世界の情報機関の話で盛り上がる佐藤優氏と国際ジャーナリストの河合洋一郎氏。対談は軽く2時間に及んだ

憲法改正や安保関連法案、日本版NSC(国家安全保障会議)の創設など、アメリカみたいな国を目指す安倍政権は当然、CIAのような情報機関の設立も目指している。

そんな中、ある興味深い本が出版された。『イスラエル情報戦史』ーー世界最高峰の情報機関として知られる「モサド」を抱えるイスラエルの情報機関関係者が、その歴史を自ら語った本だ。

この本を監訳した元外務省主任分析官で作家の佐藤優氏と、翻訳を担当した国際ジャーナリストの河合洋一郎氏がその中身を解説。そこから見えたことは、日本に情報機関の設立は絶対に無理という厳しい現実だった…。

■世界最高の情報機関、モサドの秘密が明らかに

河合 情報公開が様々な業界に押し寄せてきて、ついに情報の本家、インテリジェンスの世界にも到達したようです。

佐藤 その情報公開の波に勝てずに2010年に英国の対外情報機関MI6が『正史』を出版しました。

河合 『正史』は大学の教授たちが特別に秘密文書の閲覧を許されて、MI6が創設された1909年からふたつの世界大戦を挟んで冷戦が始まる1949年までのスパイ活動が書かれています。読みましたが、高価な酒とイイ女、速い車が大好きなスパイたちが登場して、映画『007』はある程度正しかったと確認しましたね(笑)。

しかし、この『正史』の記述はなぜ1949年までなんですか?

佐藤 それ以後の話は現在の工作に影響があるからです。

河合 1950年から継続中の秘密情報作戦は今もあると推測されますからね。で、今度はインテリジェンス業界の世界最高峰モサドも含まれているこの本、『イスラエル情報戦史』です。

佐藤 この本が『正史』と違うのは、書いたのが大学教授ではなく、イスラエル全情報機関の長官などトップまたはそこで活動していた経験者が書いたこと。

河合 わかりやすく言うと、スパイの007本人とその上司M、さらには長官…彼らが自らの手で自分たちの秘密の歴史を書き起こしたということですね。しかし、なぜ書こうとしたんですか?

佐藤 情報公開の流れに勝てなかったのと、やるならば、自分たちの手でやろうということになったんでしょう。

イスラエルの秘密初公開

河合 いいかげんなジャーナリストに暴露本を書かれるくらいなら自らの手で決着をつける。イスラエルのモサドらしいやり方ですね。

佐藤 モサド流です(笑)。

河合 それで、佐藤さんはこの本の監訳を担当してますが、どういう経緯でそんなことになったんですか?

佐藤 イスラエルのある役所の元高官から「いい本だぞ、英語で作ったから読んでみろ」ともらったんです。

河合 その役所とは?

佐藤 モサドです(笑)。

河合 ほとんど著者じゃないですか(笑)。イスラエルの情報機関というと、まずイスラエル国防軍参謀本部にある「アマン(IDI)」。次に国内外の防諜活動を行なうイスラエル治安機関「シャバック(ISA)」、そして海外で極秘活動を行なう情報機関「モサド」。正式名称は「インテリジェンスおよび特殊工作機関」です。

この本の中で驚きなのは、一番規模が大きくて、今まで一番情報が公になってもいいはずの組織だった軍情報部のアマンについて初めて書かれていたこと。

佐藤 そう。それから治安機関シャバックにしても、今までガッチリと表に出たことはなかったですからね。河合さんは今までモサド長官に会ったことは?

河合 7代目長官シャブタイ・シャヴィットと8代目のダニー・ヤトゥームには会いました。佐藤さんは?

佐藤 ヤトゥームの後に長官になったエフライム・ハレヴィだけ。

河合 モサド長官には独特の雰囲気がありました。特にヤトゥーム長官は軍から来た人だからスパイの雰囲気はなかったですが…。ハレヴィさんがこの本の中で書いているけど、軍参謀総長になれなかった軍人の残念賞がモサド長官になると。

佐藤 そうです。

河合 だからヤトゥーム長官は、ここには残念賞で来た雰囲気がありましたね(笑)。ハレヴィさんはどんな人でしたか?

佐藤 大学の先生みたい。河合さんがそのふたりの長官に会ったのはいつ頃?

河合 『週刊プレイボーイ』の取材ですよ。2002年かな。

佐藤 まだ私が檻の中にいる頃か。だから誌面で見た記憶がない(笑)。

河合 「週プレでございます」と言って閣僚級の人間に会えるのは、世界でイスラエルだけじゃないですか。週プレが昔、落合信彦先生の「モサド、その真実」を掲載し、日本人のイスラエル観を大きく変えたことを彼らは覚えているんですね。

出世こそが外務官僚の目的だから無理

■外務省主導の情報組織が絶対に成り立たない理由

河合 この本は日本に情報組織をつくる時に役立ちますね。

佐藤 役立ちます。ただし、日本にはモサドのような組織をつくる能力がないことを認識するのに、ですが(苦笑)。

河合 どのあたりが無理だと思う点ですか?

