小林氏(右)と瀬口氏は十数年の付き合いになる。瀬口氏が担当していた一面コラム『筆洗』でも、たびたび小林氏の発言が引用された

私たちの気づかぬ間に、”戦争の危機”は静かに迫っているのかーー。

発売中の『週刊プレイボーイ』23号特集記事、「9条改正より怖い!自民党が進める”お試し改憲”の中身」でも取り上げている”緊急事態条項”。また現在、国会審議中の「安全保障関連法案」など安倍政権の本丸、集団的自衛権の容認、憲法9条の改正がにわかに現実味を帯びている。

安倍政権の右傾化が、ここへきて本格的にきな臭くなってきているのだ。

そこで今回、近著『東京新聞の筆洗 ~朝刊名物コラムで読み解く時代の流れ~』(廣済堂新書)でも憲法をテーマに多くのコラムを書いてきた東京新聞社会部部長の瀬口晴義氏を聞き手に、こちらも安倍政権での改憲の危うさに警鐘を鳴らす憲法学者の小林節(せつ)氏へ「安倍政権の右傾化」について話を聞いた。

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瀬口 小林先生はご自身を”護憲的改憲派”と表現されていますが、改めてその意味をお教えいただけますか?

小林 改憲というとどうしても右翼的なイメージを持たれてしまうのだけど、憲法だって古くなるんだから、その時々のいい方向に変えるべきところは変えるということです。ただ、今の安倍政権にその役は絶対に担ってほしくないんです。

瀬口 以前はむしろ、自民党の憲法改正草案のブレーンを務められていたわけですよね。

小林 最後は、「天皇は国家元首か否か」以外はしゃべるなと言われましたよ(笑)。今、憲法は本当に危機的な状況にあると思います。原因は政治、政治家が劣化してきていることでしょうね。具体的には、世襲議員が増えてきていることです。3世、4世の議員も増えて、もはや「家業」ですよ。

先日、大阪都構想の住民投票で敗れた大阪市長の橋下徹(はしもと・とおる)さんが政界からの引退を発表しました。彼がなぜあっさりと決断ができたかといえば、帰るべき本職(弁護士)があったからだと思います。

一方で、世襲議員たちは生まれた時から親が政治家で、その地位にいるからこその恩恵を受けて育つ。そりゃ、その環境を壊すようなことがあってはならないと思うのでしょう。

最低なタイプの世襲議員が跋扈(ばっこ)!

瀬口 意外と理解されていないと実感するのですが、憲法は権力側を縛るものなわけですよね。

小林 もちろん。だから私には、世襲議員たちが自分たちを縛る憲法から自由になりたくて「改憲」を考えているように見える。

瀬口 確かに、改憲派の国会議員たちからは縛られたくないという意識を強く感じます。

小林 自分の権力を縛られると反発する。それはつまり、北朝鮮の「キム家」と同じ状態ですね(笑)。「権力は”安倍チルドレン”のものである」と。

瀬口 小林先生が自民党で改憲を話し合っていた30年前は、世襲といってもせいぜい2世議員でした。戦争体験があったり、叩き上げの議員も多かったと思います。今、どれくらい劣化しているんですか?

小林 もはや、3世、4世は貴族の感覚ですよ。人間として劣化しているように見えますね。政治は天下国家を司(つかさど)るわけだから、やる気だけではダメで教養は必要なんですが、彼らからは知的緊張感を感じないことがありますよ。

今の政治では、基本的な常識に欠けた政治家たちがまかり通ってきています。同時に、権力とお金で守られているから深く物事を考えたり、悩んだりすることができないように見える。相手と意見が食い違うと論争できずにブチ切れて、拒否するという最低なタイプの世襲議員が増えていますね。

瀬口 その象徴的な存在が安倍首相ですね。日本の首相でありながら「(ポツダム宣言の)まだその部分をつまびらかに読んでいない」なんて、恥ずかしげもなく言えてしまったり。

小林 人間的な問題ですよね。その発言をするとどうなるかイメージができない。それで、私が彼らにそういうことを指摘すると「俺にだって参政権、被参政権がある。選挙民に選ばれたんだ」って言うんだけど、それなら親とは違う選挙区から出馬するべきなんですよ。選挙区を私有財産にして、不当に有利に当選してはダメでしょ。

来年7月に行なわれる参院選は見物!

瀬口 私は、戦争の悲劇を直接知っている議員が少なくなっていることを危惧しています。1970年にひめゆり学徒隊を率いた故・仲宗根政善(なかそね・せいぜん 琉球大学名誉教授)さんが「憲法から血のいろがあせた時、国民は再び戦争に向かうだろう」と日記に書いています。

憲法9条に反発する人も当時からいたけど、「もう二度と戦争をしなくていいんだ」と多くの人に受け止められた。そういう共通の記憶が日本国憲法にはあったと思うのですが、最近はまさにそういう認識が褪(あ)せてきたと思っています。

小林 車のモデルチェンジや家のメンテナンスみたいに、改憲すること自体は必要だと思います。特に、自衛隊を合法化するために9条を改正すべきだと考えています。地政学的にも日本は攻められやすいので”自衛のための軍隊”は持つべきです。完全に戦争放棄ではなく、他国からの侵略に対抗する自衛戦争は行なえる、と。その上で、国際貢献もすると書いてほしいです。

―今後はやはり、安倍政権による”壊”憲が進んでいくのでしょうか?

