法論がまったくなかったわけではありません。例えば、グアムのテニアン島とか。すでにアメリカもグアムに海兵隊を移す考えを持っていたわけで、「最低でも県外、できれば国外」の具体的なイメージとして私が最初に持っていたのは海外でした。

また、ローテーションでオーストラリアやグアムを回りながら、そのなかで沖縄にも海兵隊の存在を認めるという形での駐留もあり得ると、頭の中には描いていました。

ところが、実際に政権を取ってみると、本来なら私をサポートしてくれるはずの外務省や防衛省は「無理だ」と、一切聞く耳を持とうとしなかった。

―それを具体化するために外務省なり防衛省なり官僚に知恵を出してもらうはずが、笛吹けど踊らず状態だったと?

鳩山 そうです。まったく踊らないどころか、これは後にウィキリークスによって明らかになった話(*)ですが、例えば日本の官僚がアメリカ側に「鳩山政権にもっと厳しく対応してくれ」と要請していたりした。それは私が首相を辞めた後でわかったことなわけですが……。

*『琉球049 新報』2011年5月5日付【http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-176779 -storytopic-3.html】

―日本の官僚が「うちの首相を潰(つぶ)してください」とアメリカに頼んでいたのですか?

鳩山 ワシントンの駐米大使も「鳩山内閣は自分たちの思い描いている安全保障の理論と違う。だから早く自民党政権に戻すように」という動きをしていたようです。

私自身、彼らが「面従腹背」、つまり、表向き私の言うことを聞くふりをしながら、裏では足を引っ張る態度でいたことをわかっていなかった。その反省を今は大変強く持っていますが、現実には多勢に無勢というか、“裸の王様”状態になっていたのは、お恥ずかしい話ですが事実だと思います。

 沖縄基地問題以外にも鳩山政権はさまざまな改革に取り組んだが、現状を変えたくない勢力にとっては邪魔だったのだろう。その反動か、今の安倍政権では鳩山政権と真逆のことが次々と進行している 沖縄基地問題以外にも鳩山政権はさまざまな改革に取り組んだが、現状を変えたくない勢力にとっては邪魔だったのだろう。その反動か、今の安倍政権では鳩山政権と真逆のことが次々と進行している

「トラストミー」発言の真実も

―一方、アメリカの本意はどうだったのでしょう?

鳩山 オバマ大統領との会談のなかで、「日本の政権も変わったから安全保障に関しても新しい立場で臨んでいきたい。当然、日米安保は重要だと考えているが、その具体的な方法論については今までの政権と同じではない」と申し上げました。すると、オバマ大統領からも「日本も新しい政権が誕生したんだから、新しい発想を受け入れる」という姿勢を示していただいた。

ただし、普天間の移設問題に関してはあまり時間をかけすぎずに、ある時点できちんと答えを出すから、私を信頼してほしい、「トラストミー」ということを申し上げた。

―有名な「トラストミー」発言ですね?

鳩山 ところがその「トラストミー」が曲解されて、「普天間の移設先は辺野古に戻すから信じてほしい」という話として報じられてしまったんです。

―その解釈もおそらく外務省内でつくられ、意図的にメディアに流されたものだと?

鳩山 そうだと思います。少なくとも私自身はそういう意味で言ったつもりはまったくない。こうした経緯を考えると、むしろ日本の官僚が普天間基地の辺野古移転に固執していて、アメリカはもっと柔軟な発想を持っていたのではないかと。今も日本がしっかりとした結論を示せば、それを受け入れる度量はアメリカにはあるんじゃないかという気がしています。

―その一方で、外務省からは「アメリカも辺野古にしろと急いでいる。首相、どうかご決断を!」という情報が伝えられていたと?

鳩山 私はオバマ大統領が本当はどう考えておられたのか、実はよくわからない。ただし、少なくとも彼から「辺野古」という具体的な要求が出たことはなかった。おそらく、アメリカの中にも温度差があったのかもしれません。その温度差を利用して、外務省や防衛省の官僚が「一度、辺野古と決めたんだから、またそこに戻せるよう鳩山に厳しい対応をしてくれ」と誘導していったように思います。

鳩山友紀夫(HATOYAMA YUKIO) 1947年生まれ、東京都出身。1986年の総選挙で初当選。2009年、民主党代表に就任し総選挙で勝利、第93代内閣総理大臣となる。沖縄基地問題で「最低でも県外移設」と主張し精力的に活動するも、2010年6月、総理辞任。2012年の総選挙前に政界を引退。昨年から政治信念である「友愛」の文字を取り「友紀夫」名で活動している

*明日配信の後編に続く!

(取材・文/川喜田 研 撮影/五十嵐和博)