戦後70年の今年は、平和憲法に関する議論がさまざまな形で出てくると思いますが、実は日本以外にもうひとつ、“軍隊”を放棄した国があります。
4週連続となるラテンアメリカ訪問記、今回はコスタリカです。ひとりの日本人として、2015年はどうしてもコスタリカに行きたいと前々から考えていました。“中米のスイス”と呼ばれるコスタリカの首都サンホセは、標高約1150m。温暖な気候、緑の深い大自然とコロニアル様式の街が共存し、コーヒー農園からの香りが漂う、清潔感のある空間です。
ぼくがコスタリカを訪れた理由は、日本との共通点を確認したかったからです。コスタリカと日本は、世界でたった2ヵ国の平和憲法を持つ国。しかもコスタリカは、自衛隊のような“軍事組織”さえ保有していない。戦後70年の今年、常設軍を完全放棄した国とはどういうところなのか、肌で感じてみたかったのです。
サンホセや、1823年まで首都だったカルタゴの街を歩いてまず感じたのは、当然ですが、軍人の姿がないということ。多くのラテンアメリカ諸国では、軍が治安維持の一端を担っており、街中でも銃を肩にかけた軍人をよく見かけますが、コスタリカの街にはそういった物々しさがありません。治安を守るのは、スタイリッシュないでたちの警察官です。
かつて陸軍総司令部だったサンホセの中心地、民主広場に、荘厳な造りの国立博物館があります。1949年に軍部を廃止するまでの歴史の解説や、ゆかりのある展示物が飾られていますが、特に印象的なのは、陸軍総司令部の壁を民衆がハンマーで壊している写真。「軍」から「文化」へ。国立博物館は、コスタリカが非武装というスタンスを確立した象徴的な場所であり、当時の政府や国民の決意や覚悟が感じられました。
ただし、軍を持たないというのは簡単なことではありません。コスタリカの背後にはアメリカがいて、国内に米軍が駐留し、有事の際は守ってもらうことになる。両国の関係は深く、市中では米ドルが流通し、マクドナルドをはじめ米資本も大量流入している。コスタリカも日本も、核を含めたアメリカの“傘”の下にいるのです。真の平和主義とはなんなのか。あらためて考えさせられます。
ここにも進出していた中国!
一方、ほかのラテンアメリカ諸国と同様に、ここでも中国の存在をひしひしと感じました。サンホセの一等地には大規模な中華街がありますし、ほかの街や郊外でも中華料理店や中国人経営のスーパーマーケットがそこかしこで営業し、賑(にぎ)わっています(彼らの多くは広東[カントン]省出身だそうです)。
しかし、コスタリカと中国が国交を結んだのは2007年と、つい最近のこと。いったい彼らはどうやって流入してきたのか。この疑問に、ある中国政府関係者はこう答えます。
「公務員以外の中国国民が国交のない国に行くことを政府は制限していない。入国の方法? うーん、わが国の国民はいろいろなルートを持っているからな」
世界中に移住し、中華街をつくり、ネットワークを広げてきた中国人の行動力と生命力にはあらためて驚かされました。
ただ、彼らにとってこの国は必ずしも“楽園”ではないようです。1年前に親戚のツテを頼ってきた若い中国人女性は、サンホセに来たことを後悔していました。全般的に中国のほうが物価は安く、ここで中国製の洋服を買うと母国の2倍以上する。自分はスペイン語もわからないから、中国人同士でしか話ができない、と。
環境汚染や食の安全など問題は山積みですが、中国は年々豊かになり、インフラなどの面でも住みやすくなっている。新天地を求めてあらゆる国へ移民してきた中国人の生き方も、最近では変わりつつあるのかもしれません。
日・米・中、それぞれの国と政治的・文化的につながる不思議な国コスタリカ。興味を抱かない理由があるなら、逆に教えて!!
●加藤嘉一(KATO YOSHIKAZU) 日本語、中国語、英語でコラムを書く国際コラムニスト。1984年生まれ、静岡県出身。高校卒業後、単身で北京大学へ留学、同大学国際関係学院修士課程修了。2012年8月、約10年間暮らした中国を離れ渡米。ハーバード大学フェローを経て、現在はジョンスホプキンス大学高等国際関係大学院客員研究員。最新刊は『たった独りの外交録 中国・アメリカの狭間で、日本人として生きる』(晶文社)。中国のいまと未来を考える「加藤嘉一中国研究会」が活動中! http://katoyoshikazu.com/china-study-group/