『戦場ぬ止み』では、辺野古に生きる人たちの群像を描く人間賛歌の映画を作りたかったと語る三上智恵監督

戦後70年の節目の沖縄には、辺野古(へのこ)新基地建設を必死で止めようとする人たちがいるーー。

ドキュメンタリー映画『戦場ぬ止み(いくさばぬとぅどぅみ)』は名護市辺野古の「新基地建設阻止運動」の現場と、その周辺の地元に生きる人々を描いている。

東京、大阪、沖縄などでの緊急先行上映を経て、7月中旬から始まった本上映を前に三上智恵監督に3時間を超えるロングインタビューを行なった。

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「これは単に沖縄のことを知ってほしいとか、沖縄の基地負担を少なくしてください、という映画ではありません。そんな生易しい気持ちでは作っていません。戦後70年たって息を吹き返そうとする『この国の戦争』の息の根を止めたいんです

三上智恵さんは、そう言い切る。そんな監督の希望もあって、5月下旬に東京での緊急先行上映に踏み切っている。

「この国の政治状況を見た時、少しでも早く公開したいという気持ちになりました。安倍政権をこのままにしておいたら子供を含めて自分たちの命が危ない。そう思うからです。

でもこれは『告発型』の映画ではないと思っています。(辺野古・大浦湾の)あの場所に生きる人たちの群像をしっかりと描いた、人間賛歌の映画を作りたかったんです」

この発言の意味を理解するには、三上さんの前作『標的の村』を振り返る必要があるだろう。

2012年と13年、オスプレイ(垂直離着陸機能を持つ輸送機)が12機ずつ計24機、普天間基地に強行配備されたのだが、それ以前に沖縄北部の東村(ひがしそん)高江(たかえ)にはオスプレイ離着陸用のヘリパッドが集落を囲むように6ヵ所も建設される計画が明らかとなっていた。これを阻止するために立ち上がった地元住民の姿と、力ずくで押さえ込もうとする国の理不尽さを描いた映画が『標的の村』だった。

しかし理不尽な国策は貫徹され、高江のヘリパッドもすでにふたつが完成。オスプレイは今も高江の集落周辺を低空飛行している。

この映画は数々の賞を受け、社会的にも非常に高い評価を得た。しかし三上さんは、現実を前にして複雑な思いに駆られた。

「あの映画は、告発型だったと自分でも思います。TV局に勤める私が、日々の取材で得ながらニュースの中で伝えきれないことをドキュメンタリー番組にして全国の人に伝えようと考えました。私から会社に提案して映画化もしました。この国の不正義を世に知らしめてオスプレイを止めるために作った映画です。でも、止められなかった。

強行配備の当日、登場人物の女の子に『もしもお父さんお母さんが反対運動に疲れたら私が代わりに頑張る』と言わせてしまいました。その時、1995年の少女暴行事件以来、米軍基地問題に関する県民の民意を背に受けて報道の仕事をしてきた自分の使命は終わってしまったんです」

「日本を“まとも”にする闘いをやっているんだ」

映画の「主人公」のひとり、文子おばぁ。沖縄戦末期、南部の激戦地を逃げまどい、壕に避難しているときに米軍の火炎放射器で焼かれるなど瀕死の重傷を負い、おびただしい死者の血で真っ赤に染まった泥水をすすって生き延びた戦争体験者だ (c)2015『戦場ぬ止み』製作委員会

しかし、止めなければいけない現実は今も歴然としてあり、三上さんの危機感は強まっている。退社を決意し、フリーランスとなってからも休む間もなくこの映画の制作に打ち込んでいる。

今国会での、安保法制成立を狙う安倍政権の暴走と辺野古・大浦湾における新たな米軍基地建設のための作業強行は、表裏一体のものとして同時進行中だ。

振り返れば、昨年7月1日、集団的自衛権行使容認の閣議決定と同じ日に「辺野古新基地建設着工」をアピールしたことも象徴的だった。しかしその後も沖縄の民意は決してブレていない。11月に辺野古新基地建設を阻止するという県知事を誕生させ、12月の衆院選全4選挙区で新基地建設反対派候補を当選させた。特に知事選勝利の夜のキャンプ・シュワブのゲート前の人々の歓喜は、映画のクライマックスとも呼べるシーンになった。

主人公のひとり、島袋文子さんは翁長(おなが)候補が知事選で当選した時、「生きててよかったと思います」と涙を流した。文子さんはそれまでのシーンで、沖縄戦を生き延びた人としての戦後の生活実感を「苦しいことばかりだった」と語っているだけに、すこぶる印象的な場面となった。

映画のタイトルは、この知事選に焦点を当てた琉歌(ゲート前テントに張り出された)から着想を得たものだ。

今年しむ月や 戦場ぬ止み 沖縄ぬ思い 世界に語ら(くとぅししむぢちや いくさばぬとぅどぅみ うちなーぬうむい しけにかたら)

“2014年11月(霜月)の知事選は、私たちのこの戦いに終止符を打つ時だ。その決意を世界に伝えよう”という意味である。

同じく主人公のひとり、ゲート前の抗議活動のリーダー・山城博治(やましろ・ひろじ)さんは映画の前半で、静かに噛みしめるような口調でこう語る。

「知事選までは頑張る。もしも知事選で負けたら、その先はわからない」

新基地建設阻止のために知事選がどれほど重要かを示す表現である。三上さんは言う。

このふたりに共通しているのは、沖縄だけでなく日本を変えたい、日本を“まとも”にする闘いをやっているんだ、という気持ちなんですよね」

「おばぁは沖縄を変えたいだけじゃなくて、日本も変えたいんだ?」と監督から問われ、島袋文子さんがこう語るシーンは印象的だ。

「もちろんそうさ。憲法9条をなくなさないで、日本が戦争もしないで優しい国になってくれれば上等だけどね

基地「容認派」も呆れた政府の強引なやり方

毎週土曜日、キャンプ・シュワブのゲート前で、大浦湾を守ろうという「ピースキャンドル」のアピール行動を10年以上も続けている地元・名護市東海岸の集落に住む家族 (c)2015『戦場ぬ止み』製作委員会

