先の総選挙では、自民党が「公平中立な放送を」とテレビ局に要望した文書が話題になった。これを“権力による圧力”と見る向きもあるが、安倍自民が大勝した今、行く末の報道の自由はどうなっていくのか? ジャーナリストの青木理氏が語る。

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この大勝で、自民の歪(ゆが)んだ変質に、さらに拍車がかかるであろう。以前の自民党は、もっと多様だった。憲法改正や再軍備を主張する中曽根康弘のようなタカ派もいれば、後藤田正晴、野中広務ら先の戦争への反省から軍事力強化などに慎重な政治家も、ハト派もいた。

しかし、いまや戦後日本が築いてきた平和主義や専守防衛といった価値を根本からひっくり返し、レジュームチェンジしたいという安倍的な歴史修正主義が自民党を覆い尽くしている。

それはすでに、解釈改憲による集団的自衛権の行使容認や特定秘密保護法、武器輸出3原則の緩和、憲法改正を目指す動きとなって現れている。

かつての自民党には、再軍備などを目指す動きがある一方、かつての戦争と隣国への反省の念が通奏低音のように鳴り響いていた。しかし、安倍政権はその音色を聞こうとしないどころか、それを消音して、自分が聞きたいメロディだけを党内に響かせようとしているように思える。

そんな安倍政権の異質性はメディア対応にも見られる。ここまで露骨にメディアをコントロールしようという政権は過去になかった。

その典型例が、選挙前に自民党が各テレビキー局に渡した文書である。選挙期間中の報道について「公平中立」を求めたもので、出演者やテーマの選定、街頭インタビューの扱いまで細かく注文をつけている。メディアの大きな役割が権力の監視にあることを考えれば明らかに行きすぎた干渉であり、恫喝(どうかつ)だ。

特定秘密保護法への対応に追われるメディア

首相自身のメディア露出も異様だ。これまでの歴代首相は特定の1社だけのインタビューや出演に応じないのがメディア側との暗黙の了解だった。ところが安倍首相はこれを蹴破り、単独インタビューや番組出演などに積極的に打って出ている。重要な政局情報などに関しても、安倍政権に近いメディアなどを選別して情報が流されている。

こうした対応が続くと、マスコミ内で「うちの社だけ首相や与党の幹部が出演や取材に応じてくれない事態は困る。だから政権批判はなるべく穏便に」というムードが蔓延(まんえん)する。安倍政権はそれを狙ってメディアコントロールを仕掛けているフシがある。

本来なら、メディアは政権側のこうした対応を毅然とはねつけるべきだろう。各社が結束して首相のメディア出演を拒否するくらいの矜持(きょうじ)を発揮してもよい。だが残念なことにそのような動きは見えない。いまやメディアは安倍政権に、その足元を見透かされている。

加えて12月10日からは特定秘密保護法が施行された。そのため、メディアは安倍政権が成立させたこの極悪法への対応にも神経を尖らせないといけなくなってしまった。

実際、ある新聞社は今、秘密保護法への対応マニュアル作りに追われている。情報提供者が逮捕されたり、自社が家宅捜索されたり、取材方法が適切だったか捜査されることだってあり得る。報道機関として、準備はどうしても必要となってくる。

こうした安倍政権のメディアへの圧力によって、報道が萎縮(いしゅく)することを私は心配しているし、メディアに情報を提供しようとする側が萎縮するのは間違いないだろう。いくらネットでニュースが読める時代になったとはいえ、日本では1次情報を取材し、発信するのは依然として新聞社やテレビ、雑誌の占める割合が圧倒的に多い。その報道機関が萎縮すれば、国民の知るべき情報もまたどんどん細ってしまうだろう。

安倍政権になって報道の自由度は急速に低下している。見る、聞く、話す、書くという行為にこれほど覚悟のいる時代がこんなに早くやって来るとは正直、思ってもみなかった。ひとりの表現者として、安倍自民の圧勝に暗い予兆を感じている。