国際コラムニスト・加藤嘉一の本誌連載コラム「逆に教えて!」。今回は…。
* * * 8月15日の「終戦記念日」は有名ですが、では日本の「独立記念日」を知っている人はどれだけいるでしょう。現在の日本という国家は、この日に始まったのです。
皆さんは、自分の誕生日に運命を感じたことはありますか?
私事で恐縮ですが、ぼくは4月28日に生まれました。この日は、1952年にサンフランシスコ講和条約が発効し、日本の主権が回復した日。ちなみに、それからちょうど63年後となる今年の4月28日には、ワシントンで安倍首相とオバマ大統領の日米首脳会談が行なわれる予定です。
高校を卒業し、中国へ渡ったぼくは日本という国を外から見る機会を得ました。北京大学で国際政治を学び、揺れ動く日中関係のなか、中国の言論市場で発信する過程で、それまで気にも留めなかった「日本のあり方・生きざま」を見つめるようになりました。
自分の生まれた日は、日本の「独立記念日(インデペンデンス・デイ)」だった――。そのことに気づいたとき、ぼくは生涯をかけて日本と国際社会の関係を考えていこうと心に決めました。理屈だけでは説明できない直感ですが、それが自分の運命なのだという思いは、今日に至るまで変わらず持ち続けています。
昨年秋の話になるのですが、ぼくは初めてペンシルべニア州フィラデルフィアを訪れました。
フィラデルフィアはアメリカでも5本の指に入るほど大きな都市で、18世紀にアメリカがイギリスと戦った独立戦争の際、主戦場のひとつとなった場所。戦争中の1776年7月4日、トーマス・ジェファーソンらが起草した「独立宣言」が議事堂(現・独立記念館)で採択され、ここでアメリカ合衆国が誕生したのです。
この街には独立記念館のほか、「自由の鐘」「独立国立歴史公園」といった歴史を象徴する場所が多数存在します。印象深かったのは、市民が公園などに集まり、「独立」や「憲法」について闊達(かったつ)に意見交換をしていたことです。
中国人がフィラデルフィアを訪れる理由
フィラデルフィアは外国人観光客にも人気ですが、日本人は少ない。一方、中国人は大挙して訪れており、「自由の鐘」のスタッフの黒人女性は中国語で「並んでください」と案内していました。
富裕層ばかりでなく、例えば中国共産党から弾圧されている法輪功のメンバーが公園でデモを行なうなど“客層”もさまざまで、ある中国人女性は、「ここに来れば私たちも自由になれる」と意気込んでいました。自国の政治状況が厳しく、言論や人権が抑圧されてきただけに、中国人は「自由」「独立」に敏感。その象徴ともいえるフィラデルフィアという都市は、彼らにとっても特別な存在なのでしょう。
このような光景を目の当たりにして、ぼくは日本という国家のあり方にあらためて思いをはせました。主権があり、国民がいて、政府があり、領土がある。日本人は「独立」という状況をあまりにも当たり前だと思っていないか。フィラデルフィアの独立広場に立ち、地元民や中国の人々の表情を眺め、息遣いに触れながら、そう感じました。
中国が脅威だとか、アメリカがうるさいとかではなく、一独立国に生きる国民として、どのような国家像を掲げ、どのような生き方、そして豊かさを求めるのか。国際政治がダイナミックに動いている今だからこそ、とことん主体的に向き合い、話し合っていくべき課題なのだと思います。
ご存じのとおり、日本国憲法は“国産”ではありません。戦後70年を迎えた今、憲法の本質を問う議論はなされているでしょうか。「9条」は日本国憲法のすべてではなく、ごく一部にすぎません。安倍首相も最近はすっかり憲法論議を引っ込めてしまいましたが、改憲の是非以前に、まずは私たち自身が主人公としての自覚に立って、議論を喚起していくべきではありませんか。
真の「独立」なくして国際社会を生き抜けるというなら、その理由を逆に教えて!!
●加藤嘉一(KATO YOSHIKAZU) 日本語、中国語、英語でコラムを書く国際コラムニスト。1984年生まれ、静岡県出身。高校卒業後、単身で北京大学へ留学、同大学国際関係学院修士課程修了。2012年8月、約10年間暮らした中国を離れ渡米。ハーバード大学フェローを経て、現在はジョンスホプキンス大学高等国際関係大学院客員研究員。最新刊は『たった独りの外交録 中国・アメリカの狭間で、日本人として生きる』(晶文社)。中国のいまと未来を考える「加藤嘉一中国研究会」が活動中! http://katoyoshikazu.com/china-study-group/