佐藤 日本は戦後に浸透した3つの「主義」があります。「個人主義」「生命至上主義」「合理主義」です。このせいで、国のためとか民族のために命を捨てることができない。

河合 しかし、ロイター発で今年3月、「対外情報機関創設へ議論本格化、日本版MI6が視野」という報道がありました。自民党が協議を開始し、今年秋にも政府に対する提言をまとめる考えだとか。この報道では、日本の情報組織はイギリスのMI6のようにするとありました。これはなぜ?

佐藤 これは外務省の枠内に情報組織をつくろうとしている証(あかし)です。

河合 順当な情報組織のつくり方ですね。

佐藤 いいえ、その逆です。外務省の中に入るから情報組織をつくるのは無理になります。

河合 それはなぜ?

佐藤 外務省本体から情報組織にはひとりも行かないからです。死ぬかもしれないし、仕事内容が怖い。そして何より秘密機関では目立てないから出世もできない。出世こそが外務官僚の目的だから、出世できない情報組織に外務官僚が行くはずがない。

外務省は個人プレーで目立って出世したい人の集団。情報機関は目立たず出世と無関係。そして闇に潜れと。誰がやりますか?

河合 皆無でしょうね(笑)。

佐藤 すると、外務省は片道切符で追い出す人材を情報機関に出すはずです。

河合 となると、日本で情報組織をつくりたくても人材がいませんね。

日本でも組織をつくれそうな人が唯一?

佐藤 イギリスで、2002年から11年まで『スプークス』という大河ドラマをやっていました。これはMI5(保安局)が舞台で、彼らの活躍をカッコよく描く半面、工作費をちょろまかしたり、不倫している工作員たちの活動もドラマにしていて800万人が見ていたんですよ。子供が喜ぶ感じで憧れを持たせて、情報世界にリクルートしやすくしていた。

河合 情報活動のために自らの命を投げ出すような連中を子供の頃から情操教育で仕込んで育てる、と。

佐藤 そう。そこのところは日本とは大違いです。それと、情報組織はモサド的な怖さがないとダメですね。

河合 どんな怖さが?

佐藤 組織を裏切ったヤツは許さないとか。

河合 殺すんですか?

佐藤 殺しはしないけど懲役20年とかね。または、ずっと檻から出られない。

河合 そのような怖さを持つ組織が日本でできますか?

佐藤 ひとりだけ、そういう組織をつくれそうな人がいます。

河合 誰ですか?

佐藤 鈴木宗男さんです。鈴木さんはあと2年で公民権停止が解ける。そして、参議院に戻ってきていただいて初代情報庁長官となる。私も顧問に入り、鈴木長官の下で働いてもいい。相当怖い組織になると思いますよ。

河合 外務省もかなり引き締まるでしょう(笑)。ところで、有能なインテリジェンスオフィサー(工作員)に必要な素養とはなんですか? この本では「有能な情報員は詩を読まなければならない」とありますが、これは何を意味すると思いますか?

外務省はこの本を読むのが先

佐藤 文書の読解力が情報収集力の鍵になるんです。詩は短いセンテンスで多数の意味を含む。その意味を読み取らなければならない。

河合 受験勉強で鍛えた長文読解は試験には役に立つが、インテリジェンスには役に立たない。

佐藤 そう。海に浮かんでいる氷山は、見えるところより、海中にある部分のほうがはるかに大きい。詩を読み込んでいると、この氷山の下の部分を見極める力がつきます。

河合 なるほど。

佐藤 それから、詩をよく読み込んでないと、その文章がデタラメな話なのか、真実なのか? 暗号なのか、平文(ひらぶん)なのかわからない。

河合 詩を読み込んでない情報員が、デタラメな話を暗号と思い込んで必死になると国家は危急存亡の事態を迎えるかもしれない。

佐藤 そうなります。映画では、情報収集は相手国の工作員を拷問して喋らせるシーンばかりですが、現実は公開された文書、手に入れた文書などそこに書かれた文を徹底的に読み込んで情報を収集しますから。

河合 詩を読んで読解力を高めるのも必要ですが、その前に情報機関をつくろうとしている外務省はこの本を読むのが先ですね(笑)。

佐藤 その通りです(笑)。

佐藤 優(SATO MASARU)1960年生まれ、東京都出身。外務省時代に鈴木宗男氏と知り合い、鈴木氏同様、国策捜査で逮捕・起訴される。外務省退職後は大宅壮一ノンフィクション賞を受賞するなど、作家・評論家として活躍

河合洋一郎(KAWAI YOICHIRO)1960年生まれ、東京都出身。米国ボイジ州立大学卒業後、90年代初めより国際問題のジャーナリストとして『週刊プレイボーイ』や『サピオ』などで活躍。特に中東情勢、テロ、情報機関に詳しい

(取材・文/小峯隆生 撮影/五十嵐和博)