内戦が泥沼化するシリアから大量の難民がヨーロッパへ押し寄せ、現在、欧州諸国ばかりでなく、遠く離れたアメリカや日本への受け入れも強く求められている。
隣国ヨルダンの難民キャンプに通うフォトジャーナリスト、安田菜津紀(なつき)氏が、避難生活の実情を報告する。
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石畳が続く静かな路地裏、シルクロードの時代が蘇(よみがえ)ったかのような活気ある市場とパンの香り、「ようこそ!」と駆け寄って出迎えてくれた子供たち。
そんな穏やかな光景が、私の脳裏に浮かぶ最後のシリアの姿だ。2009年まで何度も通っていた、首都ダマスカス。あの時はまだ、ここが熾烈(しれつ)な戦火にのみ込まれることなど想像さえできなかった――。
2013年から訪れている、南側の隣国ヨルダン。ここにはすでに100万人を超える人々がシリアから避難してきているとされる。元々とは人口600万人ほどの小さな国だが、現在は国内で暮らす人々のうち、およそ7人に1人がシリア難民という状態が続いている。
地平線まで続く乾いた大地。雲ひとつない真っ青な空から、痛いほどの日差しが照りつける。シリアとの国境から約15㎞、ヨルダン北部の町、ザータリにある国内最大の難民キャンプでは、6万人を想定してつくられた敷地に8万人を超える人々がテントやプレハブでの暮らしを続けていた。一歩外に出れば、視界を覆うほどの砂埃(すなぼこり)が舞い、人々は顔をしかめる。
朝になると国連の配給テントの前に、ホブスと呼ばれるパンの袋を受け取ろうと人々が列を作る。ところが、ようやく手にしたそのパンを、テント脇の小路で即座に売りに出す親子がいた。
「突然家を焼け出されて、貯金を持ち出す暇もなかったんです」
4歳の息子を連れた父親、バーシルさんは深いため息をつく。
「ここでは自由に出入りすることも、外で働くことも許されていません。だからこうして自分たちの食べ物を削って、貯金のある人に売るんです。いつか帰れる日のために、少しでも現金が欲しい」
仕事を探すことさえできず、ただただ帰る日をあてもなく待ち続ける日々。まるで檻(おり)の中で暮らしているようだとバーシルさんは嘆く。そして、キャンプは中心地から離れるほどに生活環境が過酷になる。
「共同トイレはドアさえ取りつけられずに放置されたままだ。女性はとても使えずテントの横に穴を掘る。そこから汚水が道端に流れ出す。水を汲むためには重い容器を抱えて何往復もしなきゃいけない。40℃近い暑さのなか、水源まで何百mも。そんな環境でどうやって子供たちを育てていけっていうんだ?」
「おまえたちが国を汚している」と中傷も…
難民たちが身を寄せるのはキャンプだけではない。大型ショッピングモールが軒を連ねる、ヨルダンの首都アンマン。ビルの谷間にある小さな病院の一角が、シリア人のための病棟となっていた。傷つき運ばれてくる大人たちの中には、政府軍と闘い続ける兵士の姿も交じっている。
「ケガさえ治れば俺たち、何度でも闘いに戻ってやるよ」
若い兵士たちは口々にそう訴える。
「こっちでは毎日死んだように生きなければならないだろ? シリアに帰ったら死ぬのは一度だ」
労働が許されない状況で、工場などに紛れ込んで不法に仕事を得ようと試みる者もいる。しかし、そこでは「仕事をシリア人に奪われている」「おまえたちが国を汚している」と心ない言葉を投げかけられる。大量の難民流入に不満を持つヨルダンの人々がいることを、兵士たちは肌で感じてきたのだ。こうして「居場所」を得られない彼らの生きる選択肢は限られていく。
病院の2階にある一室で、9歳の少女、アミナちゃんと出会った。腕には点滴、片方の足はギプスで固定され、上から下まで包帯で覆われていた。戦車の砲撃に巻き込まれ、大ケガを負ったのだ。
点滴を刺し替えにやって来る看護師たちの姿を見た瞬間、アミナちゃんの表情がゆがむ。だが、どんなに泣いても叫んでも、彼女のそばに寄り添うはずの両親の姿はない。
「お父さんとお母さん、まだシリアにいるの」
泣きやんだ彼女が、かすれるような声でぽつりぽつりと話してくれた。
一家がシリアから国境地帯に逃れてきた時、重傷のアミナちゃんだけが入国を許され、ケガをしていない両親はその許可を得ることができなかったのだという。ひとつの家族が国境で引き裂かれてしまったのだ。こうして少女はたったひとり、重いケガと、両親のいない不安と闘い続けている。
世界から忘れ去られているという感覚
大量の難民が流入し続けているヨルダンは今、受け入れの限界に達しようとしている。そして欧州への大量流入は、シリア周辺国がそうした状況にあることの裏返しだ。家族をとりわけ大切にするシリアの人々だからこそ、危険を冒してでも一家全員で逃れる道を探る。そんな彼らの声に世界はどれほど耳を傾けてきただろうか。
傷ついた兵士たちの治療に当たっていたシリア人の医師が、こう語ってくれたことがある。
「私たちを最も苦しめてきたのは、アサド政権でもイスラム国でもなく、世界から無視されている、忘れ去られているという感覚なんです」
難民を追い詰めているのは戦火だけではない。彼らの「居場所」を築くことで、さらなる犠牲を減らすことはできるはずだ。
●撮影・文/安田菜津紀(やすだ・なつき) 1987年生まれ。フォトジャーナリスト。東南アジア、中東、アフリカ、東日本大震災の被災地を中心に、貧困や災害の現場を歩き、記録している。共著に『ファインダー越しの3・11』(原書房)など