反原発デモを記録したドキュメンタリー映画を監督した歴史社会学者・小熊英二氏(左)と自称“紛争屋”伊勢崎賢治氏が日本のデモと市民社会の力を語る

8月30日、主催者発表で10万人を超える国会前デモが開催されるなど、安全保障関連法案に反対する市民のデモが日本各地で行なわれている。

そうした中、「デモ」を扱った異色のドキュメンタリー映画『首相官邸の前で』が公開された。

2012年の夏、20万人もの人々が首相官邸前を埋め尽くし、原発再稼働反対を訴えたデモを記録した映画だ。反原発デモはなぜ多くの人を集めたのか? 普通の人たちのデモはこの国を変える力を持つのか?

作品を企画・製作・監督した慶應義塾大学教授の小熊英二(おぐま・えいじ)氏と、紛争解決のスペシャリストで若き日にインドのスラム街で社会運動のリーダーとして活躍した経験もある伊勢崎賢治(いせざき・けんじ)・東京外国語大学大学院教授に語ってもらった。

―伊勢崎さんはこの映画をどうご覧になりましたか?

伊勢崎 この映画を通じて、あの反原発デモが既成の団体や組織によって仕掛けられた、いわゆる「オルグされた」ものではなかったということをあらためて実感しましたね。デモとはまったく無縁だった「普通の人たち」が自分から目覚め、踏み込んでデモが拡大してゆく…。何か「新しいものが生まれた瞬間」を記録した映画という点で意味があるし、多くの人に見てもらいたいと思いました。

小熊 なぜこうしたデモが起こったかの一因は、選挙を通じた「代議制民主主義」が機能していない、自分たちの声が政治に反映されていないという感覚や不満が広がっているからではないでしょうか。

デモを主催した「首都圏反原発連合」のメンバーは100人程度だった。彼らがやっているのは場所とマイクを確保して、ツイッターなどSNSでデモの情報を流し、交通整理をすることが中心。あとは、人々が集まってくるか次第です。

それで最大20万もの人が首相官邸前に集まったというのは、それだけ多くの「普通の人たち」が、福島の原発事故とその後の経緯を通じて、この国の政治の「機能不全」に不満を持ち、「何かしなきゃ」と思ったからでしょう。

こうした行動はテーマは様々ですが、他の国々でも同じように起こっています。2011年のアメリカでの「オキュパイ・ウォール・ストリート(ウォール街を占拠せよ)」や、去年に香港で起きた「雨傘革命」などです。しかし、日本の反原発デモの20万人という規模は他の国で起こった運動と比べても大きい。それに当時の野田首相との会談まで実現させた。こういうことが日本でも起きるんだな、と思いました。

ところが、そうした非常に意味のある出来事なのに日本の大メディアはそれをきちんと伝えなかったし、記録もしていない。だから仕方なく、自分で映画という形で記録しようと思ったのです。

警察も「政権と心中させられるのはゴメン」

伊勢崎 もうひとつ、映画では「福島の原発事故で動員された警察官の人たちも被曝している。官邸前でデモ隊に対峙(たいじ)している警察官たちも原発には複雑な気持ちを持っている」というようなくだりがあったのも興味深かった。

僕が経験してきた海外のデモだと、「警察官」というのは「敵」ですからね。政権というのは警察力を手中に収めようとするんですが、日本の反原発デモの現場では必ずしもそうはなっていない、という視点が入っていた。実際、あれだけのデモだったのに流血するような衝突は起きてないわけですからね。

小熊 しかしこの映画でも記録したように、反原発デモの初期には「警官に体が触れただけで公務執行妨害」といった形で大量逮捕もありました。でも取り調べをしてみたら、いわゆる「過激派」とは無関係な一般の人たちの集まりだと警察もわかったし、何より反原発の世論が強かった。それがわかると警察の態度は軟化しました。

日本の警察は、よくも悪くも独立性の高い官庁なので、「へたに弾圧して世論の批判を浴び、時の政権と心中させられるのはゴメンだ」みたいな感覚もある。また官邸前抗議の主催者も、警察と無用な摩擦が起きないように気を使っていました。ですから、流血の事態にならなかったのは、いろいろな事情や工夫があってのことです。

―反原発デモは、確かに画期的なことだったと思います。ただ、その後、有権者は民主党からの政権交代を選択し、自民党はそこからわずか3年足らずで国のエネルギー政策を「原発推進」へと方向転換しました。国民の多くが反対の声を上げるなかで、原発再稼働が着々と進められています。「あのデモはなんだったんだ?」と感じている人もいると思うのですが。

小熊 12年9月に、民主党が「2030年代に原発ゼロ」という方針を示したことは、他の国の運動なら大勝利と見なすだろう成果です。だけど主催者に「祝賀会をやらないの?」と聞いたら「即時ゼロではない」という感じでした。もっと誇っていいはずなのに、謙虚なのか、理想が高いのかなと思いました。

20万人も抗議に集まるような状態は、どこの国でも2ヵ月と続くものではない。また、運動が選挙の結果と直結しないのも他国と共通です。ここまで再稼働が遅れ、原発ゼロの状態が続いたのも、あの運動が象徴した世論の反対以外の理由はないでしょう。

他の国のデモと比べたら、それだけでも十分大きな成果です。それを当の日本人が自覚していない。そもそも国会前や官邸前で数万人規模のデモをやれる国など、ないんじゃないでしょうか?

伊勢崎 アメリカじゃ、まずできません。中国はもちろんシンガポール、マレーシアでもできない。今の安保関連法案でも国会前デモの影響が結構効いていますよね。

小熊 今の政権は毎週世論調査の数字をチェックしているそうです。高齢化や過疎化で自民党の基盤は弱っていますから、世論の支持がなくなったらもたない。だから敏感にならざるを得ないのです。

*この続きは、『週刊プレイボーイ』38号でお読みいただけます。

(構成/川喜田 研 写真/村上宗一郎[伊勢崎氏、小熊氏])

●小熊英二(おぐま・えいじ)1962年生まれ。慶應義塾大学総合政策学部教授。原発事故後、脱原発運動に関わる。映像作品の監督は初めて。近著に『生きて帰ってきた男―ある日本兵の戦争と戦後』(岩波新書)など

●伊勢崎賢治(いせざき・けんじ)1957年生まれ。東京外国語大学大学院教授。国連PKO幹部として、シエラレオネなどで武装解除を指揮。『本当の戦争の話をしよう 世界の「対立」を仕切る』(朝日出版社)など