宜野湾市長選に敗れて沈痛な面持ちの志村陣営。翁長知事を支える「オール沖縄」は知事選、衆院選では勝利してきたが、今回その勢いにストップがかかった

普天間基地を抱える宜野湾(ぎのわん)市の市長選が1月24日に行なわれ、与党・自民党が支持する現職が勝利した。

この勝利によって安倍政権が「辺野古(へのこ)新基地建設」をさらに強硬に進めてくる可能性が出てきたが、それは選挙結果を悪用した暴挙でしかない。どういうことか? 沖縄在住のノンフィクションライター、渡瀬夏彦氏が選挙レポートとともに解説する。

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列島をこの冬一番の寒波が襲った1月24日、「世界一危険」といわれる普天間基地を抱える沖縄県宜野湾市で市長選挙が行なわれた。投票率は前回を数ポイント上回る68.72%で、市民の関心の高さが表れていた。

結果は周知のとおり、自民・公明推薦の現職・佐喜眞淳(さきま・あつし)氏が、翁長雄志(おなが・たけし)沖縄県知事を中心とした「オール沖縄」陣営が支援する新人・志村恵一郎候補に5857票の差(2万7668票対2万1811票)をつけて勝利した。

しかし、この結果は注意深く受け止める必要がある。これによって「辺野古新基地推進派の勝利」とか「新基地建設を推進する政府が信任された」という早合点は禁物だ。

全国紙、地方紙の中には社説でそのことを指摘し、政府の強引さを戒める論調があったが、全国放送のテレビニュースや読売、産経、日経などの報道では中谷防衛相の「(普天間基地の)代替施設建設事業を進め、沖縄の負担軽減に取り組む」という政府の言い分ばかりが強調され、愕然(がくぜん)とさせられた。

代表例として読売新聞の社説(1月25日付)を見てみよう。次のような暴論を書きなぐっているので、一部引用する。

《沖縄県宜野湾市長選で現職の佐喜真淳氏が、移設反対派が推す元県職員の志村恵一郎氏を破り、再選された。佐喜真氏は、辺野古移設を進める自民、公明両党の推薦を受けていた。2014年の名護市長選と沖縄県知事選で移設反対派が勝利した流れを止めたものだ。推進派の反転攻勢の足がかりとなろう》

《政府は引き続き、より多くの県民の理解を得る努力を尽くしながら、辺野古移設の作業を着実に進めなければならない》

他紙やニュースでも同じような論調が見られたが、これは論理のすり替えである。

まず、佐喜眞氏は安倍政権の支援は受けてはいたが、辺野古問題が争点化されることを徹底して避けた。選挙期間中、自民党幹部らが多数、宜野湾市入りしていたが、陣営が積極的に応援演説を依頼したのは小泉進次郎農林部会長のみだった。

幹部らの動きが目立てば、沖縄で民意を踏みつけてきた安倍政権への反発が一気に再燃する恐れがあると、首相官邸・政府与党関係者がよくわかっていたのであろう。そこで彼らは、もっぱら水面下で企業回りなどをして締めつけを図っていた。

佐喜眞氏は「(辺野古移設)推進でも容認でもない」

辺野古のキャンプ・シュワブゲート前では再び警視庁の機動隊が投入され、激しい衝突が起こっている。大浦湾でも海上保安庁の隊員によって骨折する男性が出るなど安倍政権の強硬姿勢はエスカレートしている

だが、政府自民党から支援を受けている佐喜眞氏は、実は1月7日の立候補予定者公開討論会では、「わたしは(辺野古移設)推進でも容認でもない」と言い切っているのだ。

その後も「普天間基地のフェンスを取っ払うのが夢。危険や騒音は除去してほしい。固定化はノー。それだけなんです」と浪花節的に市民の情に訴えるアピールを続けた。そのためには「政府とも闘う」とさえ言ってみせた。

辺野古容認などという姿勢は、頑(かたく)ななまでに見せなかったのである。つまり、この選挙では、「辺野古移設」は争点にならず、基地問題に関しては「普天間基地撤去」という宜野湾市民の願いが確認されたにすぎないのだ。

