現役の自治体首長が、詐欺師から30万円の賄賂(わいろ)を受け取った容疑で逮捕・起訴された異例の裁判は、第一審で無罪判決が下された。

当初から検察側の強引な取り調べと、贈賄(ぞうわい)供述の不自然さが指摘されたこの事件が、日本の司法に残した教訓とは――。ジャーナリストの江川紹子(えがわ・しょうこ)氏が迫る。

■「検察官の主張は根拠に乏しい推測」

全国最年少の市長として注目されていた藤井浩人(ひろと)・岐阜県美濃加茂(みのかも)も市長が、収賄(しゅうわい)罪で起訴された事件。名古屋地裁(鵜飼祐充[うかいひろみつ]裁判長)は、検察側のストーリーをうのみにせず、予断を排した画期的な無罪判決を言い渡した。

最大の争点は、現金授受の有無。客観的な証拠や目撃証言がない中、検察のよりどころは、贈賄を自白した業者・中林正善(なかばやし・まさよし)氏(贈賄、詐欺で懲役4年の実刑が確定)の証言だった。彼は2回にわたり現金合計30万円を当時市会議員だった藤井氏に渡した、と供述。法廷での証言は、検察官と入念な打ち合わせを重ねただけあって、それなりに具体的で詳細なものだった。

ところが、判決は「自ら経験した事実を語っているのか疑問」として、その信用性を疑った。そこには、証拠を子細に検討しつつ要所要所で極めて常識的な判断を働かせた裁判所の対応があった。例えば――。

捜査段階で中林氏は当初、2回目の現金授受だけを供述した。1回目の授受については、よく思い出せなかったからだという。

しかし、初めて賄賂を渡したのを忘れ、2回目だけは覚えているなんて、あり得るだろうか? 初回には、相手に拒絶され不信感を抱かれれば逆効果になる、との不安や緊張感もなければおかしい。判決はそういう「非日常的行為」について記憶が曖昧なのは「不自然」と見た。さらに、現金授受の核心的な場面で、「具体的で臨場感を伴う供述」がないことも指摘した。

「具体的で臨場感を伴う供述」がない

それは、これまでの公判で、鵜飼裁判長が自ら詳細な尋問を行なってきて得られた心証でもあるだろう。特に中林証人には、現金授受の場面のディテールを丁寧に尋ねた。それでも、具体的な状況はほとんど出てこない。2回の授受の場面で交わされたのは、

中林「これ、少ないけど足しにしてください」藤井「すみません、助かります」

という、まったく同じ会話。そのリアリティの希薄さに、鵜飼裁判長が「2回とも同じやりとりなんですか?」と訝(いぶか)る様子が印象的だった。

検察側が中林供述の裏づけであるとした証拠類についても、判決は常識的な判断を行なった。そのひとつに、検察側が1回目の現金授受の後に中林氏と藤井氏の間で交わされたとするメールがある。浄水設備の資料を渡したいと、中林氏が朝に面会を申し込み、美濃加茂市内のガストで知人も交えて昼食を共にした。以下は、その日の夕方になされたメールのやりとりだ。

▽中林→藤井 〈本日はお忙しい中、突然申し訳ございませんでした。議員のお力になれるよう、精一杯頑張りますので、宜しくお願いします〉

▽藤井→中林 〈こちらこそわざわざありがとうございます!全ては市民と日本のためなので宜しくお願いします〉

これを、検察側はガストでの現金授受の裏づけと主張した。中林氏はさらなる現金提供の意図を込め、藤井氏は賄賂のお礼を述べた、と言うのである。

だが、これは単なる挨拶(あいさつ)メールとも読める。藤井メールを素直に読めば、年長者の中林氏が名古屋市の拠点から美濃加茂市まで足を運んでくれたことへの礼と、いささか気負った抱負を述べたものではないのか。

検察官の主張は根拠に乏しい推測

この点、判決は「メールの文言は多義的に解釈し得る」と認定。要するに、いろんな意味に受け取れる、というのだ。その上で、別の会合の後にも藤井氏が同様のメールを送っていることを挙げ、次のように判示した。

〈検察官の主張は根拠に乏しい推測というほかない〉

こうして、様々な証拠を自らのストーリーに合うよう強引に解釈する検察側の手法をきっぱりと退け、常識的に証拠を評価したのが、この判決の大きな特徴だ。

■裁判官が「外れ」なら有罪だった可能性も

判決は、中林氏が虚偽の自白をする動機があるかどうかにも注目した。

彼は、別の融資詐欺事件で逮捕された後に本件を「自白」。詐欺の被害総額は3億7850万円に上り、自治体の契約書を偽造するなど悪質な手口だった。

にもかかわらず、「自白」以降、融資詐欺の捜査はストップ。起訴は2件、2100万円分にとどまった(その後、藤井弁護団の告発を受け、4000万円分を追起訴)。弁護団は、中林氏と検察の間に「闇取引」があったと主張した。

この点でも判決は極めて常識的な判断をしている。「闇取引」の主張は退ける一方、中林氏が少しでも軽い刑で済ませたいという思いから、捜査機関の関心をほかの重大事件に向けたり、捜査官に迎合的な態度をとることはあり得る、と指摘。虚偽供述の動機ありとして、その信用性を慎重に判断したのだ。

裁判官にも当たり外れがある

そんなことは裁判所として当然と思うかもしれないが、現実はそうではない。私は、被告人が無実を訴える多くの事件で裁判所が検察側の設定した土俵の上で審理を進め、検察側の強引な証拠解釈をうのみにし有罪判決を出すのを見てきた。そんな裁判官が今回の事件を担当したら結論はどうなっただろうか。予断と偏見を排し、真相に迫ろうとするタイプの裁判長に当たったのは、藤井市長にとって不幸中の幸いだった。

率直に言って、裁判官にも当たり外れがある。しかし、それで人生が左右されてはたまらない。普通の裁判官が、普通に今回のように判断できる裁判所になってもらわなければ困る。

そのためには、共犯者や参考人の取り調べの録音録画(可視化)が必要だ。今回の事件では中林氏の取り調べが可視化されておらず「自白」の経緯がわからない。裁判所は調書や証言、捜査段階の取り調べメモなどを丁寧に検討したが、録音や録画があれば、供述の経緯に不自然な点がある場合、誰の目にも明らかになる。

この問題は、厚生労働事務次官の村木厚子さんが逮捕・起訴された事件の教訓でもあった。村木さんも藤井市長と同様、虚偽自白はしていない。しかし、“共犯者”やほかの関係者が、検察の強引な取り調べで村木さんの関与を認める虚偽供述をしてしまったために事件に巻き込まれた。

村木さんの無実が明らかになった時点でしっかり対策を講じなかったために藤井市長の事件が起きた。早く制度を改めないと、また次の事件も起きかねない。共犯者・参考人の取り調べを含めた全面的な可視化は急務だ。

●江川紹子(えがわ・しょうこ)早稲田大学政治経済学部卒業。神奈川新聞社会部記者を経てフリージャーナリストに。司法・冤罪、新宗教、教育、報道などの問題に取り組む。最新刊は聞き手・構成を務めた『私は負けない 「郵便不正事件」はこうして作られた』(村木厚子著・中央公論新社)