10月26日、福島県知事選が震災後に初めて行なわれる。当然、県民の関心は高いと思いきや、現地では「もう決まったようなもんでしょ?」というあきらめの声ばかりが聞かれる。

なぜ、そんなことになっているのか? その原因は、今回の県知事選の経緯にある。

今年3月、自民党福島県連の岩城光英(いわきみつひで)会長は、民主党出身の現職・佐藤雄平(ゆうへい)知事の面前で「知事選に独自候補を擁立する」という方針を表明。この時点では、佐藤知事は進退を明らかにしておらず、現職として知事選に出馬する可能性もあった。つまり、自民から民主への“宣戦布告”だったのだ。

実際、自民党県連は今年8月に日本銀行元福島支店長の鉢村健(はちむらたけし)氏(55歳)を推薦することを決め、9月初めには県庁のそばに大きな後援会事務所まで借りていた。

ところが、佐藤知事がなかなか進退を表明しなかったこともあり、知事選の構図は固まらなかった。7月の滋賀県知事選に続いてここでも連敗すれば、11月の沖縄県知事選へも影響が出ると考える自民党本部は、県連からの要請にもかかわらず、鉢村氏に推薦を出さず、鉢村氏は宙ぶらりんの状態が続いた。

結局、佐藤知事が「県政の継続性」を訴えながらも引退を表明したのは9月4日。すると、翌5日には双葉地方町村会が、当時副知事だった内堀雅雄(うちぼりまさお)氏(50歳)に出馬を要請。その翌日には、民主党県連も内堀氏を支援することを決めた。さらに9日には、県内の全町村でつくる県町村会も続いた。

そして9月11日、満を持して内堀氏は出馬表明……。

つまり、わずか1週間のうちに、県民不在のまま超スピードで「内堀大応援団」がガッチリと形成されたのだ。これにより、自民、民主、公明、社民がひとりの候補に「相乗り」する異例の構図が完成。地元から「投票の前から決まったようなもの」という諦めにも似た失望感が渦巻いているというワケ。

誰も語らない!盛り上がらない!

一方、日銀を辞職して背水の陣で知事選への出馬を決めていた鉢村氏は、その直前まで県内を回って支持拡大を訴えていた。

ところが、自民党本部は鉢村氏に推薦を出さないどころか、独自候補よりも「負けないこと」を優先し、県連に内堀氏への相乗りを指示。結局、土壇場で自民党にハシゴを外された鉢村氏は、出馬断念を発表する記者会見を開かざるを得ない屈辱的状況に追い込まれたのだった。

鉢村氏の胸中はいかばかりか。そう思って本人に電話をすると、

「私自身、心の整理もついていません。引きずり降ろされてしまった心中をお察しいただき、どうぞご容赦ください」と、丁寧な応対で取材を断られてしまった。

自民党本部の決定に屈する形になった岩城県連会長にも直撃したが、

「今はみんなで内堀さんを支援するということ。選挙が終わるまでは何も話せません」と、言葉少なだった。

また、一時は自身の出馬を模索し、「内堀氏を積極的に支援できない」として民主党福島県連代表を辞任した増子輝彦(ましこてるひこ)参院議員にも取材を申し込んだが、秘書から「日程の都合で不可能」との回答があるだけだった。

誰も語らない。盛り上がらない。しかも、今回の県知事選は「争点が見えない」ともいわれる。

それは、日本各地の原発再稼働を進めようとする自民党の支援を受ける内堀候補でさえも、「県内の原発全基廃炉」を掲げているからだ。しかし、細かい部分を見ると各候補の主張は異なる。

独立候補たちは熱く訴えるも…

前双葉町長の井戸川克隆(いどがわかつたか)候補(68歳)は「県の原発事故対策の反省をしないままでは復興はない」と主張。県内の放射能汚染度を核種ごとに調査し、情報公開する必要性を訴えている。その上で、避難するかどうかを住民が決められるようにする「史上最大の避難作戦」をぶち上げた。

牧師の五十嵐義隆(いからしよしたか)候補(36歳)の選挙事務所は、津波で大きな被害を受けたいわき市平薄磯(たいらうすいそ)にある一軒家。「県民全員参加型の県政」を目指すとともに、子育て支援の拡充、情報化と国際化に対応した教育の充実を訴えている。

元岩手県宮古市長で福島出身の医師、熊坂義裕(くまさかよしひろ)候補(62歳)は、「県内はもちろん、福島だからこそ全国の原発再稼働反対を訴えていく。原発事故子ども・被災者支援法の理念にのっとり、被曝を避けて暮らす権利を尊重する」と主張する。

コンビニ店長の伊関明子(いせきあきこ)候補(59歳)は「2大政党が相乗りを決める経緯をテレビで見ていた娘が、『お母さん、もう福島県に未来はない。今すぐ店をたたんで福島県を出よう』と言ったんです」と、出馬のきっかけを語る。「女性がひとりもいない。だから“普通のおばさん”である自分が出ようと思った。風評被害の払拭(ふっしょく)に力を入れたい」と主張している。

建設会社役員の金子芳尚(かねこよしなお)候補(58歳)は、「震災後の福島県は暗いイメージになっている。私も年内に孫が生まれる。次世代のために明るい福島県にしていきたい。これまで経営者として、ある種の政治をやってきた実績もアイデアも自信もある。例えば福島空港の名前を『福島ゴジラ空港』と変えるだけでも違ってくる」と記者に語った。

街頭演説を見てわかるのは、どの候補も「福島への熱い思い」を持っているということ。そして、各陣営とも投票率を気にしている(前回の2010年は過去最低の42.42%)。投票率が低ければ、いくら「オール福島」と叫んでもむなしく響くだけだからだ。

そのためには、投票日までに県民の関心を集めることができるか――。福島県の今後を決める重要な選挙は、中央の都合によって歪(ゆが)められている。