国際コラムニスト・加藤嘉一の本誌連載コラム「逆に教えて!」。今回は…。
*** 圧倒的なスピードで発展を遂げた都市国家として評価されるシンガポール。建国50周年の盛り上がりを見ながら、その現在と未来について考えました。
中国や北朝鮮のそれを想起させるようなプロパガンダの嵐を、東南アジアの“小国”で体感しました。世界有数の金融センターとして知られ、進歩的な都市国家として名高いシンガポールです。
日本から麻生(あそう)太郎副総理も出席した、8月9日のシンガポール建国50周年記念式典。街中が赤と白の国旗の色に染まり、至る所に「SG50」「シンガポールよ、前に進め!」というスローガンが掲げられました。戦車の行進や軍用機の飛行、大量の花火を前に国民は熱狂していました。
シンガポールは建国以来、人民行動党による事実上の一党独裁。トップダウンで合理的な政策を推進し、目覚ましい発展を遂げました。そして50周年を迎えた今年3月、くしくも“建国の父”として国を導いてきたリー・クアンユー初代首相が亡くなった。そのことも国民の愛国心と団結心を刺激し、熱狂的な盛り上がりの要因になったのでしょう。
冒頭で中国と北朝鮮を比喩(ひゆ)として挙げましたが、両国とシンガポールとで明らかに異なるのは、「愛国心」と「ナショナリズム」が分離されているという現実です。
シンガポールには英語、中国語、マレー語、タミル語と4つの公用語があり、民族や社会の多様性を尊重しています。教育や医療、住宅環境、そして世界一便利とも称されるチャンギ国際空港をはじめとするインフラなど公共サービスも充実している。快適で安定した生活が保障されるため、国外からの移住者、特にお金持ちが後を絶たず、出生率が低いにもかかわらず国内居住人口(現在約550万人)は増加傾向です。
一方、中国は真逆の状況です。国家としての規模は拡大しているものの国民生活に直結する教育、医療、住居、戸籍などの環境はなかなか改善されず、国民の多くは移民したいと考えている。これでは真の意味での愛国心は生まれず、不満が仮想敵国に転嫁されて攻撃的なナショナリズムだけが増大していく。まさに悪循環です。
転換期を迎えたシンガポールの未来
こうして愛国心とナショナリズムの分離に成功してきたシンガポールですが、建国50周年を迎え、ひとつのターニングポイントにきているようにも見えます。
リー・クアンユー氏の息子であるリー・シェンロン現首相は、年内に総選挙に打って出る意向があるといわれています(シンガポールでは“事実上の一党独裁”が続いていますが、ほかの少数政党も存在し、国政選挙もある)。これが何を意味するかといえば、50周年式典でひとつになった国民の心が国家から離れないうちに選挙をやりたいということ。〝建国の父〟というカリスマを失い、政治が不安定化し、経済・社会政策や国内環境に悪影響を及ぼすリスクを危惧(きぐ)しているわけです。
現地の外資系企業で働く男性に話を聞くと、最近はシンガポールでも格差や物価高騰といった経済・社会問題が噴出し、特に若者が現状に不満を漏らしているとのこと。「焦点は、シンガポール人としてのアイデンティティの問題をどう解決するかだ」。彼はそんな問題意識を持っていました。
政権選択の自由が事実上存在しない。言論の自由も極めて制限されている。“発展”のためには仕方なかったのでしょうが、言ってみればシンガポールはリー・クアンユーが短期間でつくり上げた人工国家なのです。前出の男性は30代半ばですが、学校で自国の歴史を教わったことはほとんどないと言っていました。
利便性と効率性に特化し、政治的自由を制限してきたこれまでのやり方で、今後も国民を納得させ続けることはできるのか。物質的に満たされたシンガポール人は、これから政府や社会に何を求めていくのか。ポスト・リー・クアンユー時代のシンガポールはどこへ向かうのか…逆に教えて!!
●加藤嘉一(KATO YOSHIKAZU) 日本語、中国語、英語でコラムを書く国際コラムニスト。1984年生まれ、静岡県出身。高校卒業後、単身で北京大学へ留学、同大学国際関係学院修士課程修了。2012年8月、約10年間暮らした中国を離れ渡米。ハーバード大学フェロー、ジョンスホプキンス大学高等国際関係大学院客員研究員を経て、この夏から再び北京へ。最新刊『中国民主化研究 紅い皇帝・習近平が2021年に描く夢』(ダイヤモンド社)が発売中。中国のいまと未来を考える「加藤嘉一中国研究会」も活動中!