日本経済は社会と市場の関係性の基礎的な議論をするべきだと語るファクラー氏

戦後70年を迎え、大きな問題が山積する日本の姿を海外メディアはどのように見つめ、報道しているのか?

「週プレ外国人記者クラブ」第6回は、前『ニューヨーク・タイムズ』東京支局長、マーティン・ファクラー氏が、アベノミクスと日本経済の根本的な問題点を抉(えぐ)る!

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─先月、安倍首相はアベノミクスが第2ステージに入ったことを宣言しました。安保法案の強行採決という力業(ちからわざ)を成しえたのも、アベノミクスの効果が表れているからでしょう。いわば、アベノミクスの成否は安倍政権の生命線ともいえます。まず、第1ステージを統括して、どう評価しますか?

ファクラー 第1ステージの「3本の矢」で成功といえるのは、第1の矢「大胆な金融政策」だけだったと思います。たしかに、日銀の量的緩和(市場に貨幣の供給量を増やす政策)によって株価が上がり、デフレが改善されました。しかし、これは一時的な効果に過ぎず、経済構造そのものを改革したわけではありません。

第2の矢「機動的な財政政策」は、要するに公共投資を増やすというものでしたが、東北の復旧事業のほかは評価すべきものはなかった。第3の矢「民間投資を喚起する成長戦略」は、首相官邸のホームページを見れば「規制緩和等によって、民間企業や個人が真の実力を発揮できる社会へ」と解説されていましたが、そもそも実像が見えてきませんでした。

さらに空疎な言葉が踊るアベノミクス第2ステージ

―そして第2ステージの「新3本の矢」は、「希望を生み出す強い経済」「夢をつむぐ子育て支援」「安心につながる社会保障」ですが…。

ファクラー 景気のいい言葉を並べただけ、というのが誰もが抱いた感想ではないでしょうか。そこには経済政策の裏づけとしてあるべき「未来へのヴィジョン」や「哲学」が見えてきません。小泉純一郎元首相が行なった経済政策のほうが少なくとも方向性は明確でした。たとえば郵政の民営化など、評価は別として“小さな政府”を目指すという方針がハッキリしていましたよね。すでにアベノミクスは勢いを失ってきていると思います。

改革をアピールして未来に向けた経済の指針を示したいのなら、「新しい土俵」を用意するべきです。個人的には、若い起業家がスタートしやすい環境づくりが必要だと思いますが、具体策を示さないまま「強い経済」「安心の社会保障」といった言葉だけが踊っているのがアベノミクスの実態だと思います。

安倍政権は「日本再興」ということも繰り返し言っていますが、戦後日本の経済成長はソニーやホンダといった新しいメーカーが飛躍したからでしょう。そういった新しい企業が出てきやすい環境づくりを考える必要があります。

─日本は経済的に成熟レベルに達しているのに、いまだに大量生産・低価格の工業製品の輸出で利益を得ようとして、韓国や中国といった後発国と不毛ともいえる価格競争を続けていますね。

ファクラー それも、未来に向けたヴィジョンがないからだといえます。韓国や中国と価格競争をしても勝ち目はありません。日本の工業力・経済的成熟度からすれば、たとえばドイツをライバルにするべきでしょう。高度成長時代の大量生産・低価格モデルから脱却して、高品質やブランド力などの付加価値をアピールするべき。素晴らしい発想を持っている若い人たちはたくさんいるのに、彼らがチャンスを得られないのはもったいないですよ。

また、韓国や中国との価格競争は、労働賃金の低下などを通じて、過去10年以上にわたって日本の経済を疲弊させたデフレの大きな要因にもなってきたと思います。

社会ベースで経済を考える「新たな哲学」が必要

―アメリカでは、正社員と非正社員の格差問題はあるんですか?

ファクラー 終身雇用がないので日本的な意味での正規雇用はありませんが、どちらかというと解雇されてもすぐ新しい仕事ができたりします。もちろんその功罪はありますが、流動的な雇用市場を選ぶことで、常にグーグルのような新しい企業が生まれています。日本もアメリカ型の雇用市場を作るのならば、失敗してもまたチャレンジできる新しいシステムが必要ですね。

―日本で民主党のような左寄りの政党が機能しないのは、高度成長期からの既得権益がいまだ強大で、労働者がひとつにまとまれないということもありますよね。

ファクラー 日本に限らず、本来は左寄りの政党を支持すれば利益を得られる層が右寄りになっているという逆説的な現象がありますよね。アメリカでは「ティーパーティー」と呼ばれる保守派の集まりが盛んになっています。参加者の多くは、どちらかというと給料の低い、現状に不満を持った労働者たちです。しかし、彼らは社会福祉を充実させようとしている民主党よりも、「自分たちが苦しいのは移民のせいだ!」と言って共和党を支持する。

─ヨーロッパから「イスラム国」に参加する人たちもそういった不満分子ですね。さらに言えば、ナチス・ヒトラー政権を支えたのも現状に不満を抱えた労働者たちでしたし。

ファクラー 右傾化は世界的に見られる傾向ですが、一方で古い左翼思想が今の時代に合わなくなっていることが挙げられると思います。日本では団塊世代の頃、左は元気だったけど、今は新しい哲学がない。

安倍政権からは、市場原理を優先するのか、格差を是正して社会福祉を重視するのか、根本的な方向性が見えてこない。社会が市場の下にあるのか? あるいは、市場が社会の下にあるのか? 経済はなんのためにあるのか、という基礎的な議論に立ち返ることも必要でしょう。

本来的な左翼の考え方は「社会のために市場が働く」ものですが、もう共産思想でもない…。社会ベースで経済を考える「新たな哲学」を生み出していくのが平等な社会を目指す左の役割だと私は思います。

■マーティン・ファクラー

米国アイオワ州出身。東京大学大学院で学び、1996年からブルームバーグの東京駐在員。その後、AP通信、『ウォールストリート・ジャーナル』を経て、『ニューヨーク・タイムズ』東京支局長を務めた。15年7月に同紙を退職。現在は民間シンクタンク「日本再建イニシアティブ」の主任研究員。著書に『崖っぷち国家 日本の決断』(孫崎享と共著 日本文芸社)などがある

(取材・文/田中茂朗)