登場人物たちの祈りにも似た切実な思いと監督の願いが重なって映画は進行していく。

「この映画を見てくれた人は、沖縄も大変なんだねぇ、では終わらないと思うんです。自分が何をやらなきゃいけないか、わかると思うんです。

県外の人に沖縄の現状を伝えたくてこの映画を撮ったのですかとよく聞かれます。もちろん、そのことは否定しません。でも一方では、沖縄の人たちに見てほしくて撮ったところがあるんです」

どういうことだろうか。

「登場人物の山城博治さんとも、10年後、50年後にも見てもらえる作品を作りたいと話し合ってきました。もしかしたら、辺野古に基地が造られてしまうかもしれない。でも映画を見れば、あの時、自分のお父さんお母さん、おじいちゃんおばあちゃんがどれだけ頑張ったかがわかる。それが沖縄の財産になる、という思いで作りました。

新聞記者さんとかに、『本土』の人間に見てもらいたいという三上さんの意思を感じました、なんて言われることもありますが、例えば本土の政治家に見てほしくて作ったわけではないです。有権者がみんなこの映画を見てくれたらこの国は変わるかもしれない、と思いますけれども。逆に沖縄の若者にこそ見てほしい、今起きている島ぐるみ闘争の意味がピンとこないという人にこそ見てほしいという気持ちはあります」

映画には、いわゆる補償金を受け取った「容認派」と呼ばれる辺野古の海人(うみんちゅ=漁師)でも、海が埋められることを喜んでいるわけでは決してないことを全身で表現している人物も登場する。10年前の海底ボーリング調査阻止闘争の際には、防衛局に雇われた海人として反対派のカヌーなどを排除する側に回った人だ。

しかし、この映画の中では「政府の強引なやり方には呆れているところがある」と率直に語る。

そして、知事選や衆議院全小選挙区で反対派が勝利して間もない2014年の大晦日(おおみそか)、彼は辺野古漁港脇の新基地建設阻止の座り込みテント村の年越しの宴のために漁師ならではの巨大な刺し身の盛り合わせを準備し、反対派の市民たちと酒を酌み交わす。

彼はその場で「海を守ろうね」と叫んで喝采を浴び、「ジュゴンを捕って食べようね」というジョークを飛ばして笑いを巻き起こす。

賛成派vs反対派などという簡単な二元論で語ることのできない辺野古の現実を表す、実に雄弁な姿がそこにある。

カネを受け取った汚い人なんて絶対に呼ばせない

沖縄の民意に反し、「粛々と」進められる辺野古新基地建設 (c)2015『戦場ぬ止み』製作委員会

あるいは、公開に合わせて刊行された同タイトルの『戦場ぬ止み 辺野古・高江からの祈り』(大月書店)という三上さんの著書には、長い付き合いの別の辺野古の海人の言葉が紹介されている。

その人は、かつて「反対派」とは最も激しく衝突していた海人で、三上さんの報道姿勢にも敵対心を抱くような人だった。しかし昨年、珍しく彼のほうから三上さんに電話をかけてきた。

「三上さん、どうする。埋められるよ。今度こそ本当に埋められるよ」

この海人の言葉を、三上さんはこう受け止める。

「彼は明らかに悲しんでいたんです。私なんかよりずっと長くこの海と向き合って生きてきた人です。この海が埋められていいわけがないんですよ」

ジャーナリストとしての三上さんが長年保ち続けてきた、取材対象と向き合う時のまっとうな感覚は、映画監督としての姿勢にも生かされている。

それは「人の尊厳を守る」ということ。

「『本土』の一部の人たちは、カネを受け取って折り合いをつける汚い人たちが沖縄にいる、という話が大好きですよね。でも敗戦で島の土地を奪われて、銃を向けられ基地を造られ、その状況の中で基地と折り合いをつけざるを得なかった人たちですよ。その人たちを汚い人だなんて、絶対に呼ばせない、という気持ちが私にはあります」

三上さん自身の本音は「折り合いをつける状況からそろそろ決別すべきではないか」というところにある。だからこそ県民を分断して嘲笑(あざわら)う者たちを断じて許すわけにはいかないのだ。

その姿勢があることによって、この映画は「人間賛歌」になり得た。ひとりでも多くの人に見てほしい。心の底からそう言える映画である。

■三上智恵(みかみ・ちえ)1964年生まれ、東京都出身。大学卒業後に毎日放送のアナウンサーに。1995年より琉球朝日放送に勤務。ニュース番組のキャスターやドキュメンタリー番組のディレクターを務め、2013年、ドキュメンタリー映画『標的の村』を公開。同作は山形国際ドキュメンタリー映画祭2013市民賞および日本映画監督協会賞を受賞した。2014年、琉球朝日放送を退職し、フリージャーナリスト、映画監督として活躍中

■ドキュメンタリー映画『戦場ぬ止み(いくさばぬとぅどぅみ)』この作品は、10月8日から15日まで開催予定の山形国際ドキュメンタリー映画祭2015・インターナショナル・コンペティション部門の正式招待15作品にも選出された(応募総数は116の国・地域より1196作品)。公開劇場や日程、また自主上映の受付はコチラ

(取材・文・撮影/渡瀬夏彦)