中央拠点のない“フランチャイズ型”のアルカイダとは違い、実際に広い地域を占領・統治し、自ら国家を名乗る「イスラム国(IS)」。

米軍中心の空爆にも耐え続け、地上戦を繰り返しながらしぶとく勢力を維持する前代未聞のテロ組織は、いかにして完成したのか? 新たに発見された「秘密資料」がその全貌を明かす!

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アメリカが主導する有志国連合の空爆が始まってから9ヵ月以上。しかし「イスラム国(IS)」は滅亡するどころか、今もシリアとイラクの両国にまたがり、日本の総面積を超える地域を掌握している。

それだけの勢力拡大を語るうえで欠かすことができないのは、“ISの祖”と称されるハジ・バクルという男だ。中東のテロ組織に詳しい国際ジャーナリストの河合洋一郎氏が解説する。

「本名はサミル・アビド・モハメッド・アル・ハレファウィ。2014年1月にシリアで対立組織に殺される直前まで、組織の外では無名に近い存在だったイラク人です。サダム・フセイン政権時代はバアス党の陸軍大佐として兵器開発を担当していました」

バクルはイラク戦争でフセイン政権が倒れた後、ISの前身組織に参加。米軍や敵組織のリーダーを暗殺する部隊の一員だった時期もある。

彼が今も“ISの祖”として語り継がれるのは、死後に住居から「ハジ・バクル文書」と呼ばれる手書きの資料が発見されたからだ。そのメモには、後に国家樹立を宣言するISの組織図や北部シリアをどう占領するか、イラクにどう侵攻するか…といった、まさに現在のISを予言するような内容が記されていた。

今年4月にドイツの『シュピーゲル』誌に掲載された中身を中心に、その「統治論」を紹介しよう。

あらゆる情報を集めて脅迫・誘拐・殺害!

反アサド政権闘争が激化し、シリア北部に多数の勢力が乱立した12年末頃、ハジ・バクルはISの偵察員としてシリアに入る。ここに拠点を築き、イラク侵攻の足がかりとするためだ。

13年春、まずISはシリア北部の各所に、まるで無害なように見える宣教事務所を設立。スパイにできそうな若者、学生をリクルートし、次のような情報を集めさせた。

・影響力のある一族と、その中の有力者の名前。収入源は何か。 ・その地域の反政府ゲリラの規模と名前。指揮官の名前と政治的傾向。 ・その指揮官たちがシャリーア(イスラム法)に反する行為をしていないか。前科の有無、同性愛者ではないか、浮気しているかどうか。

情報がそろうと、いよいよ「浸透」を開始。ISのメンバーを有力者の娘と結婚させるなどして存在をアピールした。ただ、抵抗の大きい地域では、当初は大っぴらにムチャをせず、スパイがつかんだネタでISに敵意のある人々を脅迫したり、あるいは誘拐・殺害した(表向きは関与を否定)

典型的な例が、今ではISが首都と称しているラッカだ。13年5月、市議会議長や小説家の弟といった「抵抗勢力」が覆面の男たちに誘拐された。7月からは数十人単位、あるいは100人単位で住民が消えるようになった。死体が見つかることもあれば、二度と見つからないこともあった。

8月、ISは敵対する武装勢力の本部を自動車で自爆攻撃。数十人を殺害し、残った者は逃亡した。他の組織は見ているだけだった。

10月、ISはラッカの市民リーダー、イスラム聖職者、弁護士などを集めて会合を開いた。その場でISに異議を申し立てた人権運動家は5日後に縛られて頭を撃たれ、死体で発見。その知人たちには「友達の死が悲しいか?」と尋ねる電話がかかってきた。数時間のうちに20人がトルコへ逃亡した

しばらくすると、ラッカで最も大きな14部族の族長がISに忠誠を誓った

「相互監視」による恐怖政治の完成

それより少し前、12年夏からISは外国人兵士のリクルートを開始した。ヨーロッパ、サウジアラビア、チュニジアなどからの参加者をチェチェン人やウズベキスタン人のベテラン戦士と組ませて「軍」をつくった。

約1年後、13年秋の段階で、2650人の外国人兵が集まった。現在では世界100カ国から集う、自爆をもいとわない外国人部隊の始まりである。家族と土地を守らねばならない対立勢力の地元戦士たちと違って、ISの外国人部隊は移動も自由。それを利用してバクルはある「トリック」を使った。

メモによると、ISはこの時期すでに、今や定番となった黒服・黒覆面を外国人兵士に着用させている。実際にはわずか200人の一団でも黒装束で神出鬼没に5ヵ所連続で現れると、まるで1千人の兵士がいるように見えるのだ。個人識別を不可能にし、「見えない敵」への恐怖をかき立てるトリックでISは勢力範囲を広げていった。

現在のイラクでも、ISはこうして戦況を有利に運んでいると思われる。元米陸軍将校の飯柴智亮(いいしばともあき)氏はこう語る。

「人数ではイラク政府軍がISを圧倒していますが、ISは領土奪還に燃え、死をいとわない外国人兵士も多い。一方の政府軍は無事に家に帰りたい兵士が集まった軍隊です。どちらが強いかは言うまでもないでしょう」

続いて、ISが組織をどのように統制していたかを見ていこう。バクルのメモに書かれたシステムは、イラク・フセイン政権下の治安機関を参考にしていた。

「バクルの存在とその重要性を最初に外部に伝えた、ISの内部情報をリークしているツイッターアカウントがあります。それによると、前身組織時代の2010年に2代目アミール(司令官)が米軍に殺害された直後、バクルはそれまで実権を握っていた外国人義勇兵たちを矢継ぎ早に暗殺し、権力奪取に成功。そして自ら選んだ3代目アミール(現カリフ)を就任させ、組織上層部をバアス党出身者で固めたのです。ここから殺害されるまで、バクルが背後からISをコントロールしていたようです」(前出・河合氏)

バクルは信頼する将校を裏切り者の暗殺を主任務とする地位に就けた。複数の諜報機関には同時並行で任務を与え、互いに監視させる。各地区の司令官たちも互いの仕事を監視する。「相互監視」「密告」「粛清」を背景とする恐怖政治が始まったのだ

外国人兵士や若手を宗教的熱狂で自爆攻撃に駆り出す一方、幹部たちに対しては「いつ味方に殺されるかわからない恐怖」を与え、裏切りを防ぐ――。まるで旧ソ連や東ドイツの諜報(ちょうほう)機関のような統治システムはこうして作られたのだ。

(取材・構成/小峯隆生 世良光弘 協力/河合洋一郎)