10月7日に行なわれた内閣改造で、“清和会のノーザンライト”馳浩(はせ・ひろし)氏が文部科学相として初入閣。プロレス出身議員として、初の大臣となった。
馳氏は、自民党幹事長だった森喜朗氏にスカウトされ、1995年の参院選に立候補し初当選。2000年に衆院にくら替えし、05年の小泉政権時には文科副大臣を務めるなど、これまで当選7回のベテランとなっている。
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永田町で馳氏の評判を聞くと、「話がわかる」「穏やかな人柄」「調整力がある」と、好意的な声が大多数。
「与野党関係なく、誰でも気さくにお話ししてくださいますし、いじめや過労死、LGBT法案など、いわゆる弱者支援の立法などにも熱心です」(元国会議員秘書)
プロレス出身の国会議員といえば、これまでアントニオ猪木氏、大仁田厚氏、神取忍氏らがいる。永田町では“イロモノ扱い”されることも少なくなかったが…。
「(馳氏は)派手さはないけど非常にクレバー。議連の会長をいくつも任され、堅実に立法にこぎつけています。前に大仁田さんが議員になった時は、採決が荒れると委員長をガードする役目を率先して引き受けていたけど、馳さんは間違ってもそんなことはしない。同じレスラー出身議員でくくっては馳さんに失礼です」(自民党担当記者)
「クレバー」「堅実」という素質はプロレス時代から備わっていた、と解説するのはプロレス通としても知られる“時事芸人”のプチ鹿島氏だ。
「プロレスラーとしての馳浩はとにかく試合が面白く、団体側からすると、使い勝手のよい選手でした。メインでも中盤でも間違いなく会場を盛り上げるし、シングルでもタッグでもいい働きをする。したたかでヤリ手、そしてイヤミなほど試合がうまい名バイプレーヤーでした。
そうした資質は政治家にはなくてはならないもの。だから、馳が政治家に転身すると聞いた時は、それも当然、いやむしろ、プロレスを踏み台にして政治家になったんじゃないか、とすら思いましたね」
スターのタッグパートナーとして汗をかける
政治家として頭角を現すには、「オレがオレが」精神だけではダメ。時には雑巾がけを厭(いと)わず、リーダーを担いで自分がやりたい政策を実現するという芸当もできなくてはならないが、どうやら馳氏にはその資質もたっぷりありそうだ。プチ鹿島氏が続ける。
「猪木や大仁田は政界でもトリックスターみたいな感じでしたが、馳は団体のエースではないから必ずしも目立たなくていい。スターのタッグパートナーとして汗をかき、おいしいところは上に渡すことができる。
政治家には下働きや根回しも大切と、竹下登元首相も同じようなことを言ってました。なので、きっと竹下さんもプロレスをやっていたらいいレスラーだったと思います(笑)」
なるほど、まさに馳氏は名宰相の考える「よい政治家」の条件にぴったり。就任直後に早くも献金問題で疑惑も取り沙汰されているが、ひょっとして将来、総理大臣に上り詰めたりするシナリオもあり!?
(写真/原悦生)
■この全文は『週刊プレイボーイ』43号「馳浩文科大臣 政界でも期待される“イヤミなほどの試合巧者ぶり”」でお読みいただけます!