菅義偉官房長官の様子がどうもおかしい。地味で堅実なキャラで感情を表に出さないタイプの政治家だったのに、一部では官房長官という要職に長く就くことで権力者としての意識が強くなり、傲慢になったのではないかという声まで聞かれるほどだ。

現在の評判について、菅氏と仕事で接する機会の多い霞が関官僚たちに話を聞いてみると、その評価は総じて低い。「どうしてそんな人が官房長官にまで上り詰めることができたのか」という疑問が湧くほどだ。

そこで、菅氏が出世できた理由の一端を知る人物に話を聞いてみた。証言してくれたのは、第1次安倍内閣で農林水産大臣だった松岡利勝氏の大臣秘書官を務めていた池田和隆氏だ。

「松岡さんが事務所費問題や献金問題などで野党やマスコミからバッシングを受けていたとき、ウチの事務所に真っ先に駆けつけて声をかけてくれたのが菅さんでした。松岡さんと菅さんは派閥も違うし、それまでなんの交流もありませんでした。当時の官房長官だった塩崎さんなどは最後までひと声もかけてくれなかったのに(笑)」

菅氏は松岡氏に、どのような声をかけたのか?

「1回目の訪問時はとにかく『大丈夫だから』と勇気づけてくれていましたね。

そのときの松岡さんは言葉にこそ出しませんでしたが、内閣のほかの閣僚たちがどう思っているのかが気になっているようでした。政権維持のためにはさっさと辞任しろと思っているんじゃないかと、内心では不安だったのです。

驚くべきことに菅さんは、そんな松岡さんの心中を察してくれたのです。最初の訪問の翌日だったと思いますが、再び事務所に来て、『○○さんも××さんも(当時の閣僚たちの名前)こう言ってたよ。だから大丈夫。頑張ろう!』と言ってくれたのです。

菅さんは付き合いのない人にも機敏な心配りができていたのだから、ほかでも同じような行動をとっていたに違いありません。一度でもそんな心遣いを受けた人なら、何かあったら菅さんに協力しようと思うのが人情というものでしょう」(池田氏)

菅氏が抱えるストレス

菅氏は意見が食い違う議員たちを水面下で調整してまとめるのが得意とされる。だから、いろいろな政権で重用されるのだ。それを可能にさせているのは、多くの人の心をつかむ行動を積み重ねた結果なのかもしれない。

前出の自民党幹部関係者も菅氏の“成長”を証言する。

「昔の菅さんは確かに勝負勘がなかったけど、苦い経験を積み重ねた結果、今となっては政局を見る目が養われたと思います。

その証拠に、前回の解散・総選挙のタイミングは最高だったでしょう。解散時期の情報管理とリークの加減も素晴らしかった。この前の沖縄県知事選では自民党が推す候補者が負けるといち早く見越し、仲井眞知事(当時)に普天間基地の辺野古野移設を選挙前に承認させたのも見事だった」

勝負勘を身につけ、政権も安定している。しかし、最近の菅氏は記者会見でケンカ腰の受け答えをしてしまうなど、やたらと不機嫌なのが目立つ。それはなぜか?

「ひとつの原因は、例えば自衛隊を『わが軍』と言ってしまったり、安倍さんの言動が粗くなっていること。今秋の自民党総裁選も無風決着が確定的で、超長期政権が現実的になってきた。緊張感が薄れ、安倍さんに油断が生まれています。以前のように菅さんの忠告もあまり聞かなくなっています」(自民党議員A氏)

沖縄の基地問題もストレスになっているようだ。

「沖縄の普天間基地移設問題について、菅さん個人は、沖縄県民を気遣いながら事を進めるべきだという考えのはず。しかし官房長官はあくまで首相の部下だから、安倍さんの意向に沿って、政府見解として公式発言をする責任がある。

(基地の移設を)『粛々と進める』という発言も、おそらく不本意だったはず。でもその発言が翁長沖縄県知事から『上から目線』と抗議された。さらに大きなストレスがたまっているに違いありません」(自民党議員A氏)

官房長官とはいえ、首相という上司に仕える“中間管理職”。世のサラリーマンと似たようなジレンマやストレスで不機嫌になり、時にケンカ腰にも映っているようだ。

(取材・文/菅沼 慶)