宜野湾市長選を前にした昨年12月末に琉球新報などが実施した世論調査では、「県外移設」「国外移設」「無条件の閉鎖撤去」を望む宜野湾市民が71.1%(1月半ばの同様の調査では74.4%)に上っているのに対し、「辺野古移設」支持は11.1%(同じく1月調査では12.9%)にすぎなかった。

従って、安倍政権やマスメディアがこの選挙結果を都合よく解釈し、辺野古新基地建設が信任されたと主張することは論理のすり替えでしかないのだ。

今回の選挙の勝敗を分けたものはなんなのか? 佐喜眞氏の勝因のひとつは「現職の強み」だ。まめに市民と接触し続けた佐喜眞氏の4年間の任期は、 丸々「選挙運動期間」だったとの地元の人たちの指摘は間違っていないし、前市長、前々市長が手がけた事業、企業誘致などがたまたま佐喜眞氏の任期中に実現 し、それを自らの実績と喧伝(けんでん)した陣営の広報戦略のうまさを指摘する声もある。

そして、「ディズニー誘致話のアドバルーンもバカにならない影響があった」(志村陣営の選対本部関係者)だろう。

佐 喜眞市長と島尻安伊子(あいこ)沖縄担当相がオリエンタルランド(東京ディズニーリゾート運営管理会社)に出向いて、ディズニーリゾート施設の宜野湾への 進出を呼びかけ(単なるホテル誘致説もある)、菅義偉(すが・よしひで)官房長官も12月8日に「政府として実現できるよう全力で取り組む」と発言、これ が大々的に報道された。

筆者の独自の取材では、この「話くわっちー」(話だけのごちそう)公約に「ディスニーが来たらいいね」とよろめく若い子育て世代の市民も少なくなかった。

なのに、当選翌日には佐喜眞氏自身がテレビの生放送で「できなくてもチャレンジしていきながら誘致活動を進めていきたい」と大幅トーンダウン発言。これでは選挙対策のためだけに市民の前に飴(あめ)をぶら下げたといわれても仕方がないだろう。

勝つためなら何をしてもよいという話では決してないが、絶対に負けられないという危機感と、それゆえに「利益誘導」や「夢のある話の提供」に必死になった度合いは、佐喜眞陣営が上回っていたと認めるべきだろう。

オール沖縄陣営はなぜ今回敗れたのか?

宜野湾市長選中も佐喜眞氏が再選された翌日も相変わらずオスプレイは普天間飛行場から飛び立ち爆音を上げていた

では、志村陣営の敗因はなんだろうか。選対本部関係者は様々な要素を冷静に分析する必要があるが、最大の要因は「候補者決定の遅れ」だ。

志村候補の人格と能力に対する評価は日を追うごとに高まっていただけに、余計に「出遅れは痛かった」と悔やむ人の多さが選対本部や勝手連の人たちの間にも目立った。

なぜ遅れたか。わたしは「オール沖縄」側の「慢心」を反省点として挙げねばならないと思う。

あらゆる世論調査で、辺野古新基地建設反対の意思表示をする市民が7割を超えている状況から、「辺野古新基地建設反対」を前面に出せば、この選挙でも国政選挙や知事選挙同様に票が取れるという錯覚が生まれてはいなかったか。

「オール沖縄」陣営は、虚心坦懐(きょしんたんかい)にふり返る必要があるだろう。また、投開票翌日の1月25日付沖縄タイムス3面に掲載された識者評論で沖縄国際大学の佐藤学教授(政治学)はこう指摘した。

《現職勝利の背景には、若い保守系政治家の活発な組織化活動の成功もあったのではないか》

これは、おそらくは自民党の「集票組織」であり、「候補者養成機関」の性格も帯びていることで知られる青年会議所メンバーらの活動が地域に根づいていることを指していると思われる。

逆に言えば、それに匹敵する若年層の活発な運動を「オール沖縄」側が構築できるか否かが、今こそ問われているのかもしれない。

こうして一昨年の知事選、衆院選と勝ち続けてきた「オール沖縄」は敗れた。今回の選挙で安倍政権は前述のように強引な論理のすり替えを行ない、新基地建設の強硬姿勢をさらに強めるだろう。それを前に今後、沖縄はどのように戦っていけばいいのか?

