1997年に来日し慶応義塾大学大学院に学び、現在は香港フェニックスTVの東京支局長を務める李(リ・)ミャオ氏

戦後70年を迎え、大きな問題が山積する日本の姿を海外メディアはどのように見つめ、報道しているのか? 

新連載「週プレ外国人記者クラブ」では、各国の最前線ジャーナリストたちが独自の視点で斬り込み、大手メディアが伝えないこの国の真実を探る。

まずは、安保法制を可決させた安倍首相の「歴史認識」について、中国はどう思っているのか? 過日の「戦後70年談話」を元に、香港フェニックスTVの李(リ・)ミャオ支局長に振り返ってもらった。

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─8月14日に発表された安倍首相の「戦後70年談話」を、中国メディアはどのように伝えたのでしょうか?

 この談話がどういった内容のものになるか、中国では1年以上前から高い関心を集めていました。当日は会見の模様を生中継で中国に伝え、私も談話を同時通訳するために首相官邸につめていました。

戦後50年の村山談話、戦後60年の小泉談話が1200~1300文字程度だったのに対し、今回の安倍談話はその3倍近くもある長いものでした。こういった会見では通常、あらかじめ発言の内容がプリントされた資料が配布されるのですが、この日は会見の2分前になるまで配られなかったので、事前に談話の内容を外部に漏らさないよう、極めて慎重だった姿勢がうかがえます。

中国側の関心は「植民地支配」「侵略」「反省」「お詫び」という4つのキーワードが盛り込まれるかどうか。結果としては、すべて含まれた内容でした。

中国語の感覚で最も重い言葉は「謝罪」

─戦後の節目となる年ごとに発表される首相談話が、中国でそれほど大きな関心を集めるのはなぜですか?

 ひとつには、戦後50年の村山談話が、中国にとっては大きな意味を持つものだったことが挙げられます。その中で当時の村山首相は、日本がアジア諸国に対して植民地支配と侵略を行ない、多大な損害と苦痛を与えたと認めています。そして「この歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします」と言明したのです。戦後60年の小泉談話でも4つのキーワードは引き継がれました。

中国人一般としては、日本の首相は戦後の節目となる年ごとに「侵略」に対する「反省」と「お詫び」の談話を発表するべきだ、という考えを持っているわけではありません。ただし、4月23日の国会答弁で安倍首相が「侵略の定義は学界的にも国際的にも定まっていない。国と国との関係でどちらから見るかで違う」と発言していることなどから、特に歴史認識に関する言及が注目されていました。

はたして安倍首相は過去の歴史をどう見ているのか、中国人の多くは今回の談話にそれを計るバロメーターとしての働きを期待したのでしょう。

─今回の安倍談話には、たしかに「侵略」「反省」「お詫び」というキーワードが含まれますが、中国としては不満もあるのではないでしょうか? 日本国内にも批判があります。 

 はい。ひとつには、日本国内でも言われていることですが、主語が明確でない。たとえば「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない」と言っていますが、主語が次の文の「先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました」に置かれているため、“一般論”のようにも聞こえます。

そして、これも日本国内でも指摘される箇所ですが、「あの戦争にはなんら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供たちに謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」という文言。中国語の感覚では「反省」や「お詫び」を意味する言葉としてもっとも重いものは「謝罪」です。今回の安倍談話で「謝罪」という言葉が登場するのは、この箇所だけで、否定形で使われています。

しかし、談話の中で4回も中国に言及し、中国に残された日本の残留孤児に対し中国人の寛容的な心があったと発言するなど、中国を大変配慮した内容ではありました。

安倍談話以上に中国人にとって大きなショックとは?

─「いつまで謝罪を続けなければならないか?」というのは非常に難しい問題です。しかし、謝罪という行為の目的が被害者からの許しを得ることならば「どのように謝るか」「どれだけ謝るか」は、加害者の側が決めることではないでしょう。

 「どのように謝るか」については、1972年に当時の田中角栄首相が北京を訪れ、日中国交正常化に臨んだ時のスピーチで「わが国が中国国民に多大のご迷惑をおかけしたことについて、私は改めて深い反省の念を表明する」と述べたことに対して、中国国内では「“ご迷惑”という言い方はないだろう!?」という批判の声が上がったこともありました。

しかし、私たち中国人一般は、日本に対して「永久に謝り続けろ」とは考えていません。ただ、過去の侵略行為などを日本が反省し、「二度と同じ過ちを犯さない」と日本に約束してほしいだけです。

「主語が明確でない」と指摘した箇所の精神は、一般論のようではあっても評価に値するものだと思います。そして、その精神を具体的な形にしたのが“非戦の誓い”である日本国憲法第9条だったはずです。

安倍首相は今回の談話を発表する一方で、この誓いの解釈を変更し、集団的自衛権の行使を容認して自衛隊の海外での武力活動を可能にする新たな安保法制の整備を進めています。このことは、今回の安倍談話の“言葉尻”の問題以上に、中国人にとっては大きなショックです。

─結局、今回の「戦後70年談話」をどのように評価しますか? 

 最終的には曖昧(あいまい)さが残った談話ですが、「植民地支配」「侵略」「お詫び」「反省」の4つのキーワードが含まれていたことから、全体的に評価できる談話だったと思います。

村山談話は、中国人にとって「新たな中日関係」を予感させる歴史的なスピーチでした。それに比べて、今回の安倍談話は政局運営のためのひとつのツールに過ぎなかったと思います。中国でも韓国でも、日本側が予想していたよりも反応が穏やかだったということを聞きますが、それは今回の談話が持つ本当の意味を冷静に見極めていたからでしょう。

首相官邸で安倍談話が発表された翌日には、日本武道館で「全国戦没者追悼式」が行なわれ、天皇陛下がお言葉を述べられましたが、安倍談話とは比べものにならないほどの重い「反省」の念が感じられたと中国で評価されています。

◆李(リ・)ミャオ中国吉林省出身。1997年に来日し、慶應義塾大学大学院に入学。故小島朋之教授のもとで国際関係論を学ぶ。2007年に香港フェニックスTVの東京支局を立ち上げ、現在は支局長。日本の情報、特に外交・安全保障の問題を中心に精力的な報道を続ける

(取材・文/田中茂朗)