本誌連載中のコラム「衆愚レアリズム宣言!!」より、ジャーナリストの川喜田研氏が“シューグ”な現実と向き合い世の中を見つめなおす!
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新国立競技場の建設費問題を報じるニュースを眺めながら、ふと、「東京オリンピックが開催される2020年の日本は、一体どんな国になっているのだろう?」と考えた。
東京オリンピックの開会式は7月24日の予定だから、ちょうど5年後というコトになる。今、目の前で起きていることを考えると、5年という時間が、この国の姿を大きく変えているかもしれないという気がしたのだ。
例えば2020年、この国の憲法はすでに改正されているだろうか? 自民党のいう「自主憲法」が制定されて、自衛隊は「国防軍」になっていたりするのかな?
仮に今年、TPPが基本合意に達したとして、それから5年後、自由貿易の荒波にさらされた日本の農・畜産業は無事生き延びているのだろうか?
また、オリンピックイヤーは2011年の東日本大震災と福島の原発事故から「9年後の日本」ということになる。地震や津波といった「天災」の被災者はもちろん、原発事故という「人災」の被害者たちは、9年後の日本でどんな暮らしをしているのだろう?
事故を起こした「フクイチ」の処理はどの程度進んでいるんだろう? そもそも、これから5年の間に日本列島が新たな大地震や大規模な火山噴火に見舞われる可能性はないのだろうか?
政治も経済も、人々の暮らしも、そして地震や火山の噴火といった自然の猛威も含めて、本当に数えきれないぐらいの「不確定要素」が5年後のこの国を待っている…。そう考えると、なんだか頭がクラクラとしてきた。
「まったく見通しの利かない5年後の日本」と「わずか5年後に迫った東京オリンピック」のギャップがどうにも気持ち悪いのだ。
「見える化」される新国立競技場問題の異常さ
東京オリンピック招致決定の時にも書いたが、僕は今でもオリンピックの開催には反対だ。理由はカンタン「そんなコト、やっている場合じゃない」からである。
東日本大震災からたった2年後の2013年、オリンピック開催決定で浮かれているこの国を正直、「どうかしている」と思ったし、その興奮と「オリンピック景気でひと儲け」への期待が「今、目の前にある大切な問題」から人々の目をそらすのが心配だった。
その意味でいえば、今、議論を呼んでいる新国立競技場の問題は、衆愚のミナサマが「東京オリンピック」という熱病から覚めて正気に戻るための、絶好のチャンスだという気がしている。
そもそも、当初想定したメインスタジアムの建設費が1300億円と、北京五輪(約500億円)やリオ五輪(約550億円)の倍以上、人件費の高いロンドン五輪(約900億円)と比べても5割増し以上という、異常な高額設定だった点を問題にすべきだ。
それがなぜか見積もりで3千億円に膨れ上がり、計画変更で1625億に「圧縮」されたと思ったら、再び3千億の見積もりが出てきて、なんとか2520億に圧縮したといわれて誰が納得できるのか? しかも財源のアテすらないのに文科省のゴーサインが出るのだから恐ろしい。
憲法学者の9割以上が「違憲」と指摘する安保法制と同様に、今や国民の8割以上が反対している新国立競技場の建設計画もこうした「異論」を無視する形で「粛々と」進められる可能性は高い。
だが、「オリンピック」という華やかな響きの魔力にもさすがに限界はある。その異常さは以前よりもはるかにハッキリとした形で「見える化」され始めている。
大切なのは「コレ、なんか変だよ」と気づいたあなたが、それを忘れず、次の「選択」につなげるかだ。「5年後のこの国の姿」はそれによって変わるのだから…。
●川喜田 研(かわきた・けん) 1965年生まれ。モータースポーツ、特にF1関連の記事をはじめ、原発問題、TPP、憲法改正、集団的自衛権、沖縄基地問題を本誌で執筆。著書に『さらば、ホンダF1』(集英社)がある