実は「オール沖縄」がこの敗北を生かす道がある。「普天間固定化を許さない」と訴える宜野湾市長が今回誕生したこの事実を最大限に尊重するのだ。

わたしの知人であるウチナーンチュのビジネスマンの男性が、宜野湾市長選の結果を受けて、知事、宜野湾市長、名護市長による「普天間基地閉鎖返還を実現する首長協議会」をつくってください、という提案をFacebookに投稿していた。

この提案は貴重だと思った。その趣旨とわたしの考えをミックスすると以下の提言になる。

《そもそも過去には米国側が、普天間基地を含む海兵隊の沖縄からの撤退を検討したのに、それを引き留めてきたのは日本政府である。ごく最近も、日米の安全保障の専門家たちが、海兵隊が沖縄に駐留する根拠の希薄さを指摘しているという事実もある。

にもかかわらず、相も変わらず「辺野古が唯一の解決策」などと繰り返す日本政府の幼稚さ、説得力のなさは、翁長知事だけでなく、多くの県民が見抜いている。

「普天間基地撤去」と「辺野古新基地阻止」の両立が沖縄の願い

宜野湾市民、沖縄県民が普天間基地の撤去を望むのは、危険性や騒音の除去だけが理由ではない。

祖先から受け継いできたその土地が、沖縄戦のどさくさに紛れ、住民が収容所に押し込められている間に、米軍によって奪い取られたままなのだ。だからその土地を、条件などつけずにすみやかに沖縄県民に返しなさい、という当然の要求が普天間基地閉鎖返還問題の原点なのだ。

そして、今最も大切なのは、政府の暴挙・蛮行によって沖縄県民がこれ以上分断されてはならない、ということだ。 その点でも知事、宜野湾市長、名護市長による「三者協議会」開催の提案は、意味がある》

つまり、宜野湾市長選の公約である「普天間基地撤去」と名護市の進める「辺野古新基地建設阻止」は対立するものではなく、両方実現させることが沖縄の願いなのだから、翁長知事を中心として、これを実現させるための「三者首長協議会」を手始めに行なえばいい。佐喜眞市長も交えた「真のオール沖縄」体制をつくればいいということだ。

この提案を知った人の声も紹介したい。志村氏の応援をした「オール沖縄」側の30代のウチナーンチュの女性は、選挙結果が出た翌々日、目を潤ませこう語っていた。

「わたしたち県民が分断されたり激しく対立したりせず、まとまっていけるなら、佐喜眞さんが日本会議に所属していようと、一度、県外移設の公約を破ってしまった人であろうと、そんなことは忘れます。翁長知事と稲嶺名護市長と一緒に、普天間の固定化はさせず、辺野古の海も埋め立てないという話し合いに参加してほしいです。ウチナーンチュが大事にしてきた心って、そういうものだと思うんです」

いきなり三者協議会をつくるのが難しければ、まずは沖縄のメディアが呼びかけて、翁長知事、佐喜眞宜野湾市長、稲嶺名護市長の公開ミーティングを開催してはどうだろうか。佐喜眞市長も、普天間閉鎖返還のための真摯(しんし)な試みを拒否する理由はないはずだ。

語弊を恐れずに言えば、今回、「オール沖縄」側は負けてよかったのかもしれない。

「辺野古新基地建設反対は当然のことだとわかっているから、そればかり繰り返し言わなくていい」と感じている有権者の一票一票を掘り起こして勝つ。そのための選挙はどうあるべきか、真摯に検証し反省する機会を得たのだから。

宜野湾市長選の敗北の翌朝、わたしは暗いうちに辺野古のキャンプ・シュワブゲート前へ向かった。

そこには、「辺野古が争点にならなかった選挙結果」に少なからずショックを覚えつつも、出口調査などで「辺野古移設反対」の意見が多く聞かれたことが明らかになって安堵(あんど)し、勇気を奮い立たせる人たちの姿があった。

非暴力抵抗に徹してゲート前で連日座り込み、政府(防衛局や機動隊)の横暴に抗議する人たちのその顔には、2014年の戦いのときからずっと変わらぬ、誇りに満ちた明るい輝きがあった。

(取材・文/渡瀬夏彦 撮影/森住 卓)