国際コラムニスト・加藤嘉一の本誌連載コラム「逆に教えて!」。今回は…。
* * * 安倍首相の訪米が間近に迫ってきましたが、沖縄の辺野古移設問題はますます泥沼化しています。この問題を“着地”させるのは誰なのでしょうか。
米軍普天間(ふてんま)飛行場の移設問題が混迷しています。4月5日には菅義偉(すがよしひで)官房長官が沖縄を訪れ、翁長雄志(おながたけし)知事と初めて会談しましたが、議論は平行線をたどり、解決の糸口すら見えません。
2013年末、仲井眞弘多(なかいまひろかず)前知事が移設先候補地の名護市辺野古(へのこ)の埋め立て工事を承認。いわば「泥をかぶる」形で、辺野古移設を既定路線化しようとしました。しかしその後、反対派の稲嶺進(いなみねすすむ)氏が名護市長に再選。さらに昨年11月には沖縄県知事選で反対派の翁長知事、衆院選でも県内4選挙区すべてで非自民党議員が当選し、沖縄の民意は明確に「辺野古移設反対」を示しました。
現状を方程式にたとえれば、感情と利権からなる沖縄の“民意”があり、歴史的経緯があり、日米政府それぞれの思惑があり、地政学的な沖縄の重要性があり…と、あまりに変数が多い。それぞれのプレイヤーが思いのまま、ただ自分勝手に動く限り方程式が解けることはないでしょう。
ぼくは、最大の問題はキーマンの欠如――言い換えれば、調整に立ち回れる“フィクサー”の不在ではないかと考えています。
ここで言うフィクサーとは、沖縄問題をアジア太平洋の未来という大義からとらえ、表も裏も知った上で、島内外の様々な意見を有機的に集約し、問題を(時には力ずくでも)“着地”させられる人のこと。複雑極まりない問題を解決するために黒子として走り回れるのは、それによって沖縄の持つ潜在力を最大化し、歴史を超えようというモチベーションを持った人物しかいません。
戦後の政治、経済、外交を陰で取りまとめた白洲(しらす)次郎のような人材が、今の沖縄あるいは日本にいるかどうか――ということです。
では、現地の空気はどうなのか。少し前の話になりますが、ぼくは2月27日に辺野古のキャンプ・シュワブを訪れました。
ゲート前で抗議行動をしていたのは100人ほどで、その5日前に米軍に一時拘束されたばかりの社会運動家・山城博治(やましろひろじ)氏の姿もありました。彼は大きな声を張り上げていましたが、ぼくの耳元では「今日、日本政府がテントを強制撤去するかもしれないので、みんな不安に思っています」とつぶやき、心細そうでした。
若者が中心にいない現場は「勝てない」
現場で強く感じたのは、若者が極端に少ないということ。学生とおぼしき人はわずか数名で、多くは地元の“おじい”“おばあ”です。ぼくが過去に訪れた琉球大学や沖縄国際大学では、キャンパス内のあちこちに「辺野古移設反対」「日米同盟破棄」など進歩的なスローガンが掲げられていましたが、抗議の現場では学生たちのパワーどころか存在そのものすら感じられない状況でした。
香港や台湾では、時間と体力があり、理念と理想を共有する何万人もの学生がデモに集まって、学位どころか命さえも危険にさらし、未来を変えようとしていました。単純な比較は無意味ですが、その差は歴然としています。若者が中心にいない辺野古の抗議行動を見て、ぼくは直感的に「これでは勝てない」と感じました。
今の沖縄には、おそらく日米政府に抗(あらが)い続けるだけの体力はなく、具体的な“出口戦略”も島内で共有できていない。抗議行動と、それを応援することを“使命”とするメディアの力だけで道が開けるとも思えない。だからこそ今、必要なのは永田町とワシントンに具体的な働きかけができるような知恵と行動力を持った“真の沖縄人”たるフィクサーなのだと強く感じます。
4月末からの安倍首相訪米の前に首相と翁長知事の会談が行なわれ、5月には翁長知事が訪米する方向で調整が進んでいるということですが、この先、事態はどうなるのか…逆に教えて!!
●加藤嘉一(KATO YOSHIKAZU) 日本語、中国語、英語でコラムを書く国際コラムニスト。1984年生まれ、静岡県出身。高校卒業後、単身で北京大学へ留学、同大学国際関係学院修士課程修了。2012年8月、約10年間暮らした中国を離れ渡米。ハーバード大学フェローを経て、現在はジョンスホプキンス大学高等国際関係大学院客員研究員。最新刊は『たった独りの外交録 中国・アメリカの狭間で、日本人として生きる』(晶文社)。中国のいまと未来を考える「加藤嘉一中国研究会」が活動中! http://katoyoshikazu.com/china-study-group/