『週刊プレイボーイ』本誌連載中のコラム「衆愚レアリズム宣言!!」より、ジャーナリストの川喜田研氏が“シューグ”な現実と向き合い、世の中を見つめなおす!
ついに強行採決された安保関連法案だが、その成立直前でも安倍政権の腹の内が露呈した身内の問題発言が…。
*** 安全保障関連法案は「(国民の理解が)十分に得られなくても、やらなくてはならない…」。国会会期のタイムリミットが近づく中、青森市内で行なわれた講演で自民党の高村(こうむら)正彦副総裁からこんな本音が飛び出した。
これまで「国民の理解を得られるよう努力する」と言い続けてきた安倍政権だが、実際は「国民の理解」なんて関係ない…というコトだったのだろう。
初めから法案成立の強行が決まっていたのだから、それを前提に総理大臣がアメリカに約束したり、自衛隊が具体的な計画を検討したりするのも、ある意味「当然」だといえるかもしれない。
何しろ「切れ目のない安全保障体制の整備」がこの法案の目的なのである。野党が反対しようが国民の理解が得られまいが、「やるときはやる!」という「決める政治」がウリの安倍政権としては「早めの準備」を進めただけなのだ。
だが、「国民の理解が得られなくても…」という高村副総裁の発言は、安保関連法案の「法的安定性は関係ない」と、ウッカリ本音を漏らして批判された礒崎(いそざき)陽輔首相補佐官の発言と同じぐらいに大モンダイなのではなかろーか?
確かに自民・公明の与党は衆参両院で過半数を占めているのだから、強行採決だって可能だろう。選挙でその与党を選んだのは有権者だというのもその通りだ。
ただし、高村氏はお忘れのようだが、そもそも国会議員は「国民の代表」として国会の場にいるはずだ。タテマエ上、現実を無視してでも「これまでの審議ですでに国民の理解は十分に得られた」と強弁するのならともかく(まあ、それもモンダイだけど)、「国民の代表」のひとりであるはずの高村氏が「国民の理解が十分に得られなくてもやらなきゃならない」と公言してしまうのなら、国民の代表を務める資格なんかない!
念のために断っておくが、どんなに「中国の脅威」をあおろうと、今は「平時」だ。この国が戦時下にあったり、未曽有の大災害に見舞われたりして、政治が一刻を争うような「判断」を迫られている状況ではない以上、「国民の理解」を無視してまで法案成立を優先するべき理由なんて、普通に考えたらどこにもない。
しかも、9割以上の憲法学者から「憲法違反」を指摘され、各方面から大きな反対の声が上がっているのがこの法案だ。
国民は次の選挙まで忘れるから大丈夫?
日本の安全保障政策にとって大きな転換であると政府自らも認めるモンダイを、事もあろうに与党の副総裁が「国民の理解が得られなくても…」と公然と口にしてしまうなんて、この国は、「平時」のくせに「異常事態」と言わざるを得ない。
ちなみに高村氏、同じ青森市内の講演では「選挙で国民の理解が得られなければ政権を失う」と語り、次の選挙で国民の審判を仰ぐ意向を示したという。「今、法案に反対している国民もどうせ1、2年すれば忘れるから大丈夫」と、日本の衆愚をナメているのか? それとも「次の選挙で自民党が負けても構わない」と、安保関連法案と刺し違える覚悟でもあるのだろうか?
そこで、ナルホド…と思ったのは「おそらく、安倍政権が安保法案の成立を強行することで国民から受ける罰よりも、成立させないことでアメリカから受ける罰のほうが大きいのでしょう」という思想家・内田樹(たつる)さんの指摘だ。
今、強行採決をしても衆院選は3年後。安倍さんの首相の座は当面安泰だが、ここで約束を守れなければ、アメリカから厳しい「罰」を受けて、政権などあっという間に吹き飛ばされるかもしれない…。ウン、それなら確かに、「国民の理解」なんて言ってる場合じゃないのかもねぇ…。
●川喜田 研(かわきた・けん) 1965年生まれ。モータースポーツ、特にF1関連の記事をはじめ、原発問題、TPP、憲法改正、集団的自衛権、沖縄基地問題を本誌で執筆。著書に『さらば、ホンダF1』(集英社)がある