敗戦から70年を経た今も、過去の「歴史認識」をめぐって近隣諸国との関係に悩む日本と、ナチス・ドイツ時代に犯した「過ち」に厳しく向き合い続けることで欧州統合のリーダーとなったドイツ。
ともに第2次世界大戦の敗戦国であり、ものづくり大国として奇跡的な復興を成し遂げた両国の歩みは、一見、似ているようで実は大きく違うという。
ドイツ在住25年の著者が日本とドイツ、ふたつの「戦後」を比較しながら、今の日本が抱える問題点を浮き彫りにするのが『日本とドイツ ふたつの「戦後」』だ。著者の熊谷徹氏に聞いた。
―日本とドイツの「戦後の違い」に注目し始めたのはいつ頃からなのでしょうか?
熊谷 私は1990年からドイツで暮らしているのですが、それ以前にもNHKの記者としてドイツの歴史問題への取り組みについて取材した経験があり、当時から両国の違いについては注目していました。
ここ数年はその違いが広がってきたと感じています。東アジアにおいては日本と中国、韓国との緊張感が高まり、国民の間にも緊張を煽(あお)るような動きがある。一方のドイツは、欧州連合の一員として完全に溶け込み、周辺諸国の信頼を得て、今やそのリーダーと見なされている。こうした東アジアの状況と今のドイツが置かれている状況を比べると、ずいぶん違うな…と、ヨーロッパに住んでいる日本人のひとりとして切実に感じるわけです。
例えば今、日本では集団的自衛権に関する議論が盛んに行なわれていますが、ドイツはNATOの一員として集団安全保障体制に加わっているので、仮にNATOの加盟国が攻撃されれば多国籍軍の一員として制裁に加わる可能性もある。しかし、そのことに反対する国はほとんどありません。それどころか、もっと軍事的な貢献をしてほしいと言われる存在になっています。
これは、「ドイツが戦前のようにひとり歩きして、周りの国に大きな迷惑をかけることはしないだろう」という信頼があって初めて成り立つことです。ドイツが第2次大戦という過去と真剣に向き合ってこなかったら、こうした信頼感は得られなかったし、EUのリーダーと見なされることも不可能だった。自らの過去、歴史に正面から向き合ってきた姿勢こそが、近隣諸国との関係を改善し、今のドイツの繁栄を支えた最大の要因だと私は考えています。 ―両国の戦後の歩み、「過去への向き合い方」はそれほど大きく違うのでしょうか?
熊谷 歴史上、虐殺事件はたくさんありますが、工場のような施設を造り、民間人を含む多くのユダヤ人をシステマチックに虐殺したという意味で、ナチス・ドイツの行なったホロコーストは他に例がありません。ドイツ人は、人類史上まれに見る大量殺人をドイツの名の下に行なったという道義的責任を共有しているので、過去への向き合い方が徹底しています。
また、9ヵ国と国境を接し、資源も人口も少ないドイツは資源を輸入し、加工して輸出するという「ものづくり大国」となる以外に成長する道はなく、政治的にも経済的にも近隣諸国の信頼なしには生き残れない。ドイツの政治家は「周りの国々との和解」が自国の繁栄にとって必要不可欠な要素であることをよく理解していますから、その意思は非常に強いのです。
若者もナチスの罪について知る必要がある
―過去への真摯(しんし)な反省こそが、結果的に「国益」へとつながるのだという発想ですね。
熊谷 具体的な例を挙げましょう。例えば、日本と中国の間ではいまだに南京大虐殺の犠牲者が30万人なのか2万人か、あるいは3千人なのか…といった論争が存在し、それが延々と続いています。従軍慰安婦の問題も似ていますね。でも、ホロコーストの犠牲者数については「ナチスが600万人を虐殺した」ということでドイツとイスラエル、あるいはユダヤ人社会との間ですでに決着がついている。数についての議論はもう存在しません。
実際にはナチス・ドイツが証拠となる書類を破棄しているので、「600万人」という数字に具体的、科学的な根拠はないのです。しかし、ドイツは厳密な犠牲者の数ではなく、ナチスがホロコーストで大勢の人たちを虐殺したという「本質的な事実」を重視し、ユダヤ人社会、あるいはイスラエルと和解することを優先した。そのため「犠牲者数」についての論争はない。
「木を見て森を見ず」といいますが、ドイツの政治家は「犠牲者数」という「木」ではなく、「森」を見ることが自分の属する国家、民族にとって利益になることを理解していたのです。
また、連合国によるニュルンベルク軍事法廷で戦争犯罪が裁かれた後も、ナチスが犯した計画的で悪質な殺人については「時効を廃止」し、ドイツが自国の司法システムの下で戦後70年を経た今もナチスの戦争犯罪を訴追し続けているというのも、日本との大きな違いではないでしょうか。
さらに言えば、歴史認識に関する教科書の記述に関しても、フランス、ポーランドなど、かつて戦争で被害を与えた国々と「教科書会議」を設立し、長年、ナチス時代に関する記述について双方が納得できる内容を確認する作業を続けてきました。
過去に大きな過ちを犯したドイツがこうした努力を少しでも怠ったら批判される…。この過去と向き合う作業に終わりはないのだという意識を、すべての政党と国民が共有しているからできることだと思います。
―日本では安倍首相が「戦後70年談話」に「謝罪を次の世代に背負わせてはならない」という文言を盛り込んだことが話題になりました。
熊谷 ドイツのヴィリー・ブラント元首相をインタビューする機会がありました。歴史認識を重視した非常にリベラルな政治家として知られる人で、彼もやはり「戦後に生まれた若い人たちに昔のドイツ人が行なった罪を背負わせるのは反対だ」と語っている。
でも、彼はそれに続けて、「ただし、今の若者もドイツの歴史から逃れることはできない以上、ナチスが犯した過去の罪について正しく知る必要がある。そうして自分の国の歴史と批判的に向き合うほど、かつて自分の国が被害を与えた国々や民族との関係を改善できるのだ」とも語っています。
私は決してこれを自虐史観とは思わない。むしろ、日本も含めてどの国にも当てはまる普遍的な真理だと思うのです。
(インタビュー・文/川喜田 研)
●熊谷 徹(くまがい・とおる) 1959年生まれ、東京都出身。早稲田大学政治経済学部卒業後、NHKに入局。90年からはフリージャーナリストとしてドイツ・ミュンヘン市に在住。著書に『ドイツ中興の祖ゲアハルト・シュレーダー』(日経BP社)、『脱原発を決めたドイツの挑戦』(角川SSC新書)など多数。ホームページ http://www.tkumagai.de
■『日本とドイツ ふたつの「戦後」』 (集英社新書 740円+税) 第2次世界大戦後、目覚ましい経済成長を遂げた敗戦国の日本とドイツ。しかし、戦後70年を経て、両国には大きな違いが……。ドイツは高い競争力でEUを牽引する立場でありながら、一方の日本は、かつてのものづくり大国を支えた競争力を失い、貿易赤字は拡大、韓国、中国との関係悪化、原発事故以降のエネルギー政策も迷走状態にある。ドイツ在住のジャーナリストが、両国をさまざまな視点で論考。ドイツの戦後の歩みから日本が取り組むべき課題を明らかにする