小林 来年7月に行なわれる参院選はひとつ見物。結果次第で、憲法改正をめぐる「国民投票」(註1)が実現するかもしれない。

瀬口 すでに衆議院では、他党の改憲派の議員を合わせれば改憲の手続きに必要な3分の2議席を得ていますからね。

小林 参院選で与党が3分の2をとったら、国民投票に持ち込まれる。それに、もし3分の2をとれなくても、例えば野党や無所属の議員を地位や経済的な力で自民党へ移籍させるなんてこともあり得るでしょう。自民党にとって安いものですから、許されないことだと思いますが、ありうるかもと。最近の政治家は政策より地位を大切にする傾向があるから非常に危うい状況なんです。

瀬口 まず、参院選で3分の2を阻止することが大前提になりますね。

小林 そして、たとえ衆参で3分の2議席が揃(そろ)っても国民投票で負けない準備しておかなくてはならない。丁寧に何が問題かを説明、論争して、私たちは国民投票に備えていこうと考えています。

憲法改正国民投票法では、改正案が国会で発議されてから60日以後180日以内で国民投票が行われることになっていますから、2か月から半年、議論できます。また、国の費用で改憲案の賛否両論を載せた小冊子「国民投票公報」がつくられて、期日前10日までに各世帯に配られることになっている。もちろん、否定の立場で私も書かせてもらいたい。そうしたら、きっと勝てますよ。

国民一人ひとりが憲法について立ち止まって、とことんつきつめて考えてほしい。その結果、私としては自民党とは違う改憲が実現してほしいんだけどね。

腐敗した世襲議員たちはどう思う?

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聞き手である瀬口氏著書『東京新聞の「筆洗」』で20世紀の初めにデンマークで起草されたという「戦争絶滅受合(うけあい)法案」を紹介している。

「戦争の開始から10時間以内に、敵の砲火が飛ぶ最前線に一兵卒(いっぺいそつ)を送り込む。順序はまず国家元首、次にその親族の男性、三番目は総理、国務大臣、各省の次官、そして国会議員(戦争に反対した議員は除く)、戦争に反対しなかった宗教界の指導者…。

妻や娘は従軍看護婦として招集し、最前線の野戦病院で働く。権力を持つものから犠牲になるなら、自らは安全地帯にいてナショナリズムをあおる政治家は姿を消すだろう」(『東京新聞の「筆洗」』141ページより)

小林氏が嘆く、腐敗した世襲議員たちはこれを読んでどう思うだろうか。

今回、小林の口からいささか厳しい意見が出てきたが、これも現在の政治を憂(うれ)いてのことである。今一度、”権力とは誰のためのものなのか”政治家も、私たちも考えなければならない。

(構成・撮影/羽柴重文)

註1 憲法改正のための国民投票を定める憲法96条では、衆参両院で総員の3分の2の賛成を得て憲法改正をめぐる国民投票が発議でき、投票の過半数が賛成すれば改正へと進むことが規定されている。

しかし、具体的な手続きをめぐる法律がなく、2005年、自民党の議員であった中山太郎氏などを中心に「憲法調査特別委員会」を設置。07年に「国民投票法」が成立した。

現在はその後の改正を経て、 (1)投票権者は18歳以上の日本国民 (2)国会発議後60?180日間に国民投票を行なう (3)有効投票の過半数の賛成で改正原案は成立 (4)公務員や教員の地位を利用した投票運動を禁止する、(5)テレビ・ラジオによるコマーシャルは投票日の2週間前から禁止する、などと定めている。

●小林節(こばやし・せつ) 1949年東京都生まれ。憲法学者、法学博士、慶應義塾大学名誉教授、弁護士。慶應義塾大学法学部法律学科卒業、元ハーバード大研究員、北京大学招聘教授。著書に『「憲法」改正と改悪 憲法が機能していない日本は危ない』(時事通信出版局)、『白熱講義! 日本国憲法改正』(ベスト新書)ほか多数

●瀬口晴義(せぐち・はるよし) 1964年東京生まれ。東京新聞社会部部長。東洋大学文学部哲学科卒業後、中日新聞に入社。東京本社(東京新聞)社会部に配属。論説委員として、一面のコラム「筆洗」を2009年8月から4年間担当後、2013年から現職。近著に『東京新聞の「筆洗」 ~朝刊名物コラムで読み解く時代の流れ~』(廣済堂新書)

『東京新聞の「筆洗」』(廣済堂新書) 著:瀬口晴義 800円+税 2009年~2013年の約4年間、瀬口氏が担当してきた東京新聞の名物コラム『筆洗』をまとめた著作。3.11の震災時は毎週、被災地に通い現地の声を伝えるなど、このようなコラムには珍しく自身の脚を使った記事に定評があった