3月23日、91歳で死去した“シンガポール建国の父”リー・クアンユー氏。隣国マレーシアから追放同然のかたちで独立した小さな国が、やがて東南アジア随一の先進国となることをその当時、誰が想像しただろう。

タレントでエッセイストの小島慶子が、世間の気になる話題に独自の視点で斬り込む!

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私は1979年から80年にかけて、父の転勤でシンガポールに住んでいました。長くイギリスの植民地であり、太平洋戦争中は日本の植民地にもなったシンガポールが独立したのは1965年。79年当時、すでに当地の日本人学校は世界最大規模でした。近所にはインターナショナルスクールも。

シンガポールはリー氏の指導の下、その頃から精力的に外資を誘致して成長を遂げ、アジアの経済の中心になったんですね。けれど、当時はまだ激戦の名残(なごり)があり、近所の建設現場でまた兵隊さんの骨が出た、という噂話も聞きました。7歳の私でも、ある種の後ろめたさと語られぬ悲しみを肌で感じていたのです。

植民地で育った世代であるリー氏は、自分たちのことを自分たちできっちり決める国でありたいという強い動機を持ってシンガポールを今の姿へと導いたのでしょう。行きすぎた管理国家という批判もありますが、狭い国土で必死に自立を模索した氏の功績は誰もが認めています。

日本の富裕層の移住先として人気のシンガポールですが、私の記憶の中のかの地は、今も静かな悲しみを含んだ甘い熱帯の夜気に包まれています。

●小島慶子(こじま・けいこ)タレント、エッセイスト。1972年生まれ、オーストラリア出身。75年に日本、79年にシンガポール、80年に香港に引っ越す。81年末に日本に帰国。日本人学校育ちで英語はできず、地味な帰国子女だった