“政治の街”ワシントンで、日々実感することがあります。複雑化する現代の外交交渉を円滑に動かすには、「個人」という存在が大きなカギを握っています。

私事で恐縮ですが、このたび『たった独(ひと)りの外交録 中国・アメリカの狭間(はざま)で、日本人として生きる』(晶文社)という本を上梓(じょうし)しました。高校卒業後18歳で北京へ渡ってから、この夏にボストンを離れるまで、11年半の歩みを振り返った回顧録です。

執筆のテーマは「個人」と「外交」の関係。日本、中国、アメリカと3つの国を飛び回りながら言論活動を続けるなかで、外交という分野に「個人」というプレイヤーを確立していくことの必要性を、ひとりの日本国民として強く感じてきました。

外交のメインプレイヤーは、言うまでもなく国家です。そこには古典的な政府同士のガチガチの駆け引きがある。地政学リスクなどさまざまなファクターが複雑になった近年の国際社会では、往々にしてその駆け引きが硬直化し、交渉が進展しないという事態が発生します。交渉現場にいる外交官が、国家間の緩衝材(かんしょうざい)という役割を担えないケースも珍しくありません。

最近では「企業外交」「文化外交」「スポーツ外交」といった言葉がメディアに登場するようになりましたが、機動力のある「個人」がもっと日常的に介入することで、外交は今よりもフレキシブルで、地に足の着いたものになる。ぼくはそう信じてこれまでやってきました。まだまだ大きな成果を挙げたという自負は持てませんが、これからもトライし続けていくつもりです。

ぼくはこの夏の終わりからワシントンに拠点を置いていますが、すでにアメリカをはじめ各国の政府関係者やシンクタンクから呼ばれ、日本の政策について議論をしています。ぼくは日本の国益を念頭に置きながら、日本の市民社会でどのような議論が展開されているかを紹介しつつ、自分なりの分析を伝える。彼らはそれを持ち帰り、外交交渉や政策議論にフィードバックしていく。政策に直接的に関与することだけが「外交」ではないのだと実感しています。ダイナミックに行なわれている議論へコミットメントすることによって、“個”が政府間交渉のジレンマや認識ギャップを埋める役割を果たすこともあるはずです。

中台間の対話で“個”の重要性を実感

先日、ぼくが所属するジョンスホプキンス大学に台湾から政府関係者、大学教授、シンクタンクの研究員で構成された訪問団が来ました。彼らの目的のひとつは、アメリカの“政治の中心”であるワシントンで米中台関係の現状と展望について議論すること。しかし、中国からは政府関係者も学者も参加してきませんでした。中国からすれば、ワシントン(=アメリカ)と台湾の会話に加わることはデメリットが大きい、という判断だったのでしょう。

そこで台湾の訪問団は、大学関係者として議論に参加したぼくに対して、「今の北京の内情はどうなっているのか」などと熱心に質問をしてきました。当該国の人間同士ではデリケートで触れづらいこともあるでしょうが、日本人で、しかも政府の役人でもない“第三者”のぼくとなら、ざっくばらんに話ができる。ぼくが中国で続けている情報発信を通して、中国の大衆にアプローチするという狙いがあったのかもしれません。思いのほか議論が弾み、有益な時間を過ごせました。

中台間の対話に、日本人が第三者として関与していく。それは東アジアの繁栄と安定にとっても意義深いことです。起業家や文化人、言論人といった個人が広い意味での「外交」に有機的に絡むことは、必ずや国益に資する。ワシントンという政治の街に来て、ぼくは「個人外交」の重要性をますます感じています。

残念ながら今の日本は、個人を外交に役立てるという発想や戦略が希薄なようです。これだけ国際情勢が複雑化し、表舞台での交渉だけでは動かない“難題”が増えているのに、個人というプレイヤーを活用しない理由を逆に教えて!!

●加藤嘉一(KATO YOSHIKAZU)日本語、中国語、英語でコラムを書く国際コラムニスト。1984年生まれ、静岡県出身。高校卒業後、単身で北京大学へ留学、同大学国際関係学院修士課程修了。2012年8月、約10年間暮らした中国を離れ渡米。ハーバード大学フェローを経て、現在はジョンスホプキンス大学高等国際関係大学院客員研究員。最新刊は『たった独りの外交録 中国・アメリカの狭間で、日本人として生きる』(晶文社)。中国のいまと未来を考える「加藤嘉一中国研究会」が活動中!http://katoyoshikazu.com/china